「無事是名馬」だった学生時代。高校時代はキッカーも―― 早大・相良南海夫、新監督の学生時代 | Rugby Japan 365

「無事是名馬」だった学生時代。高校時代はキッカーも―― 早大・相良南海夫、新監督の学生時代

2018/04/19

文●大友信彦


2018年、早大ラグビー部に新しい指揮官が着任した。
山下大悟前監督が不振の責任を取って退任したことを受け、新たな指揮官に就任したのは相良南海夫(さがら・なみお)新監督だ。

だがその素顔を知る人は多くないかもしれない。
早大学院時代に花園出場を果たし、早大では2年でレギュラー獲得。
清宮克幸主将のもとで大学日本一を達成したチームで、FW8人中7人を4年生が占めた上級生中心のチームで唯一、下級生からレギュラー入り。チャンスへの鋭い嗅覚でトライを量産したオフェンシブなフランカーだった。
堀越正己が率いた1990年度をはさみ、最上級生になった1991年度には主将を務めた。日本代表歴はないが、三菱重工相模原に進んでラグビーを続け、2007年度には三菱重工相模原ダイナボアーズ監督としてトップリーグ昇格を果たした――。

今回、発掘したのは、そんな相良新監督が、早大の主将に就任した当時の紹介記事だ。
記事は年度初めのものだったので触れられていないが、このシーズン、早大は大学日本一を奪回できず、大学選手権準決勝で大東大に敗れた。
順風満帆な経歴とはいえないだろう。だが、そんな経験が、創部100周年を迎える名門・早大に新しい風を吹かせるかもしれない。

早大の新監督は、学生時代はどんな選手だったのか――元号が平成に変わって間もない頃、東伏見のグラウンドで皮のボールが土埃をあげていた時代へ、タイムトラベル。

「日本一をとってほしい、とれるチームを作れるヤツ、という点で選びました」前主将の堀越正己がそう評した、ワセダの新キャプテンが相良南海夫だ。


2年生の一昨季(1989年度)、先輩の内匠優(当時4年・東京電力)、 同期の高校ジャパン組・佐藤孝明が争っていた右フランカーのポジションを奪い、筑波戦でデビュー。その試合で終了10分間に足を攣って退場したものの、以後は丸2シーズン全試合に出場。“無事是名馬”である。

早大学院3年のときは、花園を懸けた本郷との決勝戦で残り3分、16対15と逆転するPGを決めた男だ。ちなみに当時、相良は副将。高校時代に主将だった守屋泰宏(SO)は4年後、今度はロック今西俊貴とともに相良をサポートする副将となった。

「あのときは守屋がキャプテンで自分かゴールを決めて勝ったから、今度は逆でいきたいですね」


と、心ははや、次の正月にある。


 「去年(大学選手権決勝で)負けてますから、準優勝より上の成績を残すことが絶対の目標です。そして、日本一を奪回する」。


一昨季(1989年度=清宮克幸主将)、大学日本一を達成したチームのFWから一気に7人が抜けた昨季、残ったレギュラーは相良ひとりだった。春から「弱体FW」と言われ続けたが、それがシーズン本番にはしっかり力をつけていた早大エイト。「一人でもケガしたら替えがいない」といわれた状態で「これしかない」強化プログラムを貫いた結果が、二度にわたった早明名勝負の原動力だった。

 

プレミアムコラム

この記事は有料コンテンツです。

購読手続をすると全ての内容をお楽しみいただけます。
メールアドレス
パスワード

記事検索

バックナンバー

メールアドレス
パスワード
ページのトップへ