完全収録「釜石ナイト特別版 日本代表ウエールズ戦必勝祈念企画 プレイバック1983」ー前編 | ラグビージャパン365

完全収録「釜石ナイト特別版 日本代表ウエールズ戦必勝祈念企画 プレイバック1983」ー前編

2013/06/05

文●大友信彦


5月29日(水)、ラグビーを通じて東日本大震災の被災地復興を支援するNPO法人・スクラム釜石(代表・石山次郎)が東京・高田馬場にあるラグビー・ダイナー『ノーサイドクラブ』で開催している「釜石ナイト」の特別版、「日本代表ウェールズ戦必勝祈念企画・プレイバック1983」が開かれた。


 これは、1983年10月22日、ラグビーの聖地と呼ばれるウエールズの首都カーディフ、旧アームズパーク(ナショナルスタジアム)で、日本代表がウエールズ代表を24対29まで追い詰めた伝説の試合を振り返り、日本が世界に肉薄した秘訣とエキスを探ろうという企画。

 遠征チームで主将を務めたSO松尾雄治さん(新日鉄釜石=所属は当時、以下同)はじめ、プロップ石山次郎さん(同)、フランカー千田美智仁さん(同)、ロック林敏之さん(神戸製鋼)、フッカー藤田剛さん(日新製鋼)、WTB金谷福身さん(同)という6人のレジェンドをゲストに招いてのトークショーは、当時の試合映像を振り返りながら、予定の2時間を大幅に超える熱狂・爆笑の連続となり、会場を埋めた50人の聴衆も大満足の様子だった。

 司会進行は、ラグビー中継や熊谷ラグビー場、昨年9月の釜石・神戸V7OBマッチでの場内アナウンスでおなじみ、フリーアナウンサーの四家秀治さんが務めた。

 RUGBYJapan365では、「スクラム釜石」のご協力をいただき、このトークイベントの様子を収録した。
 この記事は、日本ラグビー史において奇跡と言われた伝説の80分間を可能にした信頼と愛を、名手たちが余すところなく語り尽くしたものである。
(なお、購読料金の一部は、NPO法人「スクラム釜石」の東北復興支援活動費として拠出させていただきます)


 

左から藤田、林、石山、松尾、金谷、千田

左から藤田、林、石山、松尾、金谷、千田

——まず松尾さん、この試合に臨むにあたって、どういう意気込みだったかを聞かせて下さい。
松尾 はい。何より、この遠征自体がとてもいい遠征でしたね。この試合は、キックオフの時間が遅れたんですよ。アームズパークは当時、工事をしていて、席が少なくなってるのにいっぱいチケットを売っちゃって、入りきれなくなったというんです。実際、お客さんはすごく入ってましたよ(公式発表は3万5000人)。
 そして、意気込みですね。そりゃあ、長い遠征でしたからね(5試合。遠征期間は10月3日から3週間)。意気込みと言えば『死んでもいい』。それはもう、ここにいる林ですよ。試合の前の日には、『松尾さん、オレ明日死ぬよ。必死ってのは必ず死ぬって書くからね』と。

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