五郎丸歩引退記者会見「ラストワンシーズン」プロ契約したその日の決意を貫く | ラグビージャパン365

五郎丸歩引退記者会見「ラストワンシーズン」プロ契約したその日の決意を貫く

2020/12/16

文●編集部


12月16日、トップリーグ・ヤマハ発動機ジュビロに所属する、FB五郎丸歩選手が浜松市内で引退会見を行った。これまでの写真を織り交ぜながら余すことなくお届けする。

「シーズン前に会見をすることは、自分自身で決めたこと」

12月9日にチームの方から正式にアナウンスがあった通り、2021年1月16日に開幕しますトップリーグを最後に、現役を引退する決意をしました。3歳から始めたラグビー選手を終える寂しさもありますが、32年間、全力で走り抜けてまいりました。私には残り1シーズンしか体力、気力はともに残っていません。これまで支えてきた皆様、また関わっていただいたみなさまには本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

本日、引退発表会見を開かせていただいていますが、私には残り1シーズン 残されています。みなさまに対しての感謝の思いを胸の中に秘め、背負い、全力で戦い抜いていきたいと思っております。

――引退を決意したタイミング、経緯に関して


私はヤマハ発動機ジュビロという素晴らしいチームと22歳でプロ契約をさせていただきました。契約した瞬間から35歳まで第一戦で戦い抜くと決意して契約したことを昨日のように思います。その瞬間から、この日が来ることを 自分の中でも決まっていたかのように思います。ですので、ここ数年、数ヶ月という短いスパンではなく、長いスパンで引退という日を迎えることになりました。

シーズン前に引退発表会見をすることは、私自身が決めたことでございます。思い返せば、2015年ワールドカップ(W杯)の期間中、W杯期間後に本当に多くの方々にラグビーを知っていただきましたし、応援していただきました。

新たにファンになっていただいた方、昔からのファンの方、本当に長くラグビーを応援してくれたおかげで、アジア初開催となった2019年W杯日本大会が大成功したと感じています。

――引退後について


引退後のことは、まったく白紙でございます。私自身の性格を取っても、2つ同時に考えられるような、そんな起用な人間ではございません。不器用ですが、目の前のことを積み上げてきた人間ですから、シーズン後のことは、シーズン後、自分の役目を終えた後、しっかり考えたい。

――早稲田大学卒業後、ヤマハ発動機に決めた理由は?


このチームを選んだのはまず、一番に声をかけていただきました。そして、このチームがまだ優勝したことのないチームでしたので、そんなチームに入って、みんなと切磋琢磨する中で、そのチームが取ったことのない日本一というタイトルをみんなとともに取りたいと決意を持って(ヤマハを)選びました。

そういった強い気持ちをもっていたからこそ、(2009年の)リーマンショックでプロ契約を廃止となりましたが、このチームにとどまり、痛みを分け合い、そして、この日を迎えたということになりますかね。

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――引退を決めた理由は、静岡に来られて10年以上になります。


引退を決意したタイミングは、契約をしたときから35歳という歳を迎えるときに引退しようと決意を持ったのが引退の大きな理由の1つです。12年、13年ですかね、その気持ちは変わらなかった。


――静岡に来て10年以上になります


静岡に来て13年目になりますが、日常が僕の中では幸せなことですね。練習に向かう車、食べるものが美味しかったり、海が近かったり、日常から癒やしをくれる街、人々だと感じています。

――自分のパフォーマンスどうこうあれ、35歳で引退を決めていた?


選手としては35際までやりたいと、自分のパフォーマンスを出せるのは35歳という思いが強かった。アスリートは体力だけでなく、気力も大事。気力の部分が自分の中で衰えていることを感じ、この35歳という節目で、自分が現役を退くことが、自分にとっても周りにとってもベストだと思い決断しました。

――SNSで「ラストシーズン、自分らしく」という言葉を書いていました、五郎丸選手が考える「自分らしさ」とは?


私自身は、力強さを自分のモットーとしていますし、「日々の努力 夢への近道」という言葉を大事にしていますが、試合のときだけでなく、試合に対しての準備をしっかり大事にしながら、試合に向けて、ラストシーズンに向けて努力していきたいと思います。

思い出に残っていることに一番はつけられない。でも、2015年の南ア戦はずっと残っています

――今までのラグビー人生で、一番思い出に残っている試合はシーンは?


32年もラグビーやっていると 一番を選べなくなりますが、日本のラグビーの歴史を変えた、あの南アフリカ戦は心に残っている。次のスコットランド戦で大敗したことも思い出の一つですし、ヤマハとして入れ替え戦を戦ったゲームも自分の中では一番です。一番を選ぶのは難しい。すべての試合、練習が自分の中では一番、一番を選ぶことはできない。

――最後のシーズンですが、シーズンに対しての思いは


後輩の子たちに残すといった考えは今のところない。同じ現場、フィールドに生きている人間ですから、上も下も。まずはそんな彼らとレギュラーを争うことがプロ選手としてやることと感じています。

2014-2015年シーズンの日本選手権制覇。トップリーグではまだタイトル獲得していないヤマハ

2014-2015年シーズンの日本選手権制覇。トップリーグではまだタイトル獲得していないヤマハ

――ヤマハとしては、まだ見ていない景色があります。


ヤマハとして 初めて日本一を取ったタイトルは日本選手権です。1月16日に開幕するトップリーグはまだ取れておりません。このタイトルを取ることが このチームが一つ二つとステップアップする大きなタイトルだと思いますので、まずはここに集中して頑張っていきたい。

――早稲田大学時代の一番の思い出


難しいですよね、一番を選ぶことは。早稲田大学時代、大学に入学するまで、日本一というタイトルを経験したことなかったので、まずは大学1年で日本一を取った瞬間は特別な瞬間でした。その翌シーズンの日本選手権で、トップリーグのトヨタ自動車に勝ったことは、あの2015年W杯に大きくつながっていると思います。

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――2023年W杯で日本代表に期待していることは?


