春は別れと出会いの季節。この春も、日本のラグビー界はたくさんの新しい人を迎え、そしてたくさんの英雄たちを見送る。NECグリーンロケッツを引退した浅野良太も、惜しまれながらジャージーを脱いだ一人だ。
NECを日本選手権優勝3度、旧マイクロソフト杯優勝1度という黄金時代に導いた貢献者。ラインアウトの駆け引きに知恵と直感を駆使し、タックルとブレイクダウンに身体を張り続け、チームが過酷な状況に置かれるほどに力を出した男。
そんな浅野良太の真価が最も輝いたのは、「繰り上げメンバー」かつ「バックアップ」という微妙な立場で世界一の戦場に乗り込んだ、2007年のワールドカップだったかも知れない。
今を去ること7年、2007年のヨーロッパへ、タイムトラベル!
「浅野はこの5週間、チームのために一緒に練習してきた。7番のスペシャリストである彼が加わったことをポジティブに考えたい」
2007年のワールドカップフランス大会。ワラビーズとの初戦から2日。フィジー戦に向けた10日の練習を前に、JKはそう言った。豪州戦で主将も務めた佐々木隆道が初戦で左膝内側靱帯を傷め、チームを離れたことによる入れ替えだった。
「自分、ギリギリが多いですよね」
その日の練習後、浅野は笑って言った。4年前は、スーパーパワーズカップで大久保直弥が膝を痛めたため、日本A代表からの追加で初めて代表に呼ばれた。2005年の南米遠征にも遅れて合流した。身長184cm。前回(2003年)W杯時の92kgから100kgまで体重を増やしたものの、巨漢揃いのFWでは小柄なことに変わりはない。浅野は若手や外国人選手との厳しい競争に常にさらされている。
今回のW杯も、負傷などアクシデントに備えたバックアップメンバー6人の1人としての出発。他の5人は、日本代表歴の浅い若手ばかり。目標が見えない中、万一に備えて心を強く持ち続けなければならない難しい立場だった。