地を這う低いタックルで海外の選手たちを倒し続けた。梶原宏之さんは日本代表の歴史に刻まれる猛タックラーであり、ラグビーワールドカップ1995ではオールブラックス(ニュージーランド)戦で2トライを挙げるなど日本歴代2位のラグビーワールドカップ通算3トライを挙げているレジェンド。そして、ラグビーワールドカップ2019のアンバサダーとして日本大会の盛り上げに尽力している。タックルレジェンド梶原さんが語るラグビーの魅力、ラグビーワールドカップの魅力、そしてラグビーワールドカップへの思いとは?
2019/06/11
提供:WOWOW
――梶原さんが、初めて世界のラグビーを意識したのはいつ、どこのチームでしたか?
私は山梨県の日川高校1年でラグビーを始めたのですが、初めて見たラグビーの国際試合は日本対ウェールズという試合(1983年)で、友達の家に行って一緒に見た覚えがあります。サイズも展開力もあるウェールズを相手に日本代表がものすごいクロスゲームを演じて、自分も将来日本代表になりたいなと、そのとき初めて思った記憶があります。
当時の日本代表で一番光っていたのはスタンドオフの松尾雄治さんと、センターで出ていた平尾誠二さんでしたが、私はフランカーで出ていた千田美智仁選手の、チームに貢献する、献身的なプレーに憧れました。千田さんを筆頭に、日本の選手は全員、低いタックルで大きなウェールズの選手に向かっていって、感動しました。
――そして実際に、自分が日本代表になって素晴らしい勝利をあげます。
私が初めて日本代表になったのは社会人の1年目(1989年)で、宿澤広朗さんが監督、平尾誠二さんがキャプテンになって最初の試合でした。初めてのテストマッチで、秩父宮でスコットランド戦で、非常に緊張しましたね。スコットランドは当時のヨーロッパでも強いチームで、フォワードはよく走るしバックスは決定力がある。ずっとディフェンスばかりしていて、ボールに触ったのは1回か2回しかなかった(笑)。でも、チームは宿澤さんと平尾さんを中心にやることを明確にして試合に臨んでいたので、イメージ通りに戦えて、勝利に貢献することができました。
――ボールを持たなかったという梶原さんですが、後にラグビーワールドカップで素晴らしいトライをあげることになります。
スコットランド戦の翌年にラグビーワールドカップの予選があって、その翌年(1991年)に第2回ラグビーワールドカップがありました。これは初戦がスコットランド、2戦目がアイルランドと、共に相手の本拠地で、完全アウェーの中での試合でした。そのときは相手の選手の気合い、スタンドの雰囲気、相手の準備の厚みなど「ラグビーワールドカップは違うなあ」と感じました。
それでも、当時は日本も素晴らしい選手が揃っていて、特にバックスは松尾勝博さん、平尾さん、朽木英次さんというフロントスリー(スタンドオフと両センター)が仕掛けて、外にいるウイングの吉田義人、フルバックの細川隆弘にいいボールを送っていました。アイルランド戦で私があげたトライも、自陣のフリーキックから吉田が素晴らしいスワーブ(外側にコースを変えて弧を描くように加速する技術)で相手を抜いて、サポートした松尾さんが相手にタックルされたところでパスを受けた私がトライした。まさに『ごっつぁんトライ』でしたが、日本らしさが出たプレーだったと思います。
――梶原さんは、ラグビーワールドカップ1995では、オールブラックス(ニュージーランド)戦で2トライをあげました。
1995年の大会は本当に世界との差を感じた大会でした。それはアマチュアとプロの差です。ラインアウトでジャンパーを持ち上げるリフトのスキル、チーム全体の戦略、戦術など、日本と世界の差が本当に開いていた。日本は初戦でウェールズに、次にアイルランドに大敗して、決勝トーナメント進出が消えてからオールブラックスと対戦しました。全員、オールブラックスと戦えるという喜びは感じていたのですが、やはり2試合を戦った疲れは体に残っていて、向こうのパワーとスピードに圧倒されてトライを量産されてしまいました。
それでも日本は薫田真広キャプテンがチームをまとめて、何とかしよう、一矢報いようとしていた中で、私の2トライが生まれたんです。ひとつは『8-12』と呼んでいた、スクラムからシナリ・ラトゥが持ち出して、クイックでセンターの元木由記雄につなぐサインで、そこからフルバックの松田努が大きくゲインして、最後に相手フルバックのオズボーンをかわしたところで私がボールをもらいました。
もう1本は、当時の日本がスローガンにしていた『縦縦横』という大まかな戦術で、ラトゥが縦に突破したあと外に展開し、センターの吉田明がタックルされたところでサポートしていた私がボールをもらったものです。大敗したのは悔しかったけど、あの2トライは、最後まで決して諦めない日本のプライドを見せてくれたと、現地の方からも労いの言葉をいただきました。
――そうして戦ったラグビーワールドカップは、梶原さんにとってどういう大会でしたか?
