「あれ、反則ですよね」
報道陣に囲まれた怪物・布巻峻介が、クスッと笑った。
「大学ラグビーで、あれをやられたら……自分が敵だったら、止められるかなあ……と思いながら見ていました。味方としてプレーを見ていても、ワクワクする感覚は変わっていないですね」
藤田慶和のことだ。
東福岡高3年で7人制日本代表、15人制日本代表に入り、早大入学直後の2012年5月、史上最年少の18歳7カ月でテストマッチデビュー。直後、早大の赤黒ジャージーを着ての初試合となった同志社大との定期戦で膝の靱帯断裂という重傷を負い、シーズンを棒に振ったが、手術と長いリハビリを終えた2013年3月には復帰、即ジュニアジャパンに選ばれオーストラリアとNZに遠征。
帰国するとすぐフル代表に招集され、アジア5カ国対抗とパシフィックネーションズ、ウェールズとのテストシリーズを戦い抜くと、代表活動終了と同時にNZへ渡り、スーパーラグビーへの登竜門・ITM杯のカンタベリー代表入りにチャレンジ。
代表入りはならなかったが、カンタベリーBで毎週のように試合をこなし、カンタベリー代表スコッドとの合同練習を重ねた。10月いっぱいで帰国すると、すぐに日本代表に合流。来日したオールブラックスを迎え撃ち、翌朝には英国へ飛び、スコットランド代表、グロスター、ロシア代表と、7日間で3試合をこなすタフな日程を戦い抜いた。
15日のロシア戦(日本時間は16日早朝だった)を終えると、日本代表を離れ、16日朝の便で帰国の途へ。日本時間の17日に帰国すると、中5日、チーム練習への参加わずか3回で、早慶戦の先発FBに名を連ねた。
事実上試合を決めた、オフロードパス
事実、ピッチの上でみせた藤田のパフォーマンスは圧巻だった。
開始6分だった。
自陣での慶大ボール・ラインアウトが高く逸れ、早大がスチール。すでに12キャップを持つ日本代表FBはチャンスのニオイを見逃さない。一気に前線に上がってパスを受け、加速する。