ワールドカップ2019開催まであと1年半!釜石での開催成功を「スクラム東北ライドGO釜石」レポート | Rugby Japan 365

ワールドカップ2019開催まであと1年半!釜石での開催成功を「スクラム東北ライドGO釜石」レポート

2018/02/16

文●大友信彦


3回目となる「スクラム東北ライドGO釜石2017」が、2017年9月15日から18日までの4日間、開催された。

これは、東日本大震災で甚大な被害を受けた東北地方の復興を支援しようと、かつてラグビー日本選手権で7連覇を達成した新日鐵釜石ラグビー部のOBたちを中心に設立されたNPO法人スクラム釜石が企画。2019年に釜石市で開催されるラグビーワールドカップを東北全体で盛り上げ、復興への起爆剤にしようとアピールするために、2015年から続けているサイクリングイベントだ。

過去2回は、福島県南相馬市から走り出して、宮城県、岩手県の津波被災地を自転車で走り、各地のラグビー関係者や商工関係者などと交流会を実施しながら釜石市鵜住居にあるスタジアム建設予定地まで320キロを走破。今回は、釜石市鵜住居を起点に南相馬市を目指す逆コースで実施した。

9月15日(金)朝、東京から釜石へ

釜石市宝来館での交流会で

釜石市宝来館での交流会で

参加するライダーとスタッフは9月15日(金)朝、東京をハイエースとワイズロードのサポートトラックで出発。午後、釜石市に到着し、まずは釜石駅に隣接する「シープラザ釜石」にあるワールドカップ情報発信基地「ラグカフェ」を表敬訪問。ついで、2019年ワールドカップ会場となる「釜石鵜住居復興スタジアム」建設地にほど近い旅館「宝来館」へ移動。

交流会でジャージーデザインのコンセプトを説明する大友

交流会でジャージーデザインのコンセプトを説明する大友

こちらで、釜石市のラグビー関係者などと、ライドの前夜祭を兼ねた交流会を開催した。この会には、釜石市から震災被災地同市の国際交流でニュージーランドへ派遣されたり、ワールドカップの視察でイングランドに派遣されたりした中高生12人も参加。

彼ら彼女らは2年後のワールドカップで各種ボランティアとして活躍するべく市内の英語教室に通っているという。しっかりした言葉使い、2年後のワールドカップで果たすべき自分の役割など、明快な言葉でスピーチする中高生の姿は大人たちを感動させ、翌日から走るライダーたちも感激していた。

 

9月16日(土)、ライドスタート

釜石東中学校の生徒たちにエールを贈られ出発

釜石東中学校の生徒たちにエールを贈られ出発

翌16日、いよいよライドのスタート。一行は朝食を済ませると、まずはワールドカップスタジアム建設現場へ。ここには現場を見渡せる櫓がつい最近できあがったということで、建設現場で働くスクラム釜石代表の石山次郎さんが案内してくれた。1年後にはスタジアムが完成、そして2年後にはここでワールドカップの試合が開催され、世界中から観戦客がやってくるんだな、と思うとワクワクしてくる。

それから、スタジアム建設地に向き合うように立っている釜石東中学校へ。この学校は、もともとはスタジアム建設地にあった学校で、震災の時は、登校していた生徒が全員で避難、隣接する鵜住居小学校の生徒たちの手を引いて、途中で疲れて立ち止まっていたお年寄りたちをおんぶして、通常の避難訓練で逃げていた場所よりもっと高いところまで逃げ、登校していた生徒全員が助かったという、感動的なエピソードのあった学校だ。

スタジアム近く、釜石市鵜住居地区、復興住宅を立ち並ぶ中を走り始める

スタジアム近く、釜石市鵜住居地区、復興住宅を立ち並ぶ中を走り始める

この日は世界遺産に登録された同市の橋野鉱山跡から24キロを歩き抜く行事があり、中学3年生は早朝から集結していたのだ。中学生たちから応援の言葉とエールを贈られ、こちらからもエールを返し、互いの走破を祈って朝7時、出発。天気は快晴。絶好のコンディションだ。

