パナソニックの対スーパーラグビー交渉術・田中史朗のプレーオフ強行出場は、いかにして実現したのか? | ラグビージャパン365

パナソニックの対スーパーラグビー交渉術・田中史朗のプレーオフ強行出場は、いかにして実現したのか?

2014/02/21

文●大友信彦


パナソニックの優勝で幕を閉じたトップリーグ、プレーオフ。
多くのファンは、「パナの田中史朗は出場できるのか?」と、やきもきしたに違いない。昨年からハイランダーズで、日本人初のスーパーラグビー選手としてプレーした田中だが、その代償として、昨季は国内シーズン山場のプレーオフ、日本選手権には出場できなかった。

スーパーラグビーの開幕自体は2月中旬で、プレーオフを終えてからでも一見、間に合いそうにも思える。しかし、スーパーラグビーの各チームは12月からプレシーズンキャンプに入っている。オールブラックスのスーパースターが日本のトップリーグ開幕直前に合流するのとは話が違う。評価ゼロからチャレンジしていく立場の人間が、開幕直前に「今着きましたぁ」と、のこのこ現れても相手にしてもらえるはずもない。昨季は、田中は12月23日の神戸製鋼戦を最後にチームを離れ、ハイランダーズに合流。堀江も同じ神戸戦のあとでレベルズに合流。プレーオフ準決勝の東芝戦には一時帰国して出場したが、それを最後に再び渡豪。日本選手権には2人とも出場しなかった。

プレーオフファイナル前日の練習の様子。

プレーオフファイナル前日の練習の様子。

しかし、スーパーラグビーを1シーズン戦い、戦力として評価されて再契約を果たした2人は、1年前とは立場が変化していた。堀江はパナソニックの主将として、プレーオフまでは日本での活動を優先することで、概ね合意されていた。田中についても、昨年とは違う融通がきく状態になっていた……。
なんだか表現があやふやだぞ、と叱られそうだが、ファジーな表現になってしまうのは、この時期に日本の試合に彼らが出ることは、正式な契約に基づいているものではないからだ。

たとえば、プレーオフ前の田中の合流について。
「この時期はもともと、ハイランダーズの拘束期間なんです」と、パナソニック関係者は明かす。
「そこを我々が、ひたすらお願いして、あらゆるチャンネルを使って交渉して、こっちに出してもらったんです」

 

今季の場合、田中は1月11日の神戸製鋼戦を終えてNZへわたり、ハイランダーズの練習に参加した。渡航時点で帰国予定は未定だったが、プレーオフに向けて1月25日に帰国。1週間の準備期間を経て2月1日、プレーオフ準決勝の東芝戦に出場すると、翌2日の飛行機で再びNZへ。ハイランダーズの練習に合流し、7日(金)、NZ南島のネルソンで行われたクルセーダーズとの練習マッチに後半だけ出場すると、試合後すぐにネルソンからチャーター機でオークランドへ移動。翌8日(土)朝の便で成田へ向かった。9日(日)のプレーオフ決勝、サントリー戦に出場することで、パナとハイランダーズが合意したことをうけてのことだった。

田中も堀江も、パナソニックの契約社員という「籍」を残した上で、スーパーラグビーのクラブと契約している。日本側から見れば、「もともとこっちの人間なんだし、せめて公式戦の間くらいは…」と考えたくなる。しかし、スーパーラグビー側から見れば、「戦力になると言う判断で契約しているのだから、戦力としてスタンバイしてくれないと困る」ということになる。まして、ハイランダーズには切羽詰まった事情があった。

 

スーパーラグビーの序盤戦は、正SHであるオールブラックスのアーロン・スミスが、オールブラックス選手のコンディショニングを考慮した強制休養の対象となり、試合出場に制限がかかっているのだ。ジェミー・ジョセフ監督からすれば、アーロン不在の間は、昨季の実績のある田中をSHに起用したいだろうし、それは田中にとってもハッピーなチョイスだと思われているはずだ(短期間に何度も日本とNZを往復させることは、コンディショニングの意味でもマイナスだろう。それに、アーロンも田中も不在の間に、ハイランダーズのSHの座を次の選手が奪ってしまえば、田中は3番手に落ちてしまう可能性だってある)。田中のプレーオフ出場(のための日本往復)を渋るのは、田中のこれからを案じてのことだった面もあるのだ。

