シンガポールのワールドカップ予選。
それは、日本ラグビーにとって、記憶のあるプロフィールだ。
1998年10月、15人制のラグビー日本代表は、翌年にウェールズで開かれるワールドカップへのアジアからの出場権「1」をかけ、シンガポールで行われたアジア予選に臨んだ。日本代表がその大会を勝ち抜く上で、重要なゲームとなった韓国との一戦。
日本代表の勝利を決定づけた、ベテランLO桜庭吉彦の、「あるプレー」とは?
炎暑の中、世界の舞台をつかみ取った熱帯夜のスタジアムへ、タイムトラベル!
記者にだって嗅覚はある。
選手が試合中に微妙で目に見えぬ勝負の分かれ目を鋭く嗅ぎつけるように、記者にも何かがツンと匂う瞬間が、たまには訪れる。
1998年10月24日、シンガポール・ナショナルスタジアム。来年10月にウェールズで開催される第4回ラグビー・ワールドカップのアジア最終予選第1戦、日本対韓国。後半12分に行なわれた韓国ボールのキックオフ直前に、乱暴な字でノートにこう書きつけた。
このK.O(キックオフ)!
試合は、韓国の怒濤の攻めで幕を開けた。贅肉を削ぎ落としたスリムで強靭な韓国FWが、錐のような鋭さで日本FWの壁に穴をうがつ。前半3分にはその勢いのまま日本ゴールになだれ込んで先制トライ。日本が同じパターンでトライを返した11分後の22分には、やはりモールで仕掛けてSO金宰成(キム・ジュソン)がトライ。日本も、前半終了直前にSO廣瀬佳司のショート・パントから左に展開。CTB元木由記雄→WTB増保輝則とつないでトライを返し、コンバージョンの差で14-12とリードを奪ったが、予期せぬ韓国のスピードに、勝利の女神はまだ微笑む相手を決めかねていた。
後半5分、日本No8伊藤剛臣が韓国ボールのラインアウトのボールをスティールして約30mを独走。女神の袖を引くことに成功する。続く10分。今度はFL渡邊泰憲がトライ、廣瀬がコンバージョンを決めて21-12。もうひと押しで女神の口元がほころぶ寸前まではこぎつけた。が、それでも不用意なプレーひとつで女神の機嫌は反転しかねない。
冒頭に記したキックオフは、この直後のプレー。ここで日本がボールを確保して攻勢に出れば勝利はほぼ決まり、逆に韓国が奪って日本陣内に攻め込めば再び勝負の行方が混沌とする――選手ならずとも、まさに嗅覚を刺激される大事な大事なキックオフだった。