太陽生命ウィメンズセブンズシリーズ2024熊谷大会で生まれたライジングスターだ。
チャレンジチームのキャプテンとして出場した木川海(きかわ・うみ)。宮城県佐沼高の3年生。
10位に終わったチャレンジチームにあって、5試合であげたトライは6。中でも圧巻は追手門学院との9/10位決定戦だ。
前半7分、自陣22m線付近のスクラムから弧を描くように相手DFの隙間をすり抜けて80m独走のトライを決めると、後半4分には足下に飛び込む相手タックルをふり払って70m独走のトライ。さらに7分には相手陣ラックサイドでパスを受けると相手にジャージーを掴まれながら振り切ってトライを決め、3トライのハットトリック。
それも、①相手DFの隙間をスピードとコース取りでクリーンブレイクして走り切る速さ、②足下に飛び込む相手タックルを振り払う足腰の強さ、③相手にジャージーを掴まれても振り切るトルクフルな走り、というすべて違うパターン。トライハンターとしてのポテンシャルを感じさせると同時に、キャプテンを任された責任感も感じさせた。
チャレンジチームは、DAY1はアルカス熊谷には0-22と完封負けしたものの、三重パールズからは2トライを奪い14-32、PTSには26-28と食い下がった。DAY2は9位以下トーナメントにまわり、初戦でアルテミ・スターズを12-10で破り今大会初勝利。最後の9/10位決定戦は追手門学院VENUSと対戦し、12点を先行されながら反撃。最終スコアは15-19で敗れたものの互角の戦いを演じた。やっぱり太陽生命シリーズにはチャレンジチームが必要だ――そう思ったファンもいただろう。
そのチャレンジチームで主将を務めた木川は、完封負けしたアルカス戦を除く4試合すべてでトライをスコア。追手門戦のハットトリックも含め6トライをあげ、大会トライランキングでは6位に食い込んだ。
女子ラグビーに現れたニューヒロインに、試合後に聞いた。
――キャプテンを務めた感想を。
「周りは初めての人ばかりで、最初は緊張しましたが、シニアのメンバーが話しかけてくれて、コミュニケーションを取ってくれて、合宿でも試合でもよくしゃべる、いいチームになったと思います」
――ラグビーを始めたきっかけを教えて下さい。
「幼稚園の年長さんのとき、私が『サッカーをやりたい』と言ったら、父が『これがサッカーだよ』と連れて行ってくれたのが佐沼プラタナスのジュニアラグビースクールだったんです、父はそこのコーチをしていたんです。あまり言うと父に叱られるんですが(笑)」
――知らずに始めたラグビーですが、楽しかったのですか?
「はい! 怖いとか感じることはなくて、男子とやったり、大きい相手とやるのも楽しかったです。怖いよりもチャレンジするのが楽しくてワクワクしていました」
――現在は佐沼高のラグビー部で練習しているのですね。
「はい。練習ではほとんどのメニューを男子部員と一緒にやっています。ポジションはCTBなのですが、タックルも普通に男子を相手に練習しています」
――この大会ではすばらしいランニングを見せていました。足下にタックルされても引き抜くように振り払う動きはハードルみたいな動きでしたね。
「ハードルではないですが、中学では陸上部で短距離、100mと200mを走っていました。ベストタイムはたぶん中3のときで、13秒6です。中3のとき登米市の総体で1位になりました。県大会には200mで行って、準決勝まで行きました」
出身地の登米市佐沼はNHKの連続ドラマ「おかえりモネ」で気仙沼市とともに舞台になったところで、宮城県の内陸にあるが、名前は「海」だ。由来を尋ねると「海みたいに広い心を、という意味と、母のおなかの中で羊水にプカプカ浮いていたことからつけたと聞きました」という答えだった。
15人制ではCTBでタックルを得意としていると本人は言うが、この太陽生命セブンズではSH、SOでもマルチなポテンシャルを見せていた。チャレンジチームでは兼松由香HCから将来の目標、自己実現へのイメージと取り組む姿勢を問いかけられるのが常だ。木川自身はラグビー選手としてはどんな未来像を描いているのだろう。
「代表でどこまで行きたいとか、何年のどの大会にとかは特に意識していませんが、ずっとチャレンジしていきたいなと思っています」
近年は女子ラグビー部のある高校も増えてきて、秋の全国U18女子セブンズも単独チームがほとんどを占めるようになってきた。それ自体は喜ばしいことだが、一方で、女子選手の多くない環境でも男子に混じってラグビーに打ち込む女子のストーリーにも独特の魅力がある。
今季の太陽生命シリーズ残り2大会のチャレンジチームがどんな編成になるかはまだ分からないけれど、多様な選手のポテンシャルを見いだし、伸ばすのがチャレンジチームの魅力だ。
木と川と海――自然に溢れた宮城県の魅力を体現したような名前を持つ17歳のこれからの足取りに注目していきたい。
大友信彦 (おおとものぶひこ) 1962年宮城県気仙沼市生まれ。気仙沼高校から早稲田大学第二文学部卒業。1985年からフリーランスのスポーツライターとして『Sports Graphic Number』(文藝春秋)で活動。’87年からは東京中日スポーツのラグビー記事も担当し、ラグビーマガジンなどにも執筆。 プロフィールページへ |