サクラフィフティーン 世界挑戦のこれまでとこれから 1991年のW杯初挑戦から苦闘、躍進、そして新たなスタート | ラグビージャパン365

サクラフィフティーン 世界挑戦のこれまでとこれから 1991年のW杯初挑戦から苦闘、躍進、そして新たなスタート

2022/05/11

文●大友信彦


日本女子ラグビーが世界への挑戦を始めたのは1991年だった。

1983年に東京、名古屋、松阪で、ほぼ同時に女子ラグビーチームが誕生。翌1984年に世田谷レディースが名古屋へ遠征して、ブラザー工業レディース(名古屋レディースの前身)、松阪レディースとの3チームで日本で最初の女子チーム同士の試合を行った。そして1988年4月に「日本女子ラグビーフットボール連盟」が発足。同年11月に国内女子大会の草分けとなる「交流大会」が始まった。

1991年4月、第1回女子ワールドカップがウェールズで開催され、日本は参加12カ国のひとつとして出場する。当時は日本ラグビー協会とは別組織で、ジャージーにもサクラのエンブレムはつかなかった。
最初の挑戦はフランス、スウェーデン、スペインと対戦して3戦3敗に終わったが、続く1994年の第2回スコットランド大会では初戦でスウェーデンを10-5で破り記念すべきワールドカップ初勝利。1998年大会は海外とのテストマッチ不足を理由に招待されないという憂き目を見たが、2002年の第4回スペイン大会ではプール戦でオランダを37-3で破り「男子より先にワールドカップ2勝目」をあげた。この大会からはジャージーにサクラのエンブレムがつけられ、前ワールドラグビー理事の浅見敬子・現在日本協会副会長もSHで出場していた。

だがその後、日本女子の世界への扉は閉ざされてしまう。第1回ワールドカップに出場した旧ソ連代表の流れを汲むカザフスタンがアジア予選に参加。アジアでは圧倒的なサイズ、パワー、スピードを武器にするカザフスタンに、日本は2005年のワールドカップ予選決勝で3-19、2008年アジア選手権決勝で3-39、2009年アジア選手権決勝で5-43、2012年アジア4カ国対抗決勝で8-17と道を阻まれ続けた。

プレミアムコラム

この記事の続きを読む。

購読手続をすると全ての内容をお楽しみいただけます。
メールアドレス
パスワード

記事検索

バックナンバー

メールアドレス
パスワード
ページのトップへ