田中自身は、自分の希望を口にすることはなかった。
「チームに全部任せていますので」
自分の意志はあえて表に出さず、パナとハイランダーズのトップの交渉にすべてをゆだねていたのだ。

「優先権は向こうにある。それを尊重した上で交渉しました」と飯島部長。
監督であるジョセフだけでなく、ハイランダーズのフロントなど、チャンネルはたくさんあるが

「向こうには向こうの人間関係があるし、そのへんの温度差を考慮しながら、『行かせてもいいよ』と言ってもらうまで。向こうの朝にあわせるために、こっちの朝4時頃に起きて電話しましたよ」

田中が帰国した2月8日は、関東が40数年ぶりという大雪に見舞われた日だった。田中の乗ったNZ航空機は、成田の上空で40分も旋回して待機。定刻より1時間遅れで着陸したときには、成田空港から各地へアクセスする公共交通機関はすべてストップしていた。近隣のホテルもすべて満室で、田中は約5時間、行くあてもなく空港で待機したという。関係者が方々に当たった結果、中嶋監督の日体大ラグビー部時代の後輩がたまたま成田空港の近くに住んでいることがわかり、連絡して泊めてもらえるよう頼み込み、夜の10時過ぎにようやく落ち着いたのだった(このとき、成田空港にはたまたまサントリーの選手も知人を迎えに来ていて、やはり行く宛がなくなり、結局田中と一緒に中嶋監督の知人宅に身を寄せたという)。

結局、9日の試合は雪で延期となったが、千葉県内の交通は9日もなかなか回復せず、田中が群馬・太田に帰り着いたのは9日の夕刻だったという。
予定では、田中は9日の試合に出たら、10日には再びNZへ戻る予定だったが、決勝は11日まで延期された。飯島部長は、またNZへ電話をかけ、田中の滞在延長を頼み込んだそうだ。

かくして、田中はプレーオフ決勝に出場。
パナソニックはサントリーを破り、3年ぶりのトップリーグ王座を手に入れた。

そのような交渉を重ねた飯島部長は、個人的な思いとして「日本のスケジュールも、もっとスーパーラグビーに行きやすいように変えたらどうでしょうかね」と願望を口にした。

「それこそ昔の日本選手権が1月15日に全部終わっていたように、1月半ばで全部終われば、国内シーズンとの兼ね合いを気にしないでスーパーラグビーにチャレンジできる。日本協会も、本気で日本人選手が世界に出て行ってほしいと思うのなら、それくらいのことを考えても良いと思う。

せっかくだったら、日本にスーパーラグビーのチームをひとつ作って、日本のいい選手をそこに入れて世界のトップ選手と戦わせる。対等に戦うためには外国人選手も入れなきゃいけないだろうけど、日本の選手が世界と戦う経験を増やすには、そのくらい思い切ったことを考えないと」

すべてのチームがこのプランに同意できるかと言えば、それは分からない。

国内シーズンを2月—3月までのばし、試合数を増やすことは以前からの課題であり、2003年のトップリーグ発足以降になって、ようやく日本に根付いたカレンダーだ。このメリットを失いたくないという意見もあるだろう。
それでも、日本代表の強化には、国内試合をいくら増やしても効果を劇的に上げることは難しい。
「だったら、トップ選手を積極的に海外に送ろう」というコンセンサスがあれば、プレーオフ決勝を1月の中旬頃までに終わらせることも不可能ではないはずだ。

その先の時間をオフにするのがもったいなければ、南アフリカのヴォダコムカップのように、スーパーラグビーに入れなかった選手による編成で、国内のカップ戦を行えばいい。それを日本選手権と位置づけることも可能だと思う。

田中と堀江が先鞭(せんべん)をつけた。リーチマイケルもチーフスへ渡った。今年は立川理道がブランビーズに渡った。今後も、スーパーラグビーへの挑戦する選手は増えるだろう。

スーパーラグビーを経験してきた田中と堀江の成長は、疑いなくジャパンの戦闘能力を向上させていた。
ジャパンの進化を加速させるために、飯島部長の願望がかなう日は、果たしてくるだろうか?


 

大友信彦
1962年宮城県気仙沼市生まれ。気仙沼高校から早稲田大学第二文学部卒業。1985年からフリーランスのスポーツライターとして『Sports Graphic Number』(文藝春秋)で活動。’87年からは東京中日スポーツのラグビー記事も担当し、ラグビーマガジンなどにも執筆。プロフィールページへ


 

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