現役ラグビーウーマンが新ブランドを立ち上げた。 東京山九フェニックスのPR岸本彩華(きしもと・いろは)が、このたび、ラグビーウェアの新ブランド「maresta(マーレスタ)」をデザイナー兼プロデューサーとしてスタートさせた。
2025/07/08
文●大友信彦
6月21-22日に熊谷ラグビー場で開催された太陽生命ウィメンズセブンズシリーズ熊谷大会会場では、新ブランド最初のポップアップ店舗を出店。 さまざまなチームの選手やファン、地元の男女中高生ら多くの来店者でにぎわった。
「ブランド名のマーレスタは、誉(ホマレ)と海(マーレ)と星(スター)をつないだ造語です。 大海原の中で輝く一番星、どんな環境にいても、自分の力で一歩踏み出す人のそばに寄り添い『想いを繋ぎ、誉を纏う』『自分自身に誉を贈れる』ウェアを届けたいという思いで名付けました」

海は、光の当たり方によってどのようにも輝ける。 『あなた次第で輝けるよ』という思いを込めて名付けました」
デザイナー兼プロデューサーの岸本は26歳のプロップ。 2024年と25年にはオーストラリアのブランビーズでスーパーWをプレーし、2024年にはサクラXVの強化合宿も経験。

岸本彩華さん
今年1-2月の全国女子選手権準決勝・決勝ではリザーブからタイトヘッドで途中出場し、全国選手権3連覇に貢献したバリバリのトップ選手である。
同時に、ラグビーをはじめとしたスポーツウェア、トレーニングウェア類を展開するアパレルブランド「HER7(エルセブン)」などでデザイナー兼プロデューサーを務めている。
今回の「Maresta」ではブランドの立案からデザイン、工場との発注交渉、物流の手配、調整など一切を仕切った。 そんな岸本が自身で手掛けたブランドに「海」にちなんだ名をつけたのは故郷への思いからだ。

