田中史朗が今季限りの現役引退を発表-ワールドカップ3大会出場した日本ラグビーのために尽力した先駆者のネクストステージは | ラグビージャパン365

田中史朗が今季限りの現役引退を発表-ワールドカップ3大会出場した日本ラグビーのために尽力した先駆者のネクストステージは

2024/04/25

文●編集部


ラグビー日本代表としてワールドカップ3大会に出場、日本人初のスーパーラグビー選手となったSH田中史朗(NECグリーンロケッツ東葛)が今季限りでの引退を発表した。会見途中にサプライズ登場した松島幸太朗(東京サントリーサンゴリアス)、松田力也(埼玉パナソニックワイルドナイツ)の登場に思わず涙。引退理由と今後の活動について話した会見を余すことなくお伝えする。



こんにちは、田中史朗です。本日はお忙しい中、たくさんの方々にお集まりいただきありがとうございます。私、田中史朗は今シーズンの終了を持ちまして、現役を引退することを決めましたのでみなさまにご報告させていただきます。17年間という長い現役生活でしたが、最高に幸せな時間でした。本当にありがとうございます。
この小さな体でここまでプレイできたこと、日本代表としてワールドカップに出て、新しい日本の歴史を築けたことは私の誇りです。たくさんのチームメイト、チーム関係者、メディアの方々、そしてファンのみなさま、何より家族のサポートがあって、ここまで続けてこられました。本当に感謝しています。本当にありがとうございます。


今後ですが、NECグリーンロケッツ東葛アカデミーのコーチとして、普及活動を続けていく予定です。幸運なことにエディジョーンズ、ジェイミー・ジョセフ、トニー・ブラウンという素晴らしいコーチが周りにいるので、彼らからコーチングを学び、将来的には日本代表のヘッドコーチをやってみたいと考えています。NECグリーンロケッツ東葛は公式戦がまだ4試合残っているので、引き続き応援していただけると嬉しく思います。これからもNECグリーンロケッツ東葛、そして日本ラグビーをよろしくお願いします。

――この決断に至った経緯、そして、どういう段階で引退を決めたのでしょうか?

(2019年ワールドカップで)日本代表が終わってから何年もプレイさせていただいていましたが、本当に体がきついというのがまず一つ、そして下からもすごくいいプレイヤーが出てきているっていうのも、本当に悲しくもあり、嬉しくもあった現状です。日本ラグビーというのがすごくレベルアップしていて、僕の今のパフォーマンスで現役を続けているっていうのが正直やっていていいのかなっていう部分もあったので。それをずっと考えながら、その中でやっぱり僕がやることの意味っていうのもあったので、ずっと続けてこられたんですけども、やはり限界というものを感じて、こういう決断に至りました。



(2019年)ワールドカップが終わった1、2年後から、そういう思いを持っていましたね。ワールドカップの時でもやっぱり本当に限界を感じながらプレイをしていたので、その中でファンの皆様と家族に支えられながらこうプレイしていたので、皆様には感謝していますし、自分自身でもやり遂げられたのは、本当に自分の誇りになっています。今シーズンも試合は出てはいたんですけども、チームにとって、そんなにいいパフォーマンスができていたわけじゃないので、今シーズン半ばに決断させていただきました。



――印象に残っている試合は?

いっぱいあるんですけども、自分は出ていなかったんですけども、ハイランダーズの優勝の瞬間というのは、今でもずっと覚えています。日本代表ではやっぱり(2015年ワールドカップ)南アフリカに勝った試合で、本当に日本の皆さんに感動というものを届けられたんじゃないかなと思うので、あの試合が一番(印象に残っている試合)になります。

――いつも最後に「日本ラグビーをこれからよろしくお願いします」というお言葉をつけていました。その思いは

本当に自分自身、日本ラグビーのために全力でやってきましたし、僕が現役を引退しても誰でも日本のためにラグビーをできると思いますし、いろんな方に応援していただけるとも思って、この言葉をずっと発信してきました。本当にたくさんの方々がこの言葉に反応してくださって、共感してくださって、応援してくださりました。本当にずっと言い続けてきて良かったなっていうのを実感しています。