釜石市の北側にある鵜住居地区から走り出す。昨年までとは道がだいぶ変わっている。鵜住居地区、最初の小さな峠、その名も「恋の峠」を越えた両石地区は、以前の道からかなり嵩上げした新しい道ができていた。ひっきりなしに通過する大型ダンプカーに気をつけながら走る。三陸の太平洋側はいま、復興道路として、仙台と八戸を結ぶ三陸自動車道を建設中だ。

快調に走る(左から)石山さん、高橋さん、米田さん(釜石市唐丹町)

快調に走る(左から)石山さん、高橋さん、米田さん(釜石市唐丹町)

三陸道の建設は、2019年ワールドカップには間に合わせることになっていて、部分開通(供用)しているが、釜石市両石から大船渡市吉浜までの約24キロは未開通区間だ。深い入り江が連続するリアス式海岸を通るとあって、この区間には鳥谷坂(とやさか)トンネル(1350m)、石塚トンネル、小白浜トンネル、熊木トンネル、鍬台トンネル(2305m)……長短のトンネルが連続する。

古いトンネルは暗く、路肩が荒れていて、時折ハンドルをとられそうになる。そこに大型ダンプやトラックが通過する。緊張を強いられるが、多くの大型車は僕らに幅寄せしないよう、対向車の通過を待ってくれることが多かった。土曜日のダンプは過去2年よりも多い気がした。それだけ忙しさも増しているのだろう。運転手さんの思いやりがうれしかったが、真っ暗なトンネル内、荒れた路面状況では返礼のサインも送れない。心でサンキューを伝え、ペダルを回す。

大船渡に向かう大峠の急坂を登る。先頭を引くのは大友

大船渡に向かう大峠の急坂を登る。先頭を引くのは大友

大船渡市三陸町吉浜にさしかかる。「三陸道 気仙沼方面 供用中」の大きなサインがあり、大型ダンプが次々とそちらへ右折していく。国道45号線の交通量がグッと減る。アップダウンはきついけれど、走りやすさは各段に上がる。元気が出る。「道の駅さんりく」を過ぎると、センターラインのない山道となり、交通量もなく、道路にススキがせり出している。ちょっとしたアドベンチャー気分だ。

最後は10%近い急傾斜の部分もあったが、登り切ると頂上は三陸トンネル。ここをくぐると大船渡市内までほぼ5キロ、緩い下りが続くダウンヒルコースとなった。過去2年、登ったときよりも長さを感じた。気を抜くと60-70キロまで出てしまいそうだが、危険は禁物。最高速は50キロ程度で抑えながら下る。足が冷えないよう、ゆっくりとペダルを回す。

10時40分、大船渡市に到着。休憩をとってから陸前高田へ

大船渡にて。岩手女子ラグビーの熊谷さん(左から3人目)と

大船渡にて。岩手女子ラグビーの熊谷さん(左から3人目)と

10時40分、大船渡市の休憩予定地ファミリーマートでは、選手兼コーチとして岩手の女子ラグビーを引っ張っている熊谷侑希さんが激励にかけつけてくれた。差し入れの梨、ありがとうございました!

大船渡から陸前高田まではまた山越え。通岡(かよおか)峠は173mと標高はさほど高くないが、高田からの登りは傾斜がきつく、過去2回は苦しんだ難所だったが、大船渡からの登りは傾斜も緩く、釜石から峠を越えてきたライダーたちにとってはスムーズに超えられた。

大船渡市から陸前高田市に入る通岡峠を越えるライダー隊。

大船渡市から陸前高田市に入る通岡峠を越えるライダー隊。

峠を越え、高田に入ると、過去2回とは景色が一変していた。三陸沿岸で最大規模の嵩上げ工事が行われていた市の中心部は盛り土作業をほぼ終え、新たに作られた土地の上を整地し、新たな町を作る作業が始まっていた。12時45分、その中心地として先行整備された多目的モール「アバッセたかた」で休憩。「アバッセ」とは、この地域の言葉で「いっしょに行きましょう」という意味だ。気仙沼では「やばいん」、釜石では「いぐべ」が、概ね同じニュアンスだろう。

