今回登場は、この4月から専修大ラグビー部監督として再出発することが決まった、現在は7人制日本代表監督を務める村田亙さん。2月22日には「スクラム釜石」と「RUGBYJAPAN365」の共同企画による「クライストチャーチ&東北復興支援トークライブ」にも登場していただく。
専大-東芝府中-ヤマハ発動機、そして7人制と15人制の日本代表で活躍した村田さんだが、その名を飛躍的に高めたのは1999年にフランスへ渡り、日本人で初めてのプロラグビー選手になったというパイオニアの称号だ。
今でこそ、トップリーグの企業チームにも「プロ契約選手」は珍しくないが、1990年代は、「プロのラグビー選手」がいることすらほとんど知られていなかった。霧の向こうに何があるか分からない時代、あえて未知の世界へ飛びだした、32歳を目前にしての決断。
20世紀が終わろうとする刹那の、チャレンジ魂が輝いた時代へ、タイムトラベル。
攻撃的なスクラムハーフとして高い評価を受けていた村田亙。
海外でプレーするという夢が遠のきかけたときに舞い込んだ。
フランスのクラブからのオファーに、彼は32歳を目前にして受ける決断をした。
さまざまなリスクを覚悟のうえで、それでもプロのラガーマンとして走り始めた。
その先には、どんな夢が見えているのか。