2023年のW杯に期待することは、対戦相手も決まりましたし、何かの縁で、エディー・ジョーンズHC率いるイングランドと対戦が決まったのは、何か宿命というものを感じます。ラグビーが生まれたイングランドという素晴らしいチームに勝利することで、また日本のラグビーの価値、スポーツの価値が高まっていくと思うので、後輩たちには、そこを最大のターゲットにして頑張ってほしい。

――ラグビー文化として日本に根付かせたいと話していましたが、その達成度は?


みなさんのおかげで、アジア初開催となったW杯がこれだけの成功したのは、ラグビー界にとって、本当に大きなことだったと感じています。W杯後のシーズンは大事でしだが、新型コロナの影響で、6試合戦った後、中断、終了したことは非常に残念に思いますが、1月16日に開幕するTLでみなさんの期待に応えられるように、ラグビー界あげて頑張っていきたい。

――2005年初代表に選ばれて以降、W杯まで10年かかりました。


W杯には本当に縁がない人間でしたが、エディーHCというすばらしいヘッドコーチに縁があり、呼んでいただいたことにより、自分が3歳から続けてきたラグビーに対して、大きく貢献できたことを嬉しく思います。

2005年、初キャップの五郎丸歩

――福岡で過ごした小、中学時代から貫いたことは?


「日々の努力、夢への近道」という言葉が自分にはピッタリかな。3歳からラグビーを始めて、小学校4年でラグビーを止めて、小学校4年、5年、6年とサッカーをやって、またラグビーに戻るわけですが、あまり先のことを考えずに、目の前の与えられたこと、環境で、一つ一つ積み上げた結果が今につながっていると思っております。

――2015年W杯がきっかけで、五郎丸選手に憧れて、ラグビーを始めた子どもが増えました。


まず、このラグビー選手として日本代表のジャージーを着たいという子どもたちが増えていることに嬉しく思います。2015年W杯を戦う前は、そういった子ども少なく、そういう環境を変えたいと2012年に始まったエディージャパンの過酷なトレーニングでしたが、そのトレーニングをしっかり4年、耐え抜き一つラグビーというものを憧れるステージに上げられたことを非常に嬉しく思っています。2019年W杯は、私は出場しませんでしたが、日本代表がラグビー、スポーツの魅力を多くの方々に発信していただいた。

――シーズン前に引退会見する理由は?


引退発表会見は、シーズンを終えた後にするのが、本来の形であると理解しております。しかし、昨シーズンも新型コロナの影響で6試合を持って終えたことが大きな要因です。もう一つの大きな要因は、2015年W杯後から本当に多くの方に応援していただき、支えていただいた。そういった方々に、もしかしたら途中で中断してしまうかもしれない、このシーズン前に、しっかりした形でご挨拶させていただき、自分のラストシーズンを迎えることが、みなさまに対する私が考える礼儀として考え、この会見を承諾していただいた形になります。

ラグビーはヒーローが出るわけではなく、チームみんなが役割を全うして勝利が見える。

――2015年、五郎丸ポーズが流行ったときの心境と、今の心境は? 


ラグビーをずっと続けた人間としては、やはり一人にフォーカスされることに対する違和感は、もちろん感じました。ラグビーはヒーローが出るわけではなく、チームみんなが役割を全うして勝利が見える。そういったラグビーを3歳から経験しているので、私ひとりにフォーカスが当たることに非常に違和感を感じましたが、ラグビーという競技がこの日本で広がっていない以上、私がその仕事といいますかね、ラグビーの魅力を広げていくことが自分に与えられた使命だと思い、ここまでやってきた。

最初は少しきつかったですけどね。考え方を変えれば、素晴らしい機会をいただいたと思います。うん、あのポーズから入って、ラグビーを好きになった、また違う選手を好きになったという方々が一人でもいれば、私がラグビーをしてきた、続けてきた意味があるのかなと思います。

――エディーはどんな存在ですか?


間違いなく、自分の人生を大きく変えてくれた存在の一人だと思っております。


――大学1年の夏、元イングランド代表SOウィルキンソンにキックを指導された


本当に大きな機会をもたしていただいたと思います。ウィルキンソンさんのポーズが(私に)似ているといわれるが、そんなことよりも、世界のトップの選手がここまでキックにこだわってプレーするのかということを、自分の目で見られたことが、キックに対しての姿勢も変わり、素晴らしい刺激をいただいた。

――今、ラグビーをやっている子どもたちへメッセージ


日本のラグビーはここ数年で、大きく変わってきました。私が小さいときに見ていた日本代表よりも、はるかに強くなってきました。個人としても松島幸太朗や姫野選手など、そういった選手が海外に出て、海外で活躍する個の選手も多くでてきました。私が小さいときには考えられなかった。チームとしても2019年には初のベスト8にたどりついた。本当にラグビー界は世界レベルに年々上がっていると思っています。そういった高い目標を現役のトップの選手が今、示してくれているので、そういった選手に負けないように、そういった選手を追い抜くように日々努力してほしいなと思います。

――なぜ引退の年齢を35歳にしたのか


なんで、でしょうね? 22歳の当時に僕に聞いてみたいですけど。おそらく パフォーマンスを第一線で出し続けるのは、自分自身は35歳が限界と感じたのだと思います。


――最後に


本当にこれまで多くの方々に支えていただきまして、本当にありがとうございました。私自身にはラストワンシーズン残されています。ラストワンシーズン、全力で戦って参りたい。熱い声援をよろしくお願いします。

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