2016年リオ五輪では日本女子の五輪最初のトライをあげた。
北海道の大地で育ったスケールの大きなプレー。サクラセブンズのパワーハウスとして活躍した桑井亜乃さんは昨年8月末に現役引退を発表し、レフリーへ転身。24年パリ五輪にレフリーとして出場することを次のターゲットに据えた。(詳しくは こちらの記事を参照)。ラグビージャパン365では6月21日、現在イングランドにレフリー留学している亜乃さんにオンラインでトークライブ兼公開インタビューを実施。レフリー修行の現況を伺った。本誌ではその様子を採録でお届けする。
――イングランド入りして1カ月ちょっとですね。ではこれまで何大会くらいレフリーをされたのですか。
5月10日にこちらにきて、こちらのセブンズのシリーズ(スーパーセブンズUK)が4大会のうち3大会ありました。それとオランダのアムステルダム・セブンズにも行かせてもらったので、これまで4大会を吹かせていただきました。
――ひとつの大会では何試合くらい担当するのですか。
最初の大会は3試合でした。まだお試しというか、どれだけできるか分からないし……という感じだったと思います。でも、その大会でそこそこやれると評価していただけたのか、次の大会からは増えて、2大会目と3大会目は6試合ずつ吹かせていただきました。
――大会は2日間ですか。
アムステルダム大会は2日間でしたが、こちらのシリーズはワンデー大会です。
――1日で6試合はキツそうですね。
そうですね。試合のあとは念入りにケアするのですが、試合を重ねた最後の方は、ダメージが残ってるな、と感じながら吹くときもありました。でも疲労は翌日以降にドッとくるので、私は1日で6試合の方がまだラクというか。2日で6試合を吹いたアムステルダムのほうがしんどかったかな。
――アムステルダムの大会は国際大会ですね。
はい。ワールドシリーズには入っていませんが、伝統ある大会で、6面くらいグラウンドがあって、男子も女子もエリートからソーシャルまでいろんなグレードの試合が並行して行われています。私は1日目が男子を3試合、2日目は男子1試合と女子2試合を吹いたのですが、グラウンドごとにレフリーコーチの方がいて、毎回違うコーチからレビューしてもらえました。いろんなコーチに見ていただいた結果として、女子の決勝を吹かせてもらえることになりました。
――同じ大会で男子の試合と女子の試合の両方を吹くのは日本ではなかなかできない経験ですね。
スーパーセブンズUKの最初の大会では女子の試合だけだったのですが、そのときに、男子のスピードにもついていけそうだな、と判断していただいたのかな。2大会目からは男子の試合が多くなりました。3大会目は6試合のうち4試合が男子の試合でした。
3大会目で中国チームの試合を吹いたときは、いま中国代表のコーチをしている元イングランド代表のダン・ノートンさんが選手で出ていたんですよ。これが速すぎる! しかもトライをしたらすぐにコンバージョンを蹴って、メチャメチャ速いジョグで戻って次のキックオフを蹴るんです。レフリーは休む暇が全然ないんです(笑)。男子の試合を吹いた後は心身ともにかなり消耗しますね。
――英語でのレフリングはいかがですか。
英語は正直、まだまだですが、セブンズは割と大丈夫なんです(笑)。15人制だとレフリーが選手に説明したり、コミュニケーションを取る場面が多いですが、セブンズは展開が早い。ペナルティがあればアタック側はクイックでスタートするから、反則を取られた側も文句を言わないで急いで下がる。カードが出れば全速力で椅子のところへ走ります。試合ではジェスチャーと雰囲気で大体いけます。悪いプレーがあったら睨む(笑)。ただ、レフリー同士のレビューや勉強会では細かいニュアンスも大切になるので、そういうときはスマホの翻訳機能に助けられています。
――今回の留学の経緯を聞かせて下さい。
3~4月にフィジーにレフリー研修の留学をさせてもらって、マリストセブンズという伝統ある大会でファイナルを吹かせてもらったんですが、そのときから自分の経験不足を感じて『もっと場数を踏まなきゃダメだな』と思ったんです。
そこで、海外の友達とかにいろいろ連絡を取って、どこでどんな大会をやってるか、吹かせてもらえそうな大会はないか、情報を集めていて、イングランドで1カ月半の間に4大会があることを知り『これは、貯金をはたいてでもいいから行きたい』と思いました。ちょうど太陽生命シリーズの時期と重なるんですが、海外の試合を吹く経験を積みたかった。
そこで、自分で企画書を書いて、日本協会のレフリー部門に提出して、派遣を承認していただきました。選手時代からサポートいただいているスポンサーの方々も変わらず応援してくださっていますし、たくさんの方に助けていただいて、ここへ来ることができました。感謝しています。
