WOWOWでラグビーワールドカップの名勝負が蘇る。第1弾1991年大会アイルランド戦 | ラグビージャパン365

WOWOWでラグビーワールドカップの名勝負が蘇る。第1弾1991年大会アイルランド戦

2020/06/06

文●大友信彦


貴重な映像が放映される。WOWOWでは、6月から過去のラグビーワールドカップの映像を一気に蔵出し。
全9大会の決勝と、日本代表のベストゲーム10選を6~7月にかけて放送する。
過去の名勝負は、日本ラグビーのレガシー。長年ラグビーを愛し続けてきたコアなファンにとっても、昨年のワールドカップでラグビーの虜になった新しいファンにとっても、大切なお宝だ。
RUGBYJAPAN365では、ランダムでおすすめゲームの見所を紹介する!

1991年第2回大会 POOL B 日本 16ー32 アイルランド @ランズダウンロード(ダブリン=アイルランド)

宿澤広朗監督&平尾誠二主将の体制で臨んだ第2回ワールドカップ。
全敗に終わった1987年の第1回ワールドカップから2年、
1989年5月、秩父宮でスコットランドXVを28ー24で破る歴史的な金星をあげた宿澤&平尾ジャパンは、1990年に秩父宮で行われたアジアオセアニア予選でトンガと韓国を破り、みごと本大会出場した。

本大会で日本が入ったB組の相手は、対戦順にスコットランド、アイルランド、ジンバブエ。

初戦で戦う相手はスコットランド。日本は2年前に秩父宮で勝っているが、そのときのチームはオーストラリアへ遠征するブリティッシュ&アイリッシュライオンズに主力を取られた編成だった。ワールドカップに出てくるのは、この前年、1990年に5カ国対抗でグランドスラムを達成していたベストメンバー。日本はFB細川隆弘のトライ、ドロップゴールなどで食い下がったが、9ー47で敗れた。

とはいえ、敗れても宿澤監督は意気軒昂だった。
アイルランド戦を控えてのコメント。


「自信は全然失っていない。もう少しションボリしてもいいくらいかなと思ったくらい(笑)。でも実際、(スコットランド戦は)そんなションボリするような内容じゃなかった。スコットランドはウチがベストであっても30ー15くらいの差がある。でもアイルランドには、日本が本当にベストでやって、向こうのリズムを崩せば、もっと点差が縮まる可能性がある」

宿澤監督の自信は、アイルランドの初戦、ジンバブエ戦を視察した上でのものだった。試合後の宿澤監督の感想

「アイルランドは、スコットランドよりもっとFWでしつこく来る印象。スクラムトライが3つあった。スクラムはスコットランドよりもやや強いかな? スコットランドの人は「アイルランドとはスクラムは五分だ」と言ってたけど。まあ(スクラムが)押されることはないと思うけれど、(アイルランドは)スクラムトライを狙ってきたとき、8人でグイと押してきたときの印象が強い。

当時のプログラムガイド

当時のプログラムガイド

ラインアウトは、ピールオフを後ろと前の両方で使ってきた。BKは、右WTB(ゲーガン)はマークしないと。あれは速いな。あとはキックが多いな。あんまり思い切って回してはこない。SOでほとんど蹴る。BKはスコットランドの方がいい。ただ、(アイルランドも)回す能力はあるはずなので、両方見ないといけない。DFに関してはスコットランドより少しBKのDFが弱い。スコアは似てる(55ー11、前日はスコットランド47ー9日本と)けど、昨日の方がタイトなゲームだったな。

ただ、アイルランドはあまりよくなかったけど、でも地元でのW杯とあって、さすがに力を出していた。
日本に対しても蹴ってくるでしょう。しっかり帰って捕って、前に返すしかないでしょ。あのSO(キーズ)は大きくないし、縦にどーんとはこない。FWはFWで、BKはBKで攻めている感じ。BKが切れ込んでFWに返すというようなプレーはない。DFはマトを絞って、相手のFWはこっちのFWが、BKはBKが倒す」

