11月11日、平尾誠二さんと山中伸弥教授の交流を描いたドラマ「友情」がテレビ朝日系で放映される。2016年10月に53歳の若さで亡くなった平尾誠二さんは、ラグビーワールドカップには1987年の第1回大会から1995年の第3回大会まで選手として出場、1991年の第2回大会では主将としてワールドカップ初勝利に導き、1999年の第4回大会には日本代表の監督を務めた。世界に挑戦を始めた日本ラグビーの象徴だった。
RUGBYJAPAN365では、自身も平尾さんと「同期」であるスーパーバイザー大友信彦が2021年1月に、平尾さんをよく知る伏見工同期の高崎利明さん、同志社大同期の東田哲也さん、土田雅人さんを訪ね歩き、平尾さんのキャプテンシーを探り、Numberに掲載された、「平尾誠二 愛の言霊」を、改めて追悼プレミアム記事として会員の皆様にお届けします。
まだインターネットもパソコンもなかった1980年代、魅力的なラグビーを求めて、仲間との充実した時間を求めて、若き平尾誠二さんがピッチを駆けた時代へ、タイムトラベル!
(初出:Number1020号:2021年2月)
「みんなエエかっこしようぜ」
その言葉は耳に残っている。
「みんなでエエかっこしようぜ」
1989年1月15日、全国社会人大会で初優勝を飾った神戸製鋼は大東文化大との日本選手権に臨んだ。舞台は旧国立競技場。ロッカールームを出て、ピッチにあがる階段の下で組まれた円陣。冒頭の台詞を吐いたのは、主将就任1年目でチームを初優勝に導いた平尾誠二だった。
エエかっこしようぜ。
出陣の台詞としては異色だった。
「勝つぞ」「圧倒しよう」あるいは「リラックスして」「楽しもう」……戦場に飛び出す男たちに似合う言葉はいくらでもありそうだ。だが、このちょっと意外な言葉に背中を押されて決戦に臨んだ神戸製鋼のフィフティーンは、46対17という日本選手権最多得点をあげて初のラグビー日本一を獲得する。その試合でキャプテン平尾は自ら3トライ。No8で出場していたルーキーの大西一平は「エエかっこしたのは平尾さんばっかりや」とボヤいた……。
1年後。社会人大会2連覇の王者として日本選手権の早大戦に臨んだ平尾は、同じ場所で組んだ円陣で、前年とは異なる激しい言葉でフィフティーンを鼓舞した。
「つまらん勝ちならワセダにくれてやれ!」
そして始まった80分間の戦いは、まさしく圧倒と呼ぶしかない完璧な勝利だった。前年のスコアを上回る58-4の日本選手権史上最多得点、最大得点差の勝利。深紅のジャージーを完膚なきまでにたたきのめした。
後に平尾は「あの試合は僕にとっては非常に燃えた試合だったんですよ。日本のラグビーってワセダの考え方が主軸でしたからね」と明かした。
「ワセダの考え方」とは、小が大を倒すための戦術を細部まであらかじめ決めておき、その役目を個々が果たすことで勝利する哲学だ。体格、経験に劣る側が勝利するために、歴代の選手や指導者が叡智を集めて練り上げた戦術を忠実に遂行することで、巨大な敵を倒す。
「それは間違いじゃないと思うし、日本人にはあってると思う。でも」と平尾は続けた。