ここで偶然の出会い。釜石市出身のシンガーソングライター、「遠野物語」などのヒットで知られるあんべ光俊さんが、ここで13時からミニライブを行うという。あんべさんは震災後、被災地支援イベントで釜石シーウェイブス関係者と一緒に活動されたこともあるといい「みなさんの取り組みを紹介させてください」とありがたいご提案をいただく。

陸前高田の「アバッセたかた」にて、差し入れをくださった地元のみなさんと

陸前高田の「アバッセたかた」にて、差し入れをくださった地元のみなさんと

午後1時、ミニライブが始まる。「遠野物語」「星の旅」……アラフィフ、アラカンのライダー&スタッフたちにとっては懐かしい名曲が次々に歌われると、あんべさんが「ご紹介します。新日鐵釜石ラグビー部のOBのみなさんが、2年後のラグビーワールドカップを盛り上げるために自転車で走ってきました」と私たちを壇上に招いてくれた。

石山代表があいさつすると、高田のみなさんから大きな拍手と激励をいただいた。そして、同所のフードコートで昼食。三陸ラーメンを食べる。足りない(笑)。大人げないなあ、と思いつつ、カレーライスを追加注文。できあがると、一瞬で胃袋の中へ。ここまで70キロ、峠は大小8つくらいを越えてきて、自転車のカロリー消費は本当に高いんだ、と実感する。

陸前高田から本日の目的地、気仙沼へ。しかし思わぬハプニングが…。

さあ、次は今日の目的地、気仙沼目指して出発だ。と思った矢先、博行さんの自転車の前輪がパンクする。何かが刺さってしまったようだ。ここでメカニックサポートとして同行いただいているワイズロードの松坂さんの出番だ。さっそく松坂さんがチューブを出して調べると、チューブがパンクしているだけでなくタイヤもけっこう傷んでいる、ということで、タイヤもチューブもまとめて交換。

いつもサイクリングイベントや旅番組のロケなどでいろいろなトラブルを解決している松坂さんが素早い作業で解決する。体力には自信があっても自転車歴の浅い鉄人たちにとってはまさしく百人力のサポートだ。

気仙沼市内の道はどこも嵩上げ工事中だった

気仙沼市内の道はどこも嵩上げ工事中だった

陸前高田での大休止&パンク修理を経て、15時30分、気仙沼へ向け出発。津波の中で一本だけ生き残った「奇跡の一本松」を横目に見ながら国道45号線を南下する。大型ダンプは相変わらず多いが、県境を越え、気仙沼市唐桑の大理石海岸付近で三陸道供用区間に入ると、道路は再び自転車天国に。

高台から海を眺めながら、交通量の少ない道を走る幸せ!三陸道が全通する2019年には、45号線全体がこうなるはずだ(ただし、いずれ三陸道が有料化されるとまた事情は変わってしまうかもしれないが……)。

気仙沼市街に向け、最後の難所、唐桑トンネルへ。北上コースではダウンヒルとなる伝説のヘアピンカーブの急坂を登ったところで三陸道と合流し、830mの唐桑トンネルへ入る。交通量もここで一気に増える。トンネルで轟音が反響すると、どちらから近づいてくるのか分からなくなる。

荒れた路肩に寄りすぎないよう注意し、後続車に気を配りながら慎重にペダルを回す。トンネルを抜けると、ここも2キロ近く続く長いダウンヒルだ。ここも路肩が荒れている。そして、トンネルでは慎重にゆっくり走ってくれた大型ダンプも、下りでは思い切り飛ばしてくる。難所を過ぎた、ゴールも間近、こういうところに危険が潜んでいるのだ。気を引き締めて下りきると、気仙沼の市街地に入る。

