真夏の日差しのもと、暖かい光景がこれでもかと連続した。
この日、初めて会ったばかりの中学生が一緒にチームを組んでラグビーを練習し、試合に臨んだ。津波に襲われた場所に建てられたスタジアムの物語を学び、忘れるものかとノートにペンを走らせた。試合を終えれば敵味方なく入り乱れてバーベキューに舌鼓を打ち、古くからの友のように絆をはぐくんだ。
絆キャンプ開催―ワイルドナイツ・ジュニアユース、三宅敬HCが提案
8月23日から25日までの3日間、岩手県釜石市の鵜住居復興スタジアム及び根浜グラウンドで「釜石絆キャンプ2024」が開催された。
このプログラムは、リーグワン埼玉パナソニックワイルドナイツの育成部門・ワイルドナイツ・ジュニアユースでヘッドコーチを務める三宅敬さんの発案で始まった。今年3月、NPO法人スクラム釜石が主催する「東北&クライストチャーチ復興祈念イベント@釜石ナイト」に参加した三宅さんは「ワイルドナイツ・ジュニアユースのチームを連れて釜石へ行きたいんです」と提案。
スクラム釜石理事で、以前に赴任した広島でマツダスカイアクティブズ広島の育成部門・広島ラガーのコーチングスタッフとして小学生の釜石遠征を企画した経験を持つ早川弘治さんの協力を得て企画を練り、さらに釜石シーウェイブスでプレー経験を持つ中村彰さんが埼玉県春日部市を拠点に運営している「Acorns Rugby Academy」も昨年に続き実施した釜石遠征で合流。そこに、ホスト役として釜石シーウェイブス・ジュニアの小中学生と宮古ラグビースクールの中学生が参加。総勢100人を超える小中学生男女が集まり、楕円球を追った。
一行は23日(金)、それぞれの地元から釜石へ移動。ワイルドナイツ・ジュニアユースは熊谷ラグビー場に集合してバスで釜石へと出発した。
「2019年ワールドカップの会場になった熊谷から出発して、やはりワールドカップ会場になった釜石を目指す。いいな、と思いました」と三宅さん。三宅さんは2017年、高田馬場ノーサイドクラブとスクラム釜石が共同で実施した釜石ツアーに家族で参加。津波に襲われた地で復興を目指し、ワールドカップを開催しようとする地域の力、ラグビーの力に触れ、いつかまた訪れたいと決意。そして昨年、ワイルドナイツジュニアユースのコーチに就いたことで再訪を決意したという。
「ラグビーをすることよりも、人として釜石を訪れて、いろいろなことを感じて欲しかった。釜石にはラグビーのコアバリューが詰まっていると思いましたから」
震災被害から復興を果たし、そのシンボルとして人口3万人の小さな町がワールドカップ開催を目指した。そのために数え切れない人数のラグビー仲間が集い尽力した。それこそがラグビーのコアバリュー「品位:Integrity、情熱:Passion、結束:Solidarity、規律:Discipline、尊重:Respect」の5項目を体現している、未来のラグビーを、そしてこの国を担う子どもたちに現場に立ち、体でそれを感じて欲しい――それが三宅さんの思いだった。
そんな三宅さんの思いは「絆キャンプ」のスケジュール表に現れていた。熊谷から釜石へ向かう道中では、津波で職員と町民43人が犠牲になった南三陸町の防災庁舎を訪れ祈りを捧げた。釜石に到着すると、震災伝承施設「いのちをつなぐ未来館」へ真っ先に訪れ、震災訓話に耳を傾けた。
「お話ししてくれた方は、中学生のときに被災して、小学生やお年寄りの手を引いて避難した方でした。今、自分は中3ですが、自分と同じくらいの年齢で、自分の命が危機にあるときに人助けをするなんてすごいな……と、命の大切さをいろいろ考えました。最初はラグビーがメインの合宿だと思っていたけど、それ以外の学びが多くて本当に貴重な経験になりました」(ワイルドナイツ・ジュニアユースの吉沢颯汰主将)
2日目はラグビーDAY!
