2013年12月5日(日本時間6日)、現代の世界で最も尊敬を集める偉大な人物が世を去った。
ネルソン・マンデラ。
かつて、過酷なアパルトヘイト(人種隔離政策)をとっていた南アフリカ共和国で、黒人解放と全人種の平等社会を求めて闘争に打ち込み、27年間もの長きにわたって投獄されたにもかかわらず、1990年に釈放されて以降は、白人への恨みを口にせず、人種融和を指導した。
1994年に行われた南ア史上初めての全人種参加選挙で大統領に選ばれると、翌年には、国際社会に復帰した南アにとって初めての世界的なイベント、ラグビーワールドカップが開催された。マンデラ大統領は、かつて白人支配(=人種差別)の象徴とされたラグビーの南ア代表、スプリングボクスを、全人種融和の象徴と位置づけて支持し、南アを新しい時代へと導いた。
迫害と憎悪の連鎖を断ち切り、赦しと連帯へ前進するために、スポーツの持つ力を最大限に活用した。それは人類の歴史に刻まれる偉業だった。
マンデラ元大統領のご冥福を祈ります。そして、多くの日本人、いや世界の人々にとって遠い国だった南アフリカが、新生国家として産声を上げたばかりの1995年へ、タイムトラベル!
1995年6月24日。雲ひとつなく晴れわたった南アフリカ最大の都市ヨハネスブルク、ラグビースタジアムとしては世界最大のキャパシティーを誇るエリスパーク。決勝のキックオフを30分後に控え、フィールドには閉会セレモニーの主役となる子供達が飛び出す。
突然、スタジアムの上空を巨大な影が覆う。一瞬おいて、金属的な轟音がスタンドに降る。
ジャンボジェットの超低空飛行。
30秒後には、その高度のまま旋回してきたジャンボの音が再びスタジアムを包みこむ。高度はおよそ500m。安全だの航空法規だのと言ってたらできっこない芸当だ。
“そこまでやるか”。心底驚いた反面、妙に納得している自分に気付く。
これが南ア、とは言わないが、これはまぎれもなく、南アの一部だ。
もうひとつの“そこまでやるか”。は決勝の試合中に出た。選手が倒れ、試合が中断する。スタンドの一瞬の引き潮目がけ、南アの国民歌「ショシャローザ」が大音量で流れる。通常のホーム&アウェーで行われるテストマッチならともかく、これはW杯の決勝だぜ、と思いながら、そこまで突き進んでしまう南アの国民性が、妙におかしい。
ともあれ、37日間の南アW杯取材は驚きの連続だった。