気仙沼も、海抜の低い中心街は嵩上げされ、ところどころに工場やコンビニができているが、内湾に面したエリアはまだ工事が続いている。16時30分、気仙沼プラザホテルの下にある「お魚いちば」の駐車場に到着。ここでライダーたちは翌日の「ツール・ド・東北」への参加手続をすませる。

気仙沼ラグビー協会のみなさんと交流会

気仙沼ラグビー協会のみなさんと交流会

今回のスクラム東北ライドは、気仙沼から石巻までの区間をこのイベントに参加して走ることにした。日本中から集まってくるサイクリストたちと一緒に走り、交流するのが目的だ。接近している台風18号が心配されたが、どうやら夕方までは持ちそう。大会事務局からは、コースを一部短縮するが、イベントは決行するというメールが届いた。

受付を済ませると、夜は気仙沼市ラグビー協会の方々との交流会へ。気仙沼は日本有数の漁獲高を誇る港町だ。例年なら今が旬のサンマは残念ながら不漁が続いていたが、この日のお店「梟」では新鮮な魚介類は種類豊富。戻り鰹、ホタテ、アジ、エビ、マグロ……次々と並ぶ海産物に、ライダーもスタッフも大満足の夜だった。

 

9月17日(日)、「ツール・ド・東北」に参加、気仙沼から石巻へ

スタート地点の司会はフリーアナウンサーの佐藤千晶さん

スタート地点の司会はフリーアナウンサーの佐藤千晶さん

翌朝は6時にスタート地点の気仙沼プラザホテル下に集合。バイクチェックを受けてスタート地点に向かう途中、声をかけられる。僕(大友)の、松岩中学校で同級生だったYさんが、スタート地点のボランティアを務めていた。記念撮影。ありがと! さらに、スタートのMC役を務めていたのが、やはり松岩中学校の後輩で、何度かスクラム釜石のイベントで司会を務めていただいたフリーアナウンサーの佐藤千晶さん。千晶さんのご配慮で、出発に当たってスクラム東北ライドのPRタイムをいただいた。千晶さんサンキューです!

実は、僕らスクラム釜石チームは出発前、トラブルに見舞われていた。前日、パンクしてチューブ交換していた米田さんのバイクが再びパンクしていたのだ。ホテルから集合地点までは無事走行できたのだが……「ツール・ド・東北」自体には別の小売りチェーンがメカニックサポートに入っていたので、この日は別行動の予定だったワイズロード松坂さんに急遽SOSを発信。

素早くワイズロードのサポートトラックが到着し、予備のホイールごと交換。後に判明したのだが、リムの内側にごくごく小さな傷がついていて、それがチューブを傷つけていたようだ。ライダー本人も気付かない程度のリム打ちがあったのか。メカニックサポートについていただけたことに改めて感謝するとともに、ロードバイクの繊細さを改めて痛感した。

6時35分、先頭から、約20台ずつがグループになって、4分ほどの間隔を置きながら順番にスタート。第11組となった僕らは7時00分に出発した。気仙沼市内を走ると、朝早くから沿道に出て声援を贈ってくれる方々がたくさんいる。ツール・ド・東北は今年で5回目、気仙沼がコースに組み込まれてから4回目になる。

僕は2回目の参加だが、毎年ここに全国からサイクリストたちが訪れてくれることが、地元の人たちにとって喜びになっているんだなということを改めて実感した。まあ、沿道には僕の家族や親戚も出ていてくれたのだけれど。感謝です。

寄り道した、南三陸町の防災庁舎献花台。

この日はツール・ド・東北に参加ということで、基本的には設定されたコースを走ったのだが、2箇所ほど寄り道をさせてもらった。

1箇所は、南三陸町の防災庁舎献花台だ。津波が押し寄せる直前まで防災放送をしていて津波に呑まれた女性など、たくさんの町職員が亡くなった悲しい場所だ。僕の高校の同級生Aもここで亡くなった。同時に、あと2人の同級生がここで津波を経験し、生き残った。