日本はアイルランド戦に向け、スコットランド戦から先発3人変更で臨んだ。HO薫田→藤田、SH村田→堀越、FL中島修二に替えてLO大八木を入れエケロマがLOからFL6に移動。

宿澤監督「あまりかえたくない。せっかく(初戦を経験した)慣れた選手をなるべく使いたい。スクラムは(スコットランドに)やられところがあったけど、これは人を替えて直るものではない。
藤田と堀越(の起用)は大体予定通り。堀越と村田はタイプが違う。総合力は同じくらいだけど、持ち味がそれぞれある。藤田はスクラムワークに期待する。相手にアダプトする部分で彼の経験に期待する。スクラムを(この前より)安定して組んでほしい。五分で組めるとは思う。相手がプッシュオーバートライを狙ってきたときに一度しっかり止めれば、もう狙ってこないと思う。やっぱり競っていきたい」
エケロマのFLは「5月のカナダ戦で一度試していたから心配しなかった」(宿澤監督)。

対するアイルランドは初戦と先発メンバーを8人変更。キャプテンのFLマテューズはリザーブ。5カ国対抗で3Tをあげ、宿澤監督が「警戒しないと」と名指ししたエースフィニッシャーWTBゲーガン、ジンバブエ戦で4TのNO8ロビンソンはリザーブにも入らなかった。
アイルランドは1989ー1991の3シーズン、5カ国対抗で2勝1分9敗、3年連続4位と低迷していた。その間の5位はすべてウェールズ、アイルランドの2勝1分はすべてウエールズが相手だった。

そして、アイルランドは、この試合からわずか中2日で、B組の大一番スコットランド戦を控えていた。当時のラグビーワールドカップは出場16カ国。4カ国ずつのプール戦は1週間強(2度の週末)で消化され、今で言うティア1国も(当時はその言葉は使われていなかったが)中2日のような厳しい日程を科されていた。日本vアイルランドと同じ日にジンバブエと対戦したスコットランドも、相手が格下とはいえ、キャプテンのデヴィッド・ソール、猛タックラーで「ホワイトシャーク」と異名をとったFLジョン・ジェフリー、大型FBにしてロングキッカーのFBガヴィン・ヘイスティングスといった猛者はリザーブに回して休養させていた。

「日本を軽視しているわけではない」。アイルランドのフィッツジェラルド監督はそう言った。
「ただ、我々は中2日というタフなスケジュールでスコットランドと戦わなければならないんだ」
気持ちは分からなくもない。お察しする。だが、対戦相手がどう受け取るかは別の話だ。

歴史的なスコットランド撃破から2年後、1991年ワールドカップのジンバブエ戦で、<br>宿沢ジャパンは日本のワールドカップ初勝利を挙げる――

歴史的なスコットランド撃破から2年後、1991年ワールドカップのジンバブエ戦で、
宿沢ジャパンは日本のワールドカップ初勝利を挙げる――


メンバーリストを見た朽木英次はつぶやいた。
「なめとんちゃうか」

とはいえ、5カ国対抗の激闘を重ねてきた伝統国は、メンバーを数人替えるだけで弱体化するようなチームではなかった。日本代表は、試合が始まると、ルールのギリギリまでプレッシャーをかけてくる、そしてスタジアム全体で襲いかかってくる本場の、アイリッシュたちの底力を知ることになる。もちろん日本だって負けてはいない。後半に飛び出す吉田義人の快走から梶原宏之があげたトライは大会ベストトライにノミネートされたほどのみごとな一撃だった。ぜひ、ライブ感覚で楽しんでほしい。

メインスタンドの下を線路が通り、列車が通るたびにガタガタと揺れることで知られた旧ランズダウンロードで、戦いの幕は開いた。

 

大友信彦
(おおとものぶひこ)

1962年宮城県気仙沼市生まれ。気仙沼高校から早稲田大学第二文学部卒業。1985年からフリーランスのスポーツライターとして『Sports Graphic Number』(文藝春秋)で活動。’87年からは東京中日スポーツのラグビー記事も担当し、ラグビーマガジンなどにも執筆。

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