ナミビア、ワールドカップ初勝利という新たな歴史をつくる―カナダとの釜石決戦に挑む | ラグビージャパン365

ナミビア、ワールドカップ初勝利という新たな歴史をつくる―カナダとの釜石決戦に挑む

2019/10/12

文●大友信彦


ナミビアってどこにあるの? そんなコトバを何度も聞いた。
多くの日本人にとって、今回のラグビーワールドカップ参加20カ国の中で、ナミビアは最もなじみの薄い国なのではないか。あくまで印象だが、一般の日本人にとっての認知度が低いランクでいえば、ナミビアとウルグアイがそのトップを争うと思う。日本のW杯会場12箇所で、その両方が訪れる唯一の会場が釜石なのだ。

特にナミビアは、参加20カ国の中でもユニークな存在だ。

何と言っても、まだワールドカップ本大会の勝利がない。これは参加20カ国の中で、日本と同じA組に入ったロシアと2カ国しかない。うちロシアは2011年大会に続き2回目の出場で、通算成績は0勝8敗。対してナミビアは1999年大会に初出場して以来、6大会連続でアフリカ大陸予選を勝ち抜き実力でワールドカップ本大会に出場しているのだ。前回大会までの通算成績は19戦全敗だ。
実は「未勝利」はナミビアに限ったことではない。世界ラグビーの伝統国であり2度の優勝を誇る南アフリカを例外として、アフリカ大陸から出場した国は、ワールドカップで一度も勝利していないのだ。

上位国に対しても食いさがるようになったナミビア

1987:ジンバブエ(3敗)
1991:ジンバブエ(3敗)
1995:コートジボアール(3敗)
1999年からはナミビアが出場しているので全スコアを示す。
1999:18-67フィジー、13-47フランス、11-72カナダ
2003:14-67アルゼンチン、7-64アイルランド、0-142オーストラリア、7-37ルーマニア
オーストラリア戦の142失点は、1995年大会で日本がオールブラックスに奪われたワールドカップ1試合最多失点記録「145」に迫る数字だった。

だが、続く2007年大会から、ナミビアは上位国に対しても食い下がるようになる。

2007:17-32アイルランド、10-87フランス、3-63アルゼンチン、0-30ジョージア
2011:25-49フィジー、12-49サモア、0-87南アフリカ、7-81ウェールズ
2015:14-58ニュージーランド、21-35トンガ、16-17ジョージア、19-64アルゼンチン

6日のオールブラックス戦は9-71で敗れた。点差は関係ない。試合後は互いを讃えあった

6日のオールブラックス戦は9-71で敗れた。点差は関係ない。試合後は互いを讃えあった

そして2019年日本大会、

22-47イタリア、3-57南アフリカ、9-71ニュージーランド

NZ戦は、失点だけを見れば大会最多記録となる71点を奪われたが、前半35分までは9-10という大接戦を演じた。

フェンター

フェンター

フィル・デービスHCは「選手たちを誇りに思う」と胸を張った。

「相手が世界チャンピオンだと考えてしまうと、お腹がきゅるきゅる言い出すかもしれないけれど、相手の強さを考えずに自分たちの強さを出すことだけに集中しようと話してきた。そう考えれば、ワールドカップの舞台でNZにチャレンジできるなんて、ラグビー選手として最高に幸せなことだと思える。選手のチャレンジを誇りに思う」

オールブラックスの大型FWに立ち向かい続けたナンバー8フェンターは、「最初の30分間は、最近のナミビアにとっては最高のパフォーマンスだったんじゃないかな」と言って、こう付け加えた「ナミビアラグビーの歴史の中で一番かどうかはわからないけれどね」

実はナミビアには栄光の歴史がある。

今大会、ニュージーランドと対戦「この試合をナミビアのスタンダートへ」

ナミビアの首都ウィントフークの光景(1995年)

ナミビアの首都ウィントフークの光景(1995年)

ナミビアが独立したのは1990年。それまではドイツの保護領、南アフリカの信託統治領「南西アフリカ」と呼ばれていた。南アフリカと人的交流が多かったこともあり、ラグビーの実力は高かった。

