チャレンジャー2021特別編 中村知春  「ラグビーのこと、憎くて、大好きです――」 独白 走れなかった東京五輪を語る | ラグビージャパン365

チャレンジャー2021特別編 中村知春  「ラグビーのこと、憎くて、大好きです――」 独白 走れなかった東京五輪を語る

2021/09/11

文●大友信彦


中村知春。2011年に7人制日本代表デビューして以来まる10年間、女子セブンズ日本代表の大黒柱として献身的に働いてきた。セブンズキャップ49は断トツで史上最多。1年延期された東京五輪に向けた時間でも、リーダー役を務めてきた。だが中村知春は、東京五輪の舞台には立てなかった。失望感と無力感にさいなまれながら見つめた東京五輪と、そこに到るまでの道のり。その重い時間とこれからへの思いを、中村知春本人が赤裸々に語ってくれた。Number WEB「RUGBY PRESS」に掲載された記事(『プライベートも削ってセブンズに身をささげたが…「東京」に立てなかった男女2人のレジェンドが告白』9月8日配信)では収録できなかった部分も含めたフルバージョンを、チャレンジャー2021特別編としてRUGBYJapan365会員のみなさまにお届けする。


最下位に沈んでいくチームをみて、2016年からの5年間が全て無意味に思えた。ただただ無力でした。

東京五輪は複雑な思いで見ていました。
もちろん、自分が目指していた舞台だったし、そこに立てていないことは悔しかったけれど、それ以上に、一緒にやってきた仲間が苦しんでいる姿を見るのが辛かった。

選手たちが全然自分らしさを出せていなかったのが何よりも残念でした。

最下位に沈んでいくチームを、最初から最後まで、味の素スタジアムから遠く離れた場所で見守りましたが、言葉を選ばずに言えば、2016年からの5年間が全て無意味に思えました。辛いとか悲しいとか悔しいとか、そんな感情を超えてただただ、無力でした。自分の存在さえ何も意味のないものに感じました。


私が代表からの落選を告げられたのは6月の熊谷合宿終盤のミーティングでした。朝の8時に全員が集合したミーティングで、HCのハレ・マキリさんから五輪メンバーの名前が淡々と読み上げられました。私の名前は呼ばれませんでした。

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