2025年10月31日、ラグビーリーグワンD3に所属する狭山セコムラガッツの活動拠点であるセコムラグビーフィールド(埼玉県狭山市柏原)で、新たに建設するセコムラグビースタジアム(仮称)の地鎮祭が行われ、狭山市の小谷野剛市長らが出席。RUGBYJapan365ではスーパーバイザーの大友信彦が当日の様子を取材、あわせてセコム株式会社のラグビー事業部担当課長で狭山セコムラガッツ運営統括の海老沢洋さんにスタジアム建設決定までの経緯を伺った。

10月31日に行われた地鎮祭
セコムラガッツの足取り
まず、チームの足取りを紹介しておこう。セコムラガッツは1985年にセコム株式会社のラグビー部として創設され、1999年度に関東社会人リーグ1部で1位となり、東日本社会人リーグ8位の伊勢丹を入替戦で破り昇格。同年の全国大会出場決定戦でも東日本社会人リーグ6位のクボタを破って旧全国社会人大会に初出場。2002年の東日本リーグでは5位、全国社会人大会ではコカ・コーラウエストジャパン(西日本社会人リーグ3位)を破り、プール3位で2003年に発足するトップリーグに参入。それに先立つ2002年のアジア競技大会ではLO澤口高正とSH小池善行が日本代表入り。決勝の韓国戦では澤口がセコム戦士として初の15人制日本代表キャップを獲得した。

現静岡BRアシスタントコーチの田村義和さんもTL時代のセコムでプレーしていた(2006年日本IBM戦)
トップリーグ初年度の2003年度は3勝8敗。11位で下部に降格したが1年で復帰し、2005年度は10位。No8セネ・タアラが10トライでクボタFBマクイナリと並びトライ王を獲得した。FL渡邉庸介のハードタックル、LO生沼知裕のハードワーク、SH兼WTB鈴木貴士の魔法のステップはトップリーグの欠かせないコンテンツだった。

パリ五輪女子セブンズHCの鈴木貴士さんはセコムで主将を務めた(2007年度トップチャレンジワールド戦)
だが2006年度は14チーム中13位に沈んで再び降格。2007年度はトップイースト2位で復帰を逃し、2008年度にトップイースト5位に沈むと、シーズン終了直後の2009年2月、原宿の本社に集められた選手たちに、会社からの強化支援の中止が通告された。予告ではなく、すでに終了していたシーズン限りの中止が決定したとの通告だった。主将の鈴木貴士はセブンズ日本代表の主将として前年のワールドカップセブンズアジア予選を勝利に導き、翌月に控えたワールドカップドバイ大会に備え海外合宿に出かけていた時期だ。トップリーグ参入からわずか6年での撤退だった。

トップリーグ最後のシーズンとなった2006年度の開幕前カンファレンスで。左端はこの年加入したトンガ代表FWシオペ・カペリ
それから15年が経過し、かつてのセコムラガッツは狭山セコムラガッツとしてリーグワンのD3に参入。初年度はD3で11勝4敗、2位の成績をおさめ、D2との入替戦に進んでD2で7位となった江東BSと対戦。昇格は果たせなかったが、2試合に2点差、3点差という惜敗だった。D2への昇格は完全に視界にとらえた。

狭山グラウンドで行われた2023年トップイースト秋田NB戦で、トライを決めるFB池松

トライを決めるNo8パーカー

チームスタッフの「ミスターセコム」山賀さんのリードで観客のお見送り

ラガッツのHCはセブンズ日本代表でも活躍したスコット・ピアスさん。BL東京ジェイコブ・ピアスの父
そして参入2年目の2025-2026シーズン開幕を控えた10月22日、リーグワン誕生後は初となる、チームの専用スタジアム建設が発表された。