独立した1990年にはフランスがナミビアに来征し、2試合を行い、ナミビアは2敗したものの15-24、21-25という接戦を演じた(フランス側はテストマッチと認定していない)。
1991年にはイタリアとアイルランドがナミビアに来征。アイルランドには15-6、26-15で、イタリアには17-7、33-19で4タテ。

この年のワールドカップにアフリカ代表で出場する(そして日本代表にワールドカップ初勝利を献上する)ジンバブエとはホームで34-15、アウェーで22-19と連勝した。ちなみにアイルランドは、半年後のワールドカップに向けてベストメンバーで遠征していて、この結果はワールドラグビーのイヤーブックにも正式に残っている。1991年ワールドカップのアフリカ地区予選は1990年5月に終了していた。独立がもう1年早ければ、1991年のワールドカップにはジンバブエではなくナミビアが出場していただろう。そうしたらワールドカップの歴史も変わっていたかもしれない……。

ウィントフークの市民

ウィントフークの市民

かといって、ナミビアは過去の栄光だけの国ではない。オールブラックス戦で3度のPGをみごとに決めたSHスティーブンスは言った。

「僕は必ずしもチームのファーストチョイスのキッカーじゃないけれど、今日は良いキックができた。きょうオールブラックスと戦えた内容をこれからのナミビアのスタンダードにして、上位の国とも対等に戦えるようになっていきたい」


釜石にやってくる―ナミビアが新たな歴史を刻み込むか

雄大なナミブ砂漠。大西洋から吹き付ける風でできる風紋が名物

雄大なナミブ砂漠。大西洋から吹き付ける風でできる風紋が名物

ナミビアは美しい国だ。大西洋に面した広大な砂丘、ナミブ砂漠はアフリカ大陸で最も雄大な景色のひとつとして観光客の人気を集める。北部のエトーシャ国立公園は、観光化が進んだケニアや南アフリカの自然公園よりも自然そのもののライオン、ヒョウ、サイなど野生動物を観察できる本格サファリを体験できる場所として欧米のツーリストには有名だ。旅行者たちの間では「ベスト・オブ・アフリカ」という称号もある。

港町スワコプムントから、大西洋に沈む夕陽

港町スワコプムントから、大西洋に沈む夕陽

その称号には記者も同意する。記者は1995年のワールドカップ南ア大会の合間にナミビアを訪れた。ナミブ砂漠の雄大な景色、その近くにある港町スワコプムントから眺める大西洋に沈む夕陽など、美しい景色はもちろんのこと、住民たちの醸し出す柔らかい雰囲気、町の空気感は、隣国南アフリカで強いられた緊張感とは別世界だった(もちろん、当時の南アフリカにはマンデラ大統領の下、新しい国を作っていこうという歴史的な昂揚感、活気があったのだけれど)。

そんな国から日本までやってきた選手たちが、ワールドカップ日本大会の1次リーグ最終日に、釜石にやってくる。そして、ワールドカップ本大会初勝利を目指してカナダと対戦するのだ。

スティーブンス

スティーブンス

「釜石は、ラグビーの伝統が息づいている場所だと聞いている。そこで、このワールドカップの最後の試合をできることを光栄に思う」とSHスティーブンスは言った。

スティーブンスは、ナミブ砂漠、スワコプムントに近いウォルビスベイという港町に生まれた(スワコプムントに行ったことがあるよと言ったらものすごく嬉しそうに『僕の町はすぐ近くだよ』と反応してくれた。記者がスワコプムントを訪れたのは、彼が生まれたばかり、0ヵ月の頃だったのだが…)。

「釜石は美しい港町で、スタジアムは日本の12会場でも一番美しい景色に囲まれた、素敵なスタジアムだよ」と伝えると、スティーブンスは「いいね、そこで試合を出来るのが本当に楽しみだ」と言った。

ナミビアのラグビーの歴史にとって、釜石という町の名が、特別な地名として刻まれる日がもうすぐ来る――。

大友信彦
(おおとものぶひこ)

1962年宮城県気仙沼市生まれ。気仙沼高校から早稲田大学第二文学部卒業。1985年からフリーランスのスポーツライターとして『Sports Graphic Number』(文藝春秋)で活動。’87年からは東京中日スポーツのラグビー記事も担当し、ラグビーマガジンなどにも執筆。

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