日本選手権の大会方式変更の発表があり、大学チームから4校が日本選手権に出場しトップリーグのチームと戦う機会が与えられた。大学世代の強化を目的とした改革だ。「世界のトップ10入り」を目指すジャパンにとってはこの世代の選手の育成はさらなる急務といえよう。2002年1月に発表された本著は、大学生世代をどう強化するか?このテーマを議論する上で重要な意味を持つ大友信彦氏の警鐘である。待望の第3弾。
大西将太郎「代表の空白があった。一環した強化をしてもらえなかった気がする」
大学選手権史上ただ一度の3連覇を82〜84年度に達成した同志社大は、昨季(00年度)は前年に続き関西リーグに全勝優勝を飾り、大学選手権ではべスト4。97年度に関西リーグで5位に沈んだ時期を思えば「西の盟主」として恥ずかしくない成績だが、毎年大量に入部する優秀な素材を考えると、頭打ちの状態に歯軋りする関係者、ファンも多いだろう。
昨季の同大主将を務めたのはSO大西将太郎。啓光学園3年では高校日本代表のスコットランド遠征で主将を務め、5戦全勝の快挙を達成した。元木由紀雄や増保輝則、伊藤剛臣ら逸材が並び「史上最強」と謳われた89年度にも勝てなかったスコットランドU18代表にも41-29で完勝。大西自身も昨季から日本代表入りを果たし、パシフィック・リム5試合、アジア選手権3試合すべてに出場した。この経歴だけを見れば、ユース・レベルで世界を相手に結果を残した世代が順調に経験を積み、シニアの代表レベルまで成長を果たしたサッカー日本代表と同じ構図に見える。
だが大西はその問いに首をひねり、「僕には代表の空白があったんです。一貫した強化をしてもらえなかった気がします」と言った。