「今度、ツール・ド・東北を走るんだ」と連絡をすると、同級生のKくんとAくんが「会いに行くよ」と言ってくれたのだ。2人とは、高校を卒業した後、亡くなったAの結婚式で会っただけ、ほぼ20年ぶりの再会だった。

Aくんは、防災庁舎の屋上で生き残った10人の中の1人で、Kくんは屋上から流されながら生還した唯一の生存者だ。ここで聞いた話は、とても一言では語れない。

「正直、なぜ自分が生き残ったのか、何も覚えていないんだ」とAくん。

「屋上で一晩明かすとき、タバコを吸うのは5人いて、そのうちの1人が胸ポケットにタバコとライターを入れていて、2本だけ濡れないで残ってたんだ」

Kくんは「流されて、たまたま流れていた畳をつかまえて、その上に何とか乗って、ちょっとだけ安心した瞬間、何か怒りがこみ上げてきて。ゼッタイに死なねえぞ! と連呼してた」

話を聞いていて、すべては紙一重だったんだな、ということを改めて思い知った。僕にしても、たまたまその日、そこにいなかったから助かっただけ。誰が津波に飲まれて誰が飲まれなかったのか、誰が生還して誰が生還しなかったのか、それはほとんど偶然だったのだと思う。

亡くなった人たちのために何ができるのか、家族や大切な人を失った人たちのために何ができるのか、正直分からない。だけど、たくさんの断片から、あの日、防災庁舎の屋上でどんな時間が流れていたのか、生き残った人たちによって、この土地はどう生まれ変わっていくのか、そのすべてを語る資格は僕にはとてもないけれど、断片だけでも語り継いで行きたいと思った。


石巻市の大川小学校跡地・厳粛とした時間の重さ

もう1箇所は、石巻市の大川小学校跡地だ。ここは、児童74名、教職員10名が亡くなった、東日本大震災で最も悲しい物語のひとつが生まれたシンボリックな場所だ。何度訪れても心が締め付けられる。被災地はどこもそうだが、ここに流れる厳粛とした時間の重さには格別のものを感じてしまう。

訪れたからといって何ができるわけではないけれど、この光景を目にすれば、震災の記憶はとても風化などしなくなる。それは次の震災で犠牲者を出さなくなること、減災にきっと役立つと思う。それは亡くなったたくさんの命の無念に応えることだと思う。
その思いをこめて、合掌する。

大川小学校を出ると、あとは石巻まで平坦な道を約20キロ。台風接近で雨はいつ降り出してもおかしくない。急ごう。台風が西から接近しているからだろう、東風に背中を押され、ペースが上がる。平坦な道ってラクだな。釜石を発ってから2日間、北上川河口までほぼ160キロ、ほとんど平坦地のないアップダウンだらけの道を走ってきただけに、まるで天国だ。

「雨が降り出す前にゴールしよう」そう言ってペダリングのスピードを上げる。

アップダウンの多いコース、それも、被災地の光景を目に焼き付けるためのライドとあってここまでスピードは控えてきたが、最後の20キロは、安全運転の範囲でスピードアップ。風のアシストも受け、時速30キロ台後半で突っ走ってみた。思い切りペダルを回したい――これまで見てきた風景が、そんな気持ちにさせていたのかもしれない。

 

9月17日(日)、14時。石巻専修大にゴール。

午後2時、石巻専修大にゴール。3年前は時間切れで足きりとなり、くぐることの出来なかったゴールアーチをくぐることができた。ゴール地点では、長短さまざまのコースをゴールしたたくさんの方々が思い思いに過ごしている。

走ったコースのこと、エイドステーションでのこと、参加ライダーたちの話を聞いてみたいと思ったけれど、まずは完走証をいただかねば。と思っていると、大粒の雨がバタバタと降り出した。