三洋時代の田中史朗

三洋時代の田中史朗

――そのきっかけは

2011年のW杯での敗戦ですね。3敗1分で帰ってきたとき、メディアもファンもほとんど空港にいなくて、まあ日本のラグビーがまあ終わってしまうという本当に危機感があったので、自分たちがこう日本のラグビーの人気を落としてしまったので、自分たちがしっかり日本のラグビーの人気を上げないといけないという責任感、罪滅ぼしということで、この言葉を使い続けています。

――ご家族のサポートという言葉がありました。ご家族の存在は

本当に自分のモチベーションを上げてくれる存在でしたし、本当に子どもたちの笑顔を見たくて頑張ってきた部分もあります。やっぱり妻がアスリートだったので、優しかったんですけど、やっぱり厳しい部分があって、一緒に頑張るから、もうちょっと頑張ろうっていうのをずっと言い続けてきてくれたので、本当に妻がいたからここまでやってこられましたし、本当に妻のおかげで、本当に最高に幸せなラグビー人生が送れたなっていうのを感じています。

――2012年から一人でニュージーランドに行って、日本ラグビーが変わったと思いますが振り返って?

自分が使ってきた時間が日本のラグビーを変えていけるっていう思いを持ってプレイしていたので、それを今の子供たちも世界を見る機会っていうのを増えたと思いますし。本当に日本のラグビーのラグビーに対する気持ちっていうものを変えられたんじゃないかなと思っています。

――この先、日本代表がさらに上に行くために必要なものは?

シンプルに世界は本当にそんなに甘くないということをやっぱり伝えたいですね。本当に厳しい世界ですし、日本だけがこう努力してしんどいことをしているわけじゃないので、いろんな人とつながりながら、世界の情報も得ながら、やっぱり日本のラグビーを築いていかないといけないので、そういった意味、部分ではやっぱりもっともっと人とのコミュニケーションを小さい頃から取れるようにしていきたいですし、日本全体としてもやっぱり英語を学びながら世界にチャレンジする意識というものをラグビーだけじゃなくて、いろんなスポーツで持ってもらいたいなと思いますね。

――奥さまに引退するという事実を伝えられたのはいつ頃で、その時どんな言葉をいただいたのでしょうか?

2ヶ月弱前ですかね。引退するということを決めて、その話をしたんですけども、日本代表を諦める、諦めないという話をしていた時はもうちょっと頑張ろうって言ってくれたんですけども、今回、(引退を)言った時は「本当にお疲れ様。ありがとう」という言葉をかけてくれた。自分自身も肩の荷が下りたような思いもありますし、本当に妻と一緒に戦ってきたなっていう実感がありました。

――日本にラグビーを文化として根付かせたいという話を何度もされていました。そういった視点から、今後の日本のラグビー界に期待したいことは?

本当に昔、僕が過ごしていた頃よりもラグビーというものが少しずつ文化になって日本に根付いてきているので、今はすごく満足しています。だけど、やっぱり一番大事なのは日本代表が勝つことっていうのがすごく大事です。そのために代表がまず勝つこと、そして若い頃から小さい頃からラグビーに携われる環境というものを日本全体が作っていければ、もっともっといいラグビーの環境ができて子供たちの成長にもつながるんじゃないかなと思っています。

――NECグリーンロケッツ東葛のアカデミーコーチになろうとした理由は?

ラグビーを教えるのが僕はどこでもいいとは考えていたのですが、ベースとして、一つチームがあれば、そこから動きやすいなということで、まずNECさんのアカデミーがすごくいい状態で、人数も増えてきているので、選ばしてもらいました。そこから、いろんなところでたくさんの子どもたちにラグビーを教えたいっていう思いがあるので、NECさんだけでなく、いろんなところで普及活動したいなと考えています。

――将来的に日本代表のヘッドコーチになりたいと思った経緯を教えてください

選手として日本代表で、試合に勝つことの喜び、そしてファンの皆様、日本の皆様が喜んでいただける喜びというのを感じたので、それをもう一度、味わいたいですけども、やっぱりプレイヤーとしてずっと継続することはできないので、次はコーチになってそういう思いを選手に味わっていただきたい。そしてファンの皆様、日本の皆様に、そういう感動を届けられるような、チームを作りたいという意味でそう思っています。

――今までいろいろなヘッドコーチと一緒に仕事をされてきて、どんなヘッドコーチになりたい?