――大会以外の日はどんな過ごし方をしているのですか。
週に2回、レフリートレーニングの日があります。火曜日はタッチフットがメインで、ゲーム感覚とフィットネスを鍛えています。そして木曜日はフィットネスの日。私は選手時代からフィットネスが課題だったので、現役のときと一緒で毎回ヒヤヒヤしています。集まるのはだいたい20人くらいで、皆さん他に仕事を持っている方ばかりです。女性は私を入れて3~4人くらい。
私はロンドンの北の方、ハーペンデンという町でホームステイさせてもらっているのですが、サラセンズの練習拠点が近くにあるんです。練習場所まで自転車で行く途中に、オーウェン・ファレルさんの家があるんです。有名なんですよ。本人を見かけたことはさすがにありませんが(笑)。
食事は、ホームステイ先でいただくのと、町にある日本食のレストランにも時々行きますし、困ることはありません。
――印象的な出会いはありましたか。
アムステルダムの大会では女子のファイナルを吹かせていただいたんですが、そこにカザフスタンのチームが勝ち上がってきたんです。カザフスタンは私たちサクラセブンズにとってアジアのライバル。リオ五輪のアジア予選を戦ったときの選手がまだ頑張っているのを見て、鳥肌が立ちました。そんな選手が出ている試合を、かつて戦った私が吹かせてもらえるなんて幸せだなと思いました。
――レフリーとして成長できたなと感じる部分は。
私の強みはスピードだと思っています。そこは、男子の試合をたくさん吹かせてもらうことで鍛えられたと思うし、予測する力もついたと思う。あとは苦手な部分、ボールが下がったときの反応とか、後方へ反転しての加速とか、そういうところを克服していきたい。ただ、そういう部分もこちらに来たから気づけたところが多い。思い切って来なければ見えなかった課題もある。
それと、少しずつですが、私という存在をいろんな人に知ってもらえたこと。ワールドシリーズのフランス大会があったときには、トゥールーズへ行って、レフリーチームの方々とお話しする機会もいただけました。本当に、たくさんの方にサポートしていただけて、いい経験を積めていると思います。チャレンジして、本当によかった。
――桑井さんにとってレフリーへのチャレンジとは。
私は、チャレンジすること自体に意味があると思っています。達成した先に何があるのかは分からないけれど、その先に行ってみたい。今はまだ女性レフリーは少ないけれど、引退した選手がレフリーになって世界に出て行ったら、どんな経験ができるんだろう。
その道を私が切り開いたら、これからの選手にも選択肢を示せるかもしれないし、そこから私自身の選択肢も増えていくかもしれない。正解なんてないけれど、チャレンジした先に見えてくるものがきっとあると思って、今はチャレンジすることを楽しんでいます。
こちらに来てからもいろんな方の支えがあり、大会にも参加させていただいて、サポートしていただいて、本当に感謝の毎日です。結果を出すことが私の使命だと思っています。
亜乃さんは6月25日にスーパーセブンズUKの最終戦・アルダーショット大会のレフリーを務めたあと、ポーランドで行われる大会を吹いてから帰国する予定という。
「ポーランドの大会も、こちらに来てからラグビーヨーロッパの方に招待していただいて、行けることになったんです」
挑戦は、時に意図しなかった方向へも自分の未来を広げることがある。
その運命に、軽やかに乗っていくフットワークが頼もしい。
2024年、パリ五輪でレフリーを――。
実現へのハードルはまだまだたくさんあるだろう。だが、亜乃さんはその目標に向かって、立ち止まることなく歩み続けていた。
あわせて読みたい!桑井亜乃さん特集
8月31日、桑井亜乃は、ラグビー選手として現役を引退すること、八木橋百貨店を退社することをSNSで発表した。ツイッター、フェイスブック、インスタグラム……どの投稿にもたくさんの「いいね!」がつき、労いと引退を惜しむコメントが書き込まれた。
亜乃さんの瞳は少し赤くにじんでいた。
「最後までオリンピックを目指したかったから……それに、太陽生命シリーズが初めて熊谷で開催される大会だし、地元でずっと応援してくれてた人たちの前でプレーしたかったんです」
「昇格大会は、勝ちも負けも経験していますから。どちらのときも、その気持ちはよく覚えています」
ワールドシリーズ昇格大会に向けた福島・いわき合宿で話を聞いたとき、桑井亜乃はそう言った。
大友信彦 (おおとものぶひこ) 1962年宮城県気仙沼市生まれ。気仙沼高校から早稲田大学第二文学部卒業。1985年からフリーランスのスポーツライターとして『Sports Graphic Number』(文藝春秋)で活動。’87年からは東京中日スポーツのラグビー記事も担当し、ラグビーマガジンなどにも執筆。 プロフィールページへ |