希少資源の大学生を救え・第1章 | ラグビージャパン365

希少資源の大学生を救え・第1章

2013/04/14

文●大友信彦


日本選手権をどうするか。

もはや時候の挨拶と化してしまった話題である。毎年繰り返される大差のゲーム。社会人サイドは「この試合に意味はない」と不満を露わにし、学生サイドは「挑戦するチャンスは残して欲しい」と訴える。日本協会は「改善の必要性は感じるが、意義はあったと思う」という玉虫色の見解を繰り返し、判官びいきのファンとメディアは、一体となって学生の健闘に肩入れを続ける。

廃止すべきか、いや残すべきか。かくして、それぞれの意見が毎年噴出するなか、大会の形式は毎年のように変更を繰り返している。

だが、廃止か存続かという二者択一の議論だけでは建設的ではないように思った記者は、日本ラグビーにとって何か大切なのかという視点から、これまで様々な関係者から話を聞いてきた。そこで採集したコメントを交えながら、日本選手権が果たしてきた役割を検証し、より望ましい姿を考えてみようと思う。

最初に、日本選手権の歴史を駆け足で振り返っておく。

社会人チャンピオンと学生チャンピオンが「ラグビー日本一の座をかけて戦う」日本選手権の前身となったNHK杯は、1960(昭35)年度に始まった。日本選手権と名称を変えて最初の63年度は社会人と学生がそれぞれ2チームずつ出場。社会人側は、第16回社会人大会優勝の八幡製鉄と準優勝の近鉄が、学生は大学選手権が行われていなかったため、関東王者の法大と関西王者の同志社人が出場し、同大が初代王座に就いた。

大学選手権が発足した翌64年度からは、学生と社会人の優勝チーム同士による一発勝負という方式が定着。例外は70年度の第7回大会で、同時期にバンコクで行われた第2回アジア選手権に主力選手を派遣する社会人大会優勝のトヨタ自工、同準優勝の近鉄が日本選手権を辞退し、準決勝で敗退した富士鉄釜石が出場している。

社会人王者×学生王者という形式は、この第2回大会から96年度の第34回大会まで続いた。この間33回の通算成績は学生の7勝に材し、社会人が26勝と圧倒。学生の7勝のうち5勝は、75年度の第13回大会までに集中している。ここまでに限れば学生も5勝7敗と拮抗していた。当時の社会人ラグビーが練習時間も設備も、さして恵まれてはいなかったのに対し、学生は強豪チームがまだ限られていて、有能な人材は一部の有力大学に集中していた。

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