「トップリーグに生き残れ」NEC箕内拓郎主将と死のC組―Back to 2003 楕円球タイムトラベル vol69 | ラグビージャパン365

「トップリーグに生き残れ」NEC箕内拓郎主将と死のC組―Back to 2003 楕円球タイムトラベル vol69

2021/02/04

文●大友信彦


RUGBYJAPAN365の名物企画、過去記事をプレイバックする「楕円級タイムトラベル」久々の更新です。

コロナ感染拡大を受け、延期されていたトップリーグも2月20日に開幕します。今季は最後のトップリーグ。そして今季の成績は来年1月に発足する新リーグのディビジョン分けの材料となります。

明確に「何位までが新リーグ」と定義されているわけではありませんが、1月15日に行われた新リーグフォーマット発表会見で「ディビジョン1は12チーム」と発表されました。事業計画、運営能力、ファンサービス、スタジアム確保状況などの要素も含めて審査の対象となるので断定はできませんが、今季のトップリーグ・プレーオフトーナメントは「8強入りなら新リーグD1入りほぼ当確、16強なら当落線上――」といった空気の中で行われそうです。

そこで思い出すのは、現在のトップリーグが開幕する前年の今頃、つまりトップリーグ参入をかけて行われた「最後の全国社会人大会」のときの空気感。2002年度の全国社会人大会は、出場16チームのうち12チームが翌年スタートするトップリーグへの参入兼を獲得するというフォーマットで行われましたが、ただでさえ殺気立つ大会を混沌とさせていたのが、前年度の4強、日本代表主将でもある箕内拓郎がキャプテンを務めていたNEC。東日本リーグ3位のリコー、関西リーグ2位のワールドと4位のトヨタ自動車がひしめくC組に、最下位シードの(今で言う)第4バンドに入ったのが
東日本社会人リーグで7位と低迷し、関東社会人リーグ1位の釜石シーウェイブスとの代表決定戦を経てようやく社会人大会出場権を獲得したNECだったのです。
後に「ミラクルセブン」と呼ばれるV字復活で、日本選手権初優勝、そしてトップリーグ発足初期の上位チームとして、特にトーナメントの一発勝負で圧巻の強さを発揮したNECは、どんな戦いでトップリーグに勝ち残ったのか。そのとき対戦したチームたちはどんな思いを胸に戦っていたのか--。

21世紀はまだ始まったばかり、トップリーグ発足前夜、夜明け前の日本ラグビーの戦場へ、タイムトラベル!
(Number 568号 2003年2月)


冷たい雨に打たれて、22枚もの大漁旗がたたずんでいた。深夜の東北自動車道、早朝の東北新幹線で南へ下ってきた旗たちだ。幾多の栄光に包まれた新日鉄釜石がクラブ化して2年目、元日本代表主将アンドリュー・マコーミックも現役に復帰して破竹の進撃を続けてきた釜石シーウェイブスは、12月7日、秩父宮で、東日本社会人リーグ7位との全国社会人大会出場決定戦に臨んでいた。

「これだけたくさんの大漁旗は記憶にないです。もっといっぱいトライを取って、旗を振る機会を作れたらよかったんですが」

試合後、釜石の指揮官・桜庭吉彦はそう言って、静かな笑みを浮かべた。

大漁旗を沈黙させていたのは箕内拓郎だ。東日本リーグ7位に沈んだNECの、そして日本代表の主将。この試合に敗れれば、日本代表強化のために発足するトップリーグで、肝心の日本代表キャプテンがプレーできなくなってしまう――そんな危機感が、壮絶なまでに芝の上を席巻した。


 

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