車いすラグビー日本代表が金メダル・渋谷で優勝パレード | ラグビージャパン365

車いすラグビー日本代表が金メダル・渋谷で優勝パレード

2024/09/14

文●大友信彦


9月12日、パリパラリンピックで金メダルを獲得した車いすラグビー日本代表チームが、渋谷で金メダル獲得祝賀式典とセンター街でのパレード、渋谷区役所への表敬訪問を行った。

車いすラグビー日本代表及びその候補選手たちは、東京パラリンピックに向けた時期も練習会場の確保に苦戦していて、リオデジャネイロパラリンピックが行われた2016年から渋谷区と協力関係を樹立。渋谷区は区内の体育館を練習会場に提供する一方、選手たちは区立小学校・中学校を訪問して授業や体験会などを実施。2019年には日本車いすラグビー連盟と渋谷区が相互協力に関する協定を締結し、出前授業、選手の講話、デモンストレーション、タックル体験やミニゲームなどを行ってきた。



JWRFの高島理事長

JWRFの高島理事長


今回は、まず渋谷駅ハチ公前広場で祝賀式典を実施。渋谷区の長谷部健区長、日本車いすラグビー連盟の高島宏平理事長らがあいさつ。そしてマイクを持った日本チームの池透暢主将が

「みなさん、やっと金メダルを持って帰ってくることができました!」とあいさつすると、炎天下の中を集まったおよそ200人の聴衆から大きな拍手と歓声があがった。

池主将

池主将



「リオ大会で銅メダル、東京大会で銅メダル、たくさん悔し涙をながしてきましたが、パリでは常に、どの国よりも日本チームへの応援が優っていて、開場のみなさん、日本でパブリックビューイングで応援してくださったみなさん、みなさんの応援も金メダルだったと思います。


みなさんに、決勝では世界最高の日本のラグビーをお見せしようと臨みましたが、優勝候補のアメリカを7点差で破るという最高のラグビーで勝つことができました。応援してくださったみなさんと一緒に取った金メダルだと思います!
今日はこれからパレードしますが、最後も最高の応援で支えていただけたら嬉しいです!」


そして選手一行は、渋谷区最大の観光名所でもあるスクランブル交差点を横断。その様子には、交差点に面したビルからもたくさんのカメラが向けられていた。記念撮影をしてから、一行は渋谷センター街へ。道には大勢のファンがかけつけ、応援ボードや応援うちわを振って選手たちを称え、労う。選手たちも最高の笑顔を浮かべ、手を振りながらセンター街を進む。繁華街に突然訪れた非日常の光景が楽しい。




池主将「この応援も金メダルだな」

センター街でのパレードを終えると、選手一行は渋谷区役所を表敬訪問。改めて、池主将があいさつのマイクを握った。


「私たちは渋谷区の体育館を使わせていただき、小学校を訪問させていただき、車いすラグビーを子どもたちに知ってもらえるように活動を続けてきました。渋谷区からも多大な支援をいただきありがとうございました。今日のパレードでも、私たちの想像を超える応援をいただきました。パリでも思ったことですが、この応援も金メダルだなと誇りに思える応援だと感じました。


東京では無観客の中で戦って、応援の力を得られなかったけれど、パリでは存分に応援の力をいただき、最大の力を発揮して、最高の結果を取ることができました。それに尽きます。
私たちは金メダルという最高の結果を残すことができましたが、金銀銅、どのメダルも素晴らしく、それが人間の価値を決めるものではありません。パラリンピックの発展に、また障がいを持つ方へ、様々なところに影響力を持って活動していきたいと思います」

「2連覇という私達にしかできない目標があるので、そこを目指していきたい」

質疑応答では、「終わったばかりなのに申し訳ありませんが」と断って、4年後のロサンゼルス大会に向けた思いについての質問もあった。池主将は答えた。

「パリでは自分の力、みんなの力を信じてやってこれました。これからも自分の力を信じ続けて、ロスでも活躍できることを、年齢を克服するだけでなくパフォーマンスをもっと磨けるところもあると思う。ロスでは2連覇という、私たちにしかできない目標があるので、そこを目指して行きたいです」

常に誠実で謙虚な池主将の口から、力強い言葉がでた。
車いすラグビー日本代表の、最高のラグビーを目指すチャレンジは続く。

池透暢(いけ・ゆきのぶ)キャプテン

池透暢

池透暢


池崎大輔(いけざき・だいすけ)

池崎大輔

池崎大輔


倉橋香衣(くらはし・かえ)

倉橋香衣

倉橋香衣



橋本勝也(はしもと・かつや)

橋本勝也

橋本勝也



島川慎一(しまかわ・しんいち)

島川慎一

島川慎一


羽賀理之(はが・まさゆき)

羽賀理之

羽賀理之


若山英史(わかやま・ひでふみ)

若山英史

若山英史

大友信彦
(おおとものぶひこ)

1962年宮城県気仙沼市生まれ。気仙沼高校から早稲田大学第二文学部卒業。1985年からフリーランスのスポーツライターとして『Sports Graphic Number』(文藝春秋)で活動。’87年からは東京中日スポーツのラグビー記事も担当し、ラグビーマガジンなどにも執筆。

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