「ずっと、外国に出てプレーしたいという気持ちは持っていました。子供の頃から、グローバルな人間になりたいと思っていたんです」2014年12月20日、トップリーグのNTTコム戦を終え、メディアに囲まれた山田章仁は言った。
来春、スーパーラグビーのウエスタン・フォースへの挑戦が明らかになって最初の試合。改めて、海外挑戦を決意した理由を、と尋ねた記者への答えだった。
その言葉は、ちょうど10年前、慶大の1年生だった山田から聞いた言葉とまったく同じだった。
「スーパーラグビーは、本当に子供の頃から見ていました。」
山田の海外挑戦は筋金入りだ。
「中学生の頃からずっと、『ワールドカップに出たい』と思っていました」
そもそも、小学校時代から”グローバルな人間になりたくて”、英語を勉強していた。高校時代は英語スピーチコンテストで優勝した経験もある。
ラグビーは5歳、幼稚園年長組の時に始めた。
「スーパーラグビーは、本当に子供の頃から見ていました。最初に着たジャージーはクルセーダーズだった記憶があります。」
小倉高2年で日本協会のエリートアカデミーに選出され、高3でU19日本代表に選ばれた。ワールドユースでは田中史朗や堀江翔太、五郎丸歩や畠山健介とともに世界7位という好成績を収めた。
慶大に進み、1年のシーズン、慶明戦、チームの起爆剤として起用されると、柔らかいラン、タッチラインを綱渡りのごとく擦り抜けるボディバランスと、ボールを活かす巧さで衝撃を与えた。しかし山田はそのステージにとどまろうとせず、2年と3年のシーズンは、オーストラリアへ個人留学を敢行。シドニーのイースタンサバーブスではわずか2週間で一軍に昇格した。
慶大卒業時も、海外でプロ選手になれないか、さまざまな情報を集めた。
慶大ではスリリングなトライを連発。7人制日本代表では、2006年アジア大会(ドーハ)で、金メダルを決める逆転サヨナラトライを決めていた。しかし、思うような評価は得られなかった。