一夜明けた24日はラグビーDAY。盛りだくさんの一日だった。まずは鵜住居復興スタジアムからほど近い、ワールドカップで来征したチームの練習会場にもなった根浜グラウンドでラグビークリニックを開催。
釜石シーウェイブス・ジュニアと宮古ラグビースクールの選手・コーチも合流し、選手全員をシャッフルして4班(中学生3班と小学生1班)に分かれ、4つのメニューを行った。担当したのはワイルドナイツ・ジュニアユースの谷田部洸太郞コーチがボールキャリーのスキル、香月武コーチが状況判断スキル、Acornsの中村彰コーチがタックルスキル、シーウェイブスジュニアの細川進コーチがハンドリングスキル、それぞれのドリルを担当。各ドリルは15分、4班を1周する形式で行われた。
「いつもとは違うコーチの指導を受けることができて新鮮でした。いろんな人と関わりを持つことで、新しい視点が生まれるし、ラグビーのプレーにも繋がりができてくると思う。将来はラグビーの日本代表になって世界で通用する選手になりたいです」(ワイルドナイツ・ジュニアユースの三宅葵選手=中2)
中でも選手たちから好評だったのは、Acornsの中村彰コーチが担当したタックル教室。相手の腰から膝にかけて身体を密着させ、腕でしっかりバインドして倒す。タックルされるほうも、簡単には倒れないようにガンバる。ドリルにはちょっとしたゲーム性も取り入れられている。
タックル担当の中村コーチは佐賀工から関東学院大というゴールドコースを経てNZへ渡り、数多くのオールブラックスを輩出したオークランドの名門クラブ・ポンソンビーでプレー。帰国後は福岡サニックスブルーズ、釜石シーウェイブス、近鉄ライナーズで活躍したフッカーだ。波瀾万丈のラグビーキャリアは、こんな基礎スキルに支えられていた……クリニックからは、そんなラガーマンの物語も垣間見えた。
参加した選手たちから「タックルをこんなに教えてもらったの初めてだ」という声が聞こえた。まだ中学生、本格的なタックルを学ぶのはこれからだろうが、大人のラグビーの入り口を見せてあげることも大事なのだなあと思った。
場所を鵜住居復興スタジアムへ
絆キャンプはその後、場所をワールドカップの舞台、「うのスタ」こと鵜住居復興スタジアムへ移した。
まずはスタジアムツアー。元釜石シーウェイブス主将で、現在は釜石市職員の佐伯悠さんが、この場所にかつてあった小中学校のこと、震災のときの小中学生たちの行動、そこで復興の象徴としてワールドカップを開こうと思った人たちのこと、観客席も少なくナイター設備も大型スクリーンもないスタジアム設計に込められた理念……ユーモアあり、涙が出そうなじんとくるエピソードありの佐伯さんの説明を聞きながら、中学生たちは持参したラグビーノートにペンを走らせ、忘れるものかとメモを取る。
そして足を踏み入れたのはロッカールーム。ワールドカップを戦ったフィジーやウルグアイの選手たちが試合前の時間を過ごした空間に身を置く。テストマッチに臨む選手になった気持ちで目を閉じてみる……その様子を見ていると、何だか、ひとりひとりの脳裏を過ぎる映像を覗いてみたくなった。素敵な経験だなあ。
絆キャンプはいよいよゲームタイムに入る。もともとは「試合はしなくてもいいと思っていた」と三宅さん。しかしホスト側の釜石・宮古チームが「せっかく釜石まで来てくれるなら」と試合を強く望んだのだそうだ。試合はU15のワイルドナイツジュニア対シーウェイブス・ジュニア、U13の埼玉・広島合同対三陸合同、そしてU15の埼玉合同対三陸合同(宮古・釜石)の順で行われたが、試合を重ねる毎にどのチームの選手もプレーのレベルを上げていくのがはっきりと分かった。
外のスペースからボールを呼ぶコーリング、そこへボールを運ぶパスワークとサポートの速さ、それに対応するディフェンス側のコミュニケーション……記者はシーウェイブスジュニアの中学生のゲームは何度か見ているが、これまで見た中で最もレベルの高いゲームだった。ワイルドナイツのメンバーの中に入ったAcorns、広島の選手たち、釜石の選手と組んだ宮古の選手たちも、遠慮することなく意思表示しながらプレーしていた。
「僕はタッチジャッジをしていたので、コンバージョンを待っている間、トライを取られた側のインゴールでのハドルの近くにいたのですが、釜石チームのトークが的確で素晴らしかった」と証言したのは三宅さんだ。宮古チームとAcornsの女子選手が積極的なコーリングでチームのコミュニケーションを図っていた姿も印象的だった。
試合が終わる。もともとは別チームだった選手たちが、少し照れながら握手をかわす。中には、ずっと前からの仲間だったように打ち解けている選手もいるしそうでもない選手もいる。試合をすれば嬉しい選手も悔しい選手もいるだろう、このへんの温度差も楽しいところであり、すべてが宝物だ。
メインイベント―アフターマッチファンクション!
