アルゼンチン「波乱を乗り越えたプーマス」 | ラグビージャパン365

アルゼンチン「波乱を乗り越えたプーマス」

2012/08/03

文●大友信彦


まもなく開幕する「ザ・ラグビーチャンピオンシップ」ニュージーランド、オーストラリア、南アフリカという、過去のワールドカップで2度ずつ優勝している強国の中に、今年から割って入るのがアルゼンチンだ。
2007年ワールドカップでは世界3位に躍進した南米の雄。今では誰もが認める世界の強国。しかし、彼らが強豪の座に上り詰める前の歴史は、あまり知られていない。
今回は、いまだワールドカップ通算1勝、という意味で日本と「同格」だった第4回ワールドカップ前、「Number」1999年ワールドカップ展望号に掲載した「波乱を乗り越えたプーマス」をUP。
世界の檜舞台に躍り出る直前、夜明け前のプーマス、後に世界ラグビーのスターとなるアグスティン・ピチョットのブレイク前の息吹に、タイムトラベル!

アルゼンチンと聞いて、ラグビーを想像する人は少ないだろう。サッカーでは世界に冠たる実績と実力を誇る南米の大国。だが実は、ラグビーでもかなりの強豪なのである。

アルゼンチン代表ロス・プーマスは、過去のW杯では決勝トーナメント進出こそないが、91年の第2回大会では豪州と19-32の壮絶なトライの奪い合いを、95年の前回大会ではイングランドをノートライに封じる死闘を演じている。

特にアルゼンチンの本領が発揮されるのは本拠地ブエノスアイレスでの戦い。85年にNZと引き分けたのを始め、豪州、イングランドやフランスといった強豪国が幾度も軍門に下っている。いわば、世界最強の内弁慶。しかしプーマスは、そんな異名を返上しようとしている。

アルゼンチンのSHピチョットとHOメンデス

アルゼンチンのSHピチョットとHOメンデス



この8月(1999年)に行なわれた英国遠征で、プーマスは5力国対抗王者のスコットランドに31-22で快勝したのだ。これはアルゼンチンが英国本土で挙げた初めてのテスト勝利だった。遠征では善戦マンに終わっていたアルゼンチンの変身。しかし、この勝利を迎えるまでには、長く曲がりくねった道のりがあった。



W杯のアメリカ地区最終予選は昨年(1998年)8月、ブエノスアイレスで行なわれた。ここでアルゼンチンは、パシフィックリム3連覇のカナダを54-28でねじ伏せるなど、圧倒的な強さで3戦全勝のトップ通過。世界に「アルゼンチン強し」を印象づけた。しかし、ここからプーマスは迷路に入り込む。

昨年(1998年)9月の日本遠征。2軍に近い編成で来日したプーマスは、日本に29-44でまさかの黒星を喫してしまう。その後、今度はフルメンバーでヨーロッパに乗り込むが、必勝を期したはずのイタリア戦を19-23で落とすと、フランス、ウェールズに連敗し、今年(1999年)6月にはブエノスアイレスでもウェールズに連敗してしまうという泥沼状態。

6月12日。ウェールズとの第2テストが16-23の敗戦に終わった後の記者会見には、異様な緊張感が漂っていた。ホセ・ルイス・イモフ監督に対する地元メディアの追及は厳しく、会見場は一触即発の気配。記者たちの不満は、イモフ監督が選手を替えすぎることにあった。イタリア戦からのテスト5連敗の間は、チームの司令塔であるSOさえ毎試合替わる始末だったのだ。

実はこの記者会見は、第三国の記者にとってはかなり笑えるものでもあった。采配に疑問を唱える記者に向かい、イモフ監督は「あなたは何年プーマスを見てるんだ?」「あなたの質問の意味がわからない」など挑発的な台詞を連発。「チームがあまりにも調子よくて、あまりにも負けないようなときはかえって心配になる」とまで言い出す始末だった。

そんなイモフ監督も7月に辞任に追いこまれ、後任には1993年に日本が初めてアルゼンチンヘ遠征したときにプーマスを率いていたエクトル・メンデス監督が復帰。イモフ時代から年間5万ドルの契約で技術顧問を務めていた元NZ監督のアレックス・ワイリーとの共同指揮でW杯に臨む体制となった……。

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