本当に厳しさがあるヘッドコーチというのは絶対必要だと思う。特に日本のラグビーでは厳しさがないと世界には勝てないということを自分でも体感したので、まず厳しいコーチ。その中でやっぱり人間として選手の皆と一緒に戦っていけるように、家族のような何でも話せるようないい間柄になっていければいいなと思っています。本当に綺麗事だけではなれないと思うので、これからもいろんなコーチングを学びながら、周りの人とのこのつながりというものを大事にしながら、将来的にやっていければいいなと思っています。

――田中選手にとってラグビーって一言で表すとしたらどんな存在ですか?

僕の人生ですね。人生そのものです。本当にラグビーがなければ生きていけないですし、ラグビーのおかげで、ここまで自分自身を成長させてもらえたので、本当に自分の人生だと思っています。

――もし次生まれ変わったとしても、まだラグビーの道を歩みたいと思います?


もう絶対にラグビーの道を選びますし、ラグビーなしでは生きていけないと思います。


<<松島、松田登場!>>



田中 来てくれて嬉しく思います。さっき頑張って泣かんかったのに(泣)

――2人に対して

田中 2人は若い頃から日本ラグビーを引っ張ってくれた2人なので、今のパフォーマンスを見ても、世界のトップクラスのプレイヤーなので安心してますし、あとはこれからリーダーシップを持って日本ラグビーを引っ張っていってくれたら嬉しいなと思います。いや、本当にあのここで最後会えたことっていうのが本当に嬉しいですし。ほんまにありがとう!

――田中選手への思い出とコメント

松島 本当にお疲れ様っていう一言です。自分がジャパン入った時からずっとお世話になっているし、やっぱり、最後はこう華やかに終わった方がいいと思います。(田中選手との)思い出は、初めて会ったのはグロスター戦の前です。最初はちょっと敬語を使っていたんですけど、日数ちょっとして、もういけるなと思って、それから、本当にグッと仲良くなれたっていう感覚があった。
これからどういうステージに行くか、まだ聞いてないんでわからないんですけど、何をするにしても、ラグビーに関しては一生懸命な人なので。これからの普及もやっていくと思います。僕も手伝えることがあれば、どんどん参加していきたいなと思います。



松田 本当にお疲れ様です。中学、高校から見ている選手で、僕の憧れでもありました。同じチームでラグビーしていたし、プライベートでもすごく可愛がってもらったので、この場に来られて嬉しく思います。ラグビー以外のところもたくさんいろいろ学ぶこともありましたし、この涙を近くで最後に見られてよかったなって思います。
初めはものすごく怖かった。初めて会ったのは中学校の時の試合だった。フミさんがたまたまゲストで来てくれていて、三洋電機のグッズとかをくれた。本当にすごい人っていうイメージがあって、次はちょっと怖い人だったんですけど、すごく雰囲気はあって。ただ本当いろいろ話しているうちに今では言えない思い出がたくさんあるような感じで、すごく面倒見てもらったし、可愛がってもらった記憶がいっぱいある。
本当にこの場だけでは話せないことがたくさんあります。本当にいい思い出がいっぱいある。プレイヤーとしてもすごく感謝しているし、いろんなことをラグビー以外のところでも教えてもらった先輩で、本当に率直に寂しいなっていう気持ちがあります。フミさんが残してくれたものを日本代表としてもそうですし、ラグビー界が繋いでいかないといけないと思います。伏見の後輩として、泣く役はもらおうかなと思います(笑)

――2人に対して

田中 日本ラグビーは僕がいた頃よりもう断然強くなっていますし、本当に見ていても安心できるプレイもあるんですけども、世界のトップ10にはもっと努力しないと勝てないので、彼ら2人にもこれからもっともっと努力してもらって、本当に世界であのトップ4を目指せるようなチームを作っていってほしいなと思います。



――最後に

田中 本日は本当にありがとうございます。引退するっていうのは、誰もがこう経験することなので、しっかりと切り替えて、ラグビーが終わってからの人生の方が長いと思いますので、ラグビーを引退してから、たくさんのいろんな方々にラグビーの素晴らしさを伝えながら、本当にこれからもラグビーを愛して生きていきたいと思っています。

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