後藤翔太特別寄稿・平尾さんを悼む | ラグビージャパン365

後藤翔太特別寄稿・平尾さんを悼む

2023/11/10

文●後藤翔太


(2016年10月21日初掲)

平尾さんの訃報を聞き、本当に驚きました。そしてショックでした。

きょう(20日)昼頃に、ある新聞社の方から電話がかかってきて、「平尾さんが……」と聞いたところで、まさかと思いました。信じたくなかった。ですが……そのあとは、ネットでも、テレビでも、どんどん記事が出始めて、僕も目を背け続けるわけにはいかなくなってしまった。本当に残念です。

最後にお話ししたのは半年くらい前でした。僕は大分のワールドカップキャンプ地誘致にお手伝いを頼まれていて、誘致について、平尾さんに「力を貸してください」とお願いの電話をかけたんですが、「わかった、ほな、やるぞぉ」と、二つ返事で快諾してくれました。

実を言うと、僕は神戸製鋼を退社するときに結構わがままなことを言って、平尾さんはじめラグビー部関係の方々に迷惑をかけたはずなのですが、そんなことへのわだかまりは全く感じさせない、ざっくばらんな言葉使いで、逆に僕のことを励ましてくれた。本当に器が大きい人だなあと思いました。そんな人だけに、本当に残念です。

 

神鋼時代に過ごした平尾さんとの濃密な時間


平尾さんとの思い出というと、僕が神戸製鋼でキャプテンをやったシーズンですね。僕は神戸製鋼に入って3年目の2007年にキャプテンに任命されたのですが、そのときが、平尾さんが監督に復帰されたシーズンだったんです。今考えると、濃密な時間を過ごしました。

よく覚えているのは、地方の試合に行って、あまり内容がよくなかったときですね。神戸まで帰ってくると、平尾さんが「一緒に試合を見ようぜ」とよく誘ってこられたんです。クラブハウスに戻って、2人で、当時はVHSだったんじゃないかな、ビデオを巻き戻ししながら、あーだこーだ言って、試合を見て、それから「じゃあメシ行こかぁ」と、一緒に食事に行く。そんなことが何週もありましたね。その頃、神戸製鋼はなかなか思うような結果が出なかったからなのですが、そのおかげで、平尾さんと濃密な時間を過ごすことができました。それまでは、平尾さんってもっとクールな方だと思っていたから、僕自身「平尾さんってこんなことするんだ」と意外に思ったものです。

よく覚えているのは「ショータは判断が早いねん」と言われたことです。
平尾さんはこんなふうに言いました。


「ゲームの中ではいろんなことが起こる。相手の反応もこっちの予想通りとは限らない。もう少し待ったら、もっと大きなチャンスの芽が生まれるかもしれない、だからそんなに急いで決めなくてもエエんや。相手の出方をもっと見極めて、そこから判断しても遅くないんや……」

僕はそれまで、ベストのオプションを最も効率良く実行することが正しいと信じて疑わないタイプで、相手の反応は「こうくるはずだから」と決めつける傾向がありましたが、平尾さんのその言葉は大きなヒントになりました。今、自分が指導者になって「後出しじゃんけんをしろ」「相手に先に手の内を出させてから、一番有効なオプションを選べ」といっているのは、間違いなく、平尾さんにいただいたアドバイスから始まっています。

もちろん、僕は言いたいことを言う性格ですから、平尾さんにも反論したりしました。「だけど、こうじゃないですか?」とか。でも、平尾さんは僕のそういう言い方も受け止めてくれました。そして「もし失敗しても、それで成長すればエエんや」とか「ガチガチのシステムで結果を出しても、すぐに出る結果なんてたかがしれてる」とか、こちらがリラックスしてゲームに望めるような言葉をかけてくれた。そこには「時間がかかってもエエから、いいものを作ろう」というメッセージがあったんだなあと、後になって気付きました。本当に器のでかい、愛情のある方だったなと思います。


そういえば、キャプテンになって1年目が終わったときに、平尾さんに腕時計をいただきました。すごくいい時計で、今も愛用しているんですが、「1年間、キャプテンとして、ようやってくれた、ありがとな」と言ってくださって。そういうダンディな振る舞いをする人は、それまで僕の周りにはいなかったので、本当に感動したことを今でも思い出します。

おそらく僕は、平尾さんが指導者として関わった中で、最後の、最も手のかかるヤツだったと思います。
「コイツをキャプテンにしたのは失敗だったんちゃうかぁ」と思われたときもあったと思うけれど、それでも我慢強く使ってくれたことには本当に感謝しています。僕にとって、キャプテンと監督という関係で平尾さんと接した時間は、ラグビーを考える上でものすごく貴重な学びの時間になりましたから。

平尾さんが日本代表の監督になられたのは34歳のときだったんですね。信じられない。今の僕の年(トシ)じゃないですか。その年(トシ)で代表監督をすることが、平尾さんの本意だったかどうかはわかりません。だけど、求められれば必ず期待に応えようとする方だったなとは思います。その立場になったら「やるしかないねん」という。僕自身は、平尾さんがそうして学んだものを、平尾さんから学ばせていただくことができたのですから、今はただ、すべてに感謝しています。

自分が平尾さんの代わりを務めようなんてことはまったく思ってもいないけれど、偉大な先輩から学ばせていただいたことを、自分なりに消化して、発展させて、次の世代に伝えていくことが恩返しだと思っています。


平尾さん、ありがとうございました。
心より、ご冥福をお祈りしております。

 

後藤翔太
(ごとう・しょうた)

1983年1月7日、大分県生まれ。小学2年のとき、大分ラグビースクールでラグビーを始める。桐蔭学園で主将を務め全国高校大会ベスト8。俊敏で勝ち気なSHとして活躍。早大に進み、U19日本代表。大学選手権に2度優勝。神戸製鋼で2005年度トップリーグ新人賞、2005年度、2006年度ベストフィフティーン受賞。2005年の南米遠征で日本代表入りし、ウルグアイ戦で初キャップ。日本代表キャップ8。2011年現役を引退。日本協会リソースコーチを経て、2018年日野レッドドルフィンズのテクニカルコーチを務める。2019年早稲田大学のコーチを務める。現在はJスポーツでの解説をはじめ、講演会など幅広い活動をしている。


 

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