そしてここから、絆キャンプは本当のメインイベントに入った。選手たちがシャワーを浴びて汗を流し(この日の釜石は最高気温35度に達する猛暑日だった!)、スタジアムのテラスに上がると、用意されていたのは岩手県遠野市の名物「バケツジンギスカン」によるアフターマッチファンクションだ。戦い終えた選手たちはチームをシャッフルして5~6人ずつバケツを囲んで車座になり、ジンギスカン鍋をつつきながら話す。自己紹介。チームのこと。どんな練習をしているか。学校生活のこと。地元のオススメスポット、観光地、趣味のこと……とめどないことをしゃべり、中にはLINEを交換し、次のステージでの再会を約束する者もいた。
さらに、宴たけなわになったところで「アイスクリームがあるよ!」の声。うのスタ近くでぶどう&ブルーベリーを栽培し、ワイン作りにチャレンジしている「うのスタワイナリープロジェクト」のみなさんとスクラム釜石で用意した美味しいブルーベリー&バニラアイスクリームが振る舞われたのだ。
みんなジンギスカンで満腹になったはずだが、そこは別腹。誰もが笑顔で冷たいアイスを頬張った。ラグビーからジンギスカンそしてアイス。まるで予測できなかった、だけど絶妙なコンビネーション。日が落ちたスタジアムに漂うラム肉の焦げた香りと煙。遠い残照。どこか現実離れした、幻想的な光景。
ファンクションはそこから、各チームのMVP発表へと進んだ。各チームのコーチが、自チームで最も頑張った選手を一人選び、コメントをつけて賞品をプレゼントする。選んだ理由も、ラグビーでのプレーあり、悔しさをどう飲み込んだかの姿への評価あり、他チームの選手との接し方あり……普段から見ているコーチが選び、コメントする姿に愛を、そしてラグビーで結ばれた絆を感じた。
少数精鋭、3人で参加した広島の子たちもそれぞれの感想を持っていた。
「他のチームの選手たちは、コーチをニックネームで呼んだりしていて、いいなあと思った」(小川暖真さん=中1)
「埼玉の有名な場所を教えてもらって、視野が広がりました。所沢の航空公園へ行ってみたくなった」(清水嘉将さん=中1)
「初めて会った人と一緒にラグビーをしたけど、自分もうまくなった気がしました。1年生同士で、サポートについていってオフロードをもらってトライできて嬉しかった。あと、広島とはセミの種類が違うのが新鮮だった」(碓井大和さん=中1)
絆キャンプを企画し、運営に尽力した三宅さんは「これで終わりじゃない気がしますね」と言った。
ラグビーという共通項で繋がれた新しい絆が生まれた。釜石という特別な場所だから学べたことがたくさんあった。少年たちはひとつひとつを予想以上に吸収してくれた。震災当時の話を聞き、防災意識を考えた。地元に戻ったらその学びを日常の生活に活かしてくれるだろう。それはラグビーにも活かされるだろう。同時に、やってみたいこと、行ってみたいところもまた増えたようだ。
「今回、広島の選手たちと一緒に過ごしてみて、広島にも行ってみたいと思ったし、いずれ落ち着いたら能登へも行ってみたい」と三宅さん。釜石で学び、考えたことは、ラグビーのフィールドだけに収まらずに活かせる気がする。
リーグワンのトップチームであるワイルドナイツのユース部門、同じ埼玉県でもラグビーの盛んでない東部で活動するAcorns、同じくラグビーの盛んではない広島で頑張るスカイアクティブズのユース部門。震災の被害から復興した小さな町でラグビーに打ち込む釜石や宮古の子どもたち……そこにはそれぞれの現実があり、環境は均等ではないが、ともに学べる、ともにボールを追える。そこに発見があり、学びがあり、ともに過ごすことで絆が生まれる――生まれた絆と同じくらいに、それが生まれることを実感できたことが、みんなのこれからのラグビーを、人生を、きっと明るく照らしてくれるだろう。
2年後か3年後、熊谷の全国高校選抜、花園の全国高校大会、夏の全国高校セブンズやコベルコカップで「絆キャンプで試合したよね」「いっしょにジンギスカンたべたよね」なんて会話が生まれるかもしれない。もしかしたら、道はそこから世界へ続いているかもしれない。
大友信彦 (おおとものぶひこ) 1962年宮城県気仙沼市生まれ。気仙沼高校から早稲田大学第二文学部卒業。1985年からフリーランスのスポーツライターとして『Sports Graphic Number』(文藝春秋)で活動。’87年からは東京中日スポーツのラグビー記事も担当し、ラグビーマガジンなどにも執筆。 プロフィールページへ |