やはりラグビーの世界最高の舞台ですからね。すべての選手がそこを目指して努力するし、各国のユニオンは威信をかけて準備して、実行する。大会を運営する側もすごいです。私が出たとき、初勝利をあげた日本対ジンバブエは、北アイルランドのベルファストというところでやったのですが、プール戦で敗退が決まった国同士の戦いに満員の観衆が集まって、試合が終わったらみんなピッチになだれ込んで、選手に握手やサインや記念撮影を求めてきました。
ラグビーの文化が深く根付いているんだなと感じましたね。まあ、世界のラグビー自体が今よりものんびりしていて、ラグビーワールドカップでもプール戦の試合は中3日で組まれていたし、そのスケジュールでも試合後は毎回両チーム一緒にアフターファンクションでお酒を飲んでいた。試合が終われば互いをリスペクトして友情を育むという古くからのラグビーらしさが残っていました。
1995年に対戦したオールブラックスで出ていたケヴィン・シューラーは、その後日本でプレーしたんですが、日本で再会したとき彼は「あのときお前と交換した日本のジャージーは今も飾っている。あの試合で、お前は日本チームで唯一諦めないで戦っていた」と言ってくれました。そんなことないんですが(笑)、嬉しかったですね。
――フランスの印象も聞かせてもらえますか。梶原さんが出場したラグビーワールドカップ2大会では対戦していませんが…。
セブンズ(7人制ラグビー)では何度か戦ったことがあります。フランスもすごく好きなチームです。私がラグビーを始めたころは、ちょうどフルバックのセルジュ・ブランコ、センターのフィリップ・セラ、フランカーのジャンピエール・リーブといった世界的なスター選手が揃っていて、どこからでもアタックして、次々とサポートがわき上がってくる『シャンパン・ラグビー』の時代でしたからね。そのアタッキングラグビーを支えていたのが強固なスクラム。フィジカルの強さ。それが、予測のつかないラグビー、下馬評をくつがえす大物食いにつながっている。本当に楽しませてくれます。
縁があって、何度かフランスへ行ってフランス協会の方々に面会するためにお邪魔したり、現地の試合運営を視察したことがあります。フランスでは人気ナンバーワンのスポーツはサッカーですが、ラグビーはそれに次ぐ2番目の位置を占めていて、『TOP14』はほとんどすべての試合が満員で、新聞には毎日ラグビーの話題が載っている。ラグビーそのものもそうですが、感心したのは組織運営ですね。協会の運営がまるで会社みたいにキッチリしていて、有能な人材を採り入れている。「ラグビー選手だった人はあまりいないんですね」と聞いたら「いるわけないだろ!」と返されましたが(笑)。
フランスのコーチングの講習会も覗かせてもらったんですが、感心したのは子供たちに「相手ディフェンスがいる手前でパスするな、必ず抜いてからパスしろ」と言っていたことです。ぶつかるな、ラックにするな、だけどどう抜けば良いかとかいう方法は教えずに、自分で考えさせる。フランスの選手って人によって抜き方、走り方がみんな違う、個性的なところが魅力ですが、こういうふうに育ってきているからなんだなと納得しました。インパクトありましたね。
――梶原さんはラグビーワールドカップ2019のアンバサダーでもありますが、日本のみなさんに、ラグビーワールドカップをどのように楽しんでほしいと思いますか?
まずは、日本代表をみんなで応援して、サポーターも、観戦者もワンチームになってほしい。ただ、他のチームも同じくらい応援してほしいかな。私自身はアンバサダーとして、子供たちがラグビーをする機会を増やせるよう、普及の面で頑張りたいと思っています。
できれば、これまでラグビーがあまり普及していなかった地域に行って普及活動をしたい。ラグビーを見たことのない人がなじめるように、わかりやすい、初心者でも楽しめるラグビーの見方、作戦などの特徴などを伝えて、一人でも多くの人にラグビーワールドカップを楽しんでほしいです。
――梶原さんがイチオシの注目選手は誰でしょう?
まず日本では、やはりリーチ マイケルです。3月に山梨でラグビーワールドカップを盛り上げるイベントを開いたとき、450人くらい集まったんですが、リーチのスピーチにはみんな感動していました。言葉自体は多くないんですが、言葉の重み、静かな言葉の中からわき上がる闘志が伝わってくる。彼の選手生活でも今はピークと行ってもいい時期だと思うし、是非注目してほしいです。
海外では、私としては是非フランスに活躍してほしい。山梨ではキャンプと共に交流事業もしますから(笑)。そういう意味で期待しているのはセンターの(マチュー・)バスタローですね。ああいう選手がラグビーワールドカップで暴れてくれると、ひと波乱起きますからね、以前のシャバルみたいに。ここ数年はシックス・ネーションズでも不振が続いていますが、ラグビーワールドカップ本番の一発勝負で番狂わせを起こすのはやっぱりフランスだと思う。是非注目してください!
梶原宏之(かじはら・ひろゆき)
1966年9月28日、山梨県勝沼町生まれ。52歳。日川高1年でラグビーを始め、筑波大を経て東芝府中(現・東芝)へ。社会人1年目の1989年、宿澤広朗新監督の就任した日本代表に抜擢され、デビュー戦でスコットランドを破る金星をあげる。ラグビーワールドカップ1991出場。アイルランド戦でラグビーワールドカップ初トライ。1994年に山梨県の高校教員に転職し、ラグビーワールドカップ1995には県立白根高校教員という肩書きで出場した。ニュージーランド戦で2トライ。その後、桂高、日川高を率いて全国高校大会出場。県教育委員会勤務を経て2019年から山梨学院大学ラグビー部監督。
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