有言実行の司令塔 ラグビー日本代表主将 アンドリュー・マコーミック。
トップリーグ最終節は、各地で激戦が続いた。
プレーオフ争いからワイルドカード争い、入れ替え戦回避……さまざまな順位争いがあった中で、最もシビアだったのは「自動降格」回避をめぐる争い。紙一重の差で、そこを逃れたのはNTTドコモレッドハリケーンズだった。
「ありがと。ラッキーでした」
自動降格回避のお祝い電話を入れると、アンガスは流ちょうな日本語で返してきた。自力での回避ではなかっただけに、照れもあったようだ。しかし、改めて感じるのは、その流ちょうな日本語力である。
今回紹介するのは、1999年ラグビーワールドカップ(W杯)の出場権をかけ、1998年10月にシンガポールで行われたW杯アジア予選を前に「東京新聞」に掲載したアンガスのインタビュー記事だ。
アンガスはこの年、前任の元木由記雄から引き継ぐ形で、外国人としては日本代表初のキャプテンに任命されていた。激しいタックル、高いワークレート、プレーそのものが圧巻のキャプテンシーを発散しているように見えたアンガスだが、父と祖父がともにオールブラックスで、8歳からラグビー王国のエイジチームでキャプテンを務めてきた男は、「言葉」を大切にする男だった。
アジア予選が、現代では想像できないほど危機感に満ちていた90年代、外国人がナショナルチームのキャプテンを務めることには、今では想像できないプレッシャーもあったはずだ。
2月22日の「クライストチャーチ&東北復興支援チャリティトークイベント」にも出演していただくアンガス、ニュージーランド(NZ)生まれのジャパン主将として世界に挑んだ時代に、タイムトラベル!