スーパーラグビー、サンウルブズが今季最後の国内シリーズを迎える。5月25日のレベルズ戦、6月1日のブランビーズ戦で、今季の国内試合は終了だ。サンウルブズはそのあと、南アフリカ遠征でストーマーズと、さらに大西洋を渡ってアルゼンチンまで足を伸ばしてジャガーズと戦い、今季の戦いを終える。
サンウルブズは、2020年を最後にスーパーラグビーから除外されることが決まっている。言い換えると「来年がラストシーズン」と見なされている。だが、大会を運営するSANZAARがその約束を履行するかどうかは保証できない。
日本ラグビーが初めて得た、世界への窓が、閉じられようとしている。
なぜこうなってしまったのか。日本ラグビーが鎖国ではなく、世界と戦い、交流を続けていこうとするならば、その検証は急務だ。
ワールドカップ開幕まで4ヵ月を切りながら、閉塞感も漂う日本ラグビー。
世界への躍進を始めた2015年は4年前だ。では、それを掴もうとしていた頃、日本のラグビーはどんな空気感に包まれていたのか……そう思いを巡らすと、躍進の前年、2014年の11月に、日本ラグビーが、スーパーラグビーへ、リスク覚悟の参戦を決めていたことに思い至る。
世界への扉を開く覚悟とはどういうことか。そのひとつの扉が閉じようとしているいま、改め、このコラムをRJ365読者のみなさまにお届けしようと思う。日本ラグビーが世界への扉を開こうと必死だった時代に、その再来を祈りつつ、タイムトラベル。
(初出 Number867号 2014/12/25)
1試合で4トライ以上の獲得、及び7点差以内の敗戦にはボーナスポイントを与える。今ではワールドカップ(W杯)から日本のトップリーグまで採用されている勝ち点システムは、1996年に発足したスーパー12が源流だ。目指すのは、80分互いにトライを求めあう攻撃ラグビー。のちに14、15とチーム数を増やしながら、一貫してスーパーラグビー(以下、SR)が獲得し続けた「世界最高のアタッキングラグビー」という称号は、発足時からのそんな工夫があった。
「16年から、日本チームがSRに参入することが正式に決定しました。日本が世界の最強国リーグの一員になったことに、誇りと同時に大きな責任を感じています」
11月21日、日本協会の矢部達三専務理事は言った。16年からSRは現在の15チームを18に拡大。その3枠のひとつを日本が勝ち取り、日本は代表に準じたチームで参加する。SRは、W杯過去7大会中6回を制しているニュージーランド、オーストラリア、南アフリカ(南ア)という南半球3強国の精鋭を選りすぐったスーパークラブによる世界最高峰の大会だ。