日本選手権が終わった翌日の3月19日、エディ・ジョーンズ新HCのもと、船出する新しい日本代表メンバーが発表された。詰めかけた報道陣を驚かせたのは、主将の名前だった。廣瀬俊朗は会見でマイクを持つと「驚きましたか? 僕自身も驚きました」と切り出し、報道陣を笑わせてから「前回は、自分自身に弱さがあったと思うし、あの経験も自分を成長させてくれた。同じ失敗を繰り返さないようにしたい」と決意を明かした。
前回――それは、廣瀬が初めて日本代表に名を連ねた2007年、フランスW杯を目指すJKジャパンでの経験だった。
とりわけ、W杯に向けた最終セレクションとして行われた2007年7月、北海道・中標津の合宿は、セレクションかつチームビルドという、相反する要素を求められた難しい合宿として、ジャパンの歴史でも異彩を放っている。
廣瀬俊朗が、迷いや悩みを振り切って挑んだ、2007年夏の北海道・中標津へ、タイムトラベル!
これはチーム・ビルディング合宿だったんだ……。
2007年7月17日、中標津合宿2日目の午後。ジャパン戦士たちが雄叫びをあげながら苛烈なメニューに打ち込む様を見ていて、記者は理解した。
午前中をオフにし、午後3時から始まった午後のトレーニングセッション。ウオームアップが済むと、選手たちはメイン練習場となっていた球技場からゾロゾロと移動を始める。怪我人を意味する緑のビブスをつけ、別メニューに打ち込む大畑大介がその集団を指さし、「あっちでオモロイことが始まりますよ」と笑う。