台風接近の予報を受けて、大会本部は「15時までに全員がゴールできるように」と時間を設定し、コースも短縮化した。ライダーたちは長い距離を走りたいと思ってエントリーして、全国から集まっている、彼らを迎えるために各エイドステーションではたくさんの食材を用意し、ボランティアのみなさんも全国から集まってきた――。

そんな人たちの思いを考えれば難しい決断だったと思うが、この天候をみれば見事な決断だった。運営スタッフの皆さんには敬意を表したい。

石巻では、2019年ラグビーワールドカップのキャンプ地誘致に取り組んでいる石巻市ラグビー協会の方々と交流会を行った。お店は、三陸の美味しい食材をふんだんに使いながらおしゃれなイタリア料理に仕上げた「ビストロ 種」。お店のオーナーは石巻のラグビーファミリーだという。

2019年、ここがキャンプ地になったなら、サポーターや各国のジャーナリストがきっとこのお店を訪れるだろう。2年後には、いろんなサインが、いろんなジャージーが、この店の中に飾られているんだろうな。そう思うとワクワクしてきた。台風接近の中、お店の中では楽しい時間が流れていた。

最終日、9月18日(月)台風が上陸。暴風警報が発令されたまま。

最終日。9月18日、夜中の間に台風は東北地方を横断した。明け方には突風が吹いて、泊まっていた旅館が「ぐらり」と揺れたのをはっきりと感じた。最大風速は30mを超えていたかもしれない。この日は福島県南相馬市まで、3日間で最長の約150キロを走る日だ。朝7時には走り出さないと……天気予報を見ると、雨はほとんど止んだ。

だが、宮城県全域に出されている暴風警報は発令されたままだ。突風がふけば、自転車はたやすくあおられる。まして、今日のコースは交通量も多い海岸線の県道だ。路肩は広くない。大型トラックやダンプが後方から接近しているとき、突風で車道側にふくらんだりしたら大事故になりかねない。「警報発令中はイベントは実行できません」。メカニックサポートをお願いしているワイズロードの松坂さんからも明確な基準をいただいた。

やむをえない。「走行を断念し、そのかわりに、予定では寄る時間のなかった場所に寄りましょう」。石山さんが言う。


石巻の日和山公園に登った。石巻の海岸線を見渡せ、市街地を見渡せるこの高台には、震災当日、たくさんの人が避難し、津波に襲われる町を見た。恐怖、不安、絶望、達観、なかには少しだけ、再会や生存の喜びもあったかもしれない。さまざまな思いが交錯したに違いない場所に立ち、海を見つめる。台風の通過に伴い、高い波が防波堤でしぶきを上げている。ここから20m近い高さまで海が盛り上がった姿を想像しようとするが、うまく想像できない。

そこから、サポートカーに分乗して仙台市へ。震災遺構として整備された荒浜小学校跡に立ち寄った。ここは、仙台市で最も大きな被害のあった場所だ。この地域では220人ほどが亡くなったという。

釜石から石巻まで走ってきた区間は、自転車で走るには大変ハードなアップダウンの連続だったけれど、言い換えれば、どこにいても高台は近くに見えていた。だが仙台平野の真ん中に来ると、どこにも高台は見えない。つまり、逃げる場所がない。ここで津波に襲われたときにどんな思いをしたのか、想像するとやりきれない。語り部の方に、当時の様子をうかがい、それから6年半のことを伺う。ここでも思ったことは同じだ。自分にできることはほとんど何もないけれど、何があったかを可能な限り知り、それを自分のこととして受け止め(つまり真剣に想像して)、それを語り継ぐことが、きっと次の減災につながるだろう。

僕らスクラム釜石は、どうしても釜石を中心に被災地を見て考える。気仙沼出身の僕は気仙沼を中心に被災地を考える。それは自然なことだし、恥じることではないと思うけれど、東日本大震災の被災地は本当に広い。そもそも、スクラム東北ライドを企画したのもそれを知るためだったのだけれど、荒浜小学校跡への訪問は、頭では分かっていたはずのそのことを、身体にしみこませる大事なことだった気がする。

荒浜を出ると、過去2年のスクラム東北ライドでも立ち寄った名取市閖上の日和山へ。強い風が吹き付ける中、高台になった日和山から周囲を眺める。ここの周囲はこの2年あまりの間に劇的に風景を変えている、嵩上げされた土地に、たくさんの建物が建つ。地形が変わり、道路が変わる。いろいろな理想や思惑、政治的な判断だったり、いろいろなことが反映されているのだろう。ひとつひとつのものごとに思いを馳せる余裕はないが、毎年、ここの景色を見にきて、変わり続ける被災地、変わらない被災地、両方の現実を見続けたいと改めて思った。

福島県内からライドを再開。ついにラストライドへ。

閖上からもサポートカーで移動。結局、宮城県内は暴風警報が出たままだった。福島県までクルマで移動し、新地町に入り、相馬市で自転車をトラックから降ろす。やっと走れる!

国道6号線は、月曜祭日とはいえ大型ダンプがたくさん走っていた。震災から6年半の時間が過ぎても、それが現実なのだ。福島には宮城や岩手とは違う「原発」というファクターがある。簡単には語れない現実があることは誰もが知っている。
その中を、今回のライドで最大、女性ライダーも含む7人のライダーが走る。「ペース大丈夫か?」「この信号は行けるか?」そんな声をかわしているうち、残りの距離がじわじわと減ってくる。ツール・ド・フランスの最終日、シャンゼリゼのパレード走行ではないけれど、途中をワープしたけれど、何か達成感と、もう終わってしまうのかという寂しさにも似た感覚。これもライドの醍醐味だ。

そして、ゴール地点である南相馬道の駅へ。ここは、日本ラグビー応援ソング「楕円桜」を歌う歌手の渡瀬あつ子さんの郷里だ。渡瀬さんは3年連続で東北ライドに参加し、今回も最後の区間を走行。過去2年よりも明らかに走りが進化している。スクラム東北ライドは、新しい自転車好きを増やす効果も作っているようだ。

南相馬道の駅には、人望のある渡瀬さんのお父さんの声かけであつまってくれた50人近い方々が迎えてくれた。拍手の中、ゴールするのは格別の気分だ。ゴールセレモニーでは、各地の交流会であつめてきた、2019年ワールドカップで東北を盛り上げましょう!という寄せ書きを石山さんから前市長の渡辺さんにお渡しした。たくさんの拍手を受けながら、幸せな気持ちになった。

3年目のスクラム東北ライドが終わった。

釜石から福島まで320キロ(うち120キロはクルマでワープしたが)を走り、ツール・ド・東北を走り、たくさんの方と交流し、台風のおかげで寄る予定のなかった日和山や荒浜小学校跡を訪れて、被災地を訪れることにはゼッタイに価値があると思った。たとえどんな感じ方であれ、被災地の現在を、現実を目にすることは大切なことなんだと思った。

もうひとつ、改めて感じたこと。それはやはり、東北の美しさだ。
もちろんたやすい話ではない。嵩上げでかつての景色が失われた地域も多い。巨大で醜悪な防潮堤の工事で破壊されつつある風景もたくさん見た。そのたびに心は締め付けられたけれど、海の美しさ、海から森への境目のない連なり、そこで暮らす人たちの素朴な、そして純粋な笑顔。これはやはり東北ならではの魅力なのだと思った。

改めて感じたその現実を、僕らは語り継ぎ、周りの人に知らせていきたい。
そのためにも、スクラム東北ライドを、これからも続けていきたいと思った。

 

大友信彦
(おおとものぶひこ)

1962年宮城県気仙沼市生まれ。気仙沼高校から早稲田大学第二文学部卒業。1985年からフリーランスのスポーツライターとして『Sports Graphic Number』(文藝春秋)で活動。’87年からは東京中日スポーツのラグビー記事も担当し、ラグビーマガジンなどにも執筆。

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