2024年11月に行われたアルテミとの強化試合
「生まれは鹿児島県の甑島(こしきじま)です。 『Dr.コトー』の舞台になったところで、自然が豊かで、海がきれいというか、海しかない(笑)。
小学校は学年で7人、複式学級でした。 中学校は島内の3つの小学校が一緒になって11人になりました。 住人は少ないけど、本土のあちこちから釣り人がたくさん来ます(笑)」
中3のとき、兄の高校進学を機に家族で本土(鹿児島市の隣の日置市)に移り、 鹿児島工でラグビー部に入った兄の影響で、妹の彩華も鹿児島ジュニアRSでラグビーを始めた。
「兄のラグビーをしている姿がかっこいいなあ、と話してたら、母が鹿児島ジュニアラグビースクールに連れて行ってくれました。 そのスクールで初めての練習が1時間のフィットネスでした」
それはラグビーを嫌いになるパターンでは? と思ったら違った。
「その中でアヒル歩きがあったんですが、私は中学のバレー部でいつもやっていたので得意で、男子をどんどん抜いて、楽しかったんです(笑)」
島の娘は強かったのだ。
フェニックス入団と脳震盪によりセカンドキャリアが始まる
そこから中3で鹿児島県選抜のFW(男女混合!)に選ばれ、 その実績を認められ鹿児島工高ラグビー部初の女子部員として迎えられた。
高2と高3では夏のコベルコカップに九州選抜で、冬の女子U18花園15人制に西軍で出場。 九州女子の同期には長田いろは(アルカス熊谷)、高崎真那、山本和花(横河武蔵野)らがいた。
そのころ、新戦力を探していたフェニックスの四宮洋平監督のアンテナに「鹿児島に面白い子がいる」との情報が入った。 工業高校だからいろいろ資格も取っているだろう(のちに明確な資格は取っていなかったことが判明したが…)ということから、
スポンサーでもあるイベント装飾会社「ムラヤマ」にアスリート社員として入社し、フェニックスに入団。 18歳になった春、東京での生活が始まった。
「東京は…初めての大都会に驚くことばかりで、チームのレベルの高さについていくこと、仕事を覚えることに精一杯で、 どんな気持ちだったかは何も覚えてないです(笑)」
働きながらラグビーに打ち込む生活に変化が訪れたのは、PRとして頭角を現した矢先の6年目だった。 練習中の脳震盪でドクターストップがかかり、ラグビーができなくなった。失意の時間。
そのとき四宮洋平監督(現CEO)から与えられたミッションが、チームのSNS発信、アナリスト業務、そしてチームウェアやグッズのデザインだった。
「それまでもSNSやYouTubeでの発信を見ていて『センスあるなあ』と思ってたんです。 ラグビーができない間、せっかくだったら、仕事としてやってみろ、と」(四宮)
アスリート社員として入社しながらプレーできないのは申し訳ないとムラヤマは6年で退社。 東京山九フェニックスを運営する(一社)Tokyo Athretic Unitedの職員となり、現役中断中にセカンドキャリアを積み始めた。
「初めのころは練習場に行っても、脳震盪の影響でトレーニングマシンの音が頭に響くし、 グラウンドに出ると目が霞んだり。
でも症状が軽くなってきたら、仲間の近くで毎日を過ごしていたせいか 『またみんなと一緒にラグビーやりたいな』という気持ちになりました」
脳震盪からのリハビリは約1年半も続いた。 だが久々で復帰してみると、中断していた時間の経験はプラスに働いた。
「脳震盪をする前は猪突猛進、単純に行くだけのプレーヤーだったんですが、 復帰してからは余裕が出たというか、周りの仲間を見ていろいろな選択肢を持てるようになりました。
試合中に周りと喋れるようにもなった。
アナリストとしてラグビーを客観的に見たこと、スタッツを出して、 そこから読み取れることをコーチとたくさん話したのが良かったのかな」
そして、脳震盪の間に注力したもうひとつのミッションが、デザイナー業務だ。
「もともと絵やデザインは好きだったんですが、 チームのデザイナーを任されてからは独学でソフトの使い方や色の意味、効果を勉強しました」
デザインを考え、試作を重ね、仲間の感想も聞いてフィードバック。 チームのトレーニングウェアや応援用のベースボールシャツやグッズを作り、 様々なトライを重ねながらクオリティを上げていった。

手がけたのは自チームのウェアだけではない。
リーグワンD3のルリーロ福岡、トップイーストのビッグブルーズ、 地元・鹿児島の鹿児島銀行ラグビー部、
高校では京都成章、桐蔭学園、東海大仰星、茗渓学園……
選手やスタッフの出身校や人脈から契約先はどんどん広がり、 トレーニングウェアなどを受注したチームは30を超えた。
そのたびに岸本はチームのカルチャーやスローガン、ウェアに込めたい思いを丁寧にヒアリングしてデザインに投影させた。
「チームの思いを聞いて、頭に浮かんだ色を選びますね。 色にはそれぞれ意味がある。 『花言葉』みたいな『色言葉』があるんですよ」
その働きぶりには四宮CEOも舌を巻く。
「間に商社を入れるとコストがかかっちゃうから、 発注も物流の手配も在庫の管理も全部岸本にやってもらってるんですが、すごいですよ。

中国の工場とも、現場の担当者と直接英語でやりとりしてます。 運送会社とも相見積もりを取って交渉して、スケジュールもしっかり組む。
営業も自分で動いて、経理もやって、去年だけで3000万円を売り上げました。 完全に黒字部門で、フェニックスの運営に貢献してくれてます」
プレーヤー生活にも手抜きはない。
昨年、フェニックスがオーストラリアに遠征した際は、 パワフルでクレバーなプレーで相手HCから直々に指名されてブランビーズに助っ人で加入し、スーパーWでプレー。
そのパフォーマンスが評価され、今年も荒馬のジャージーを着た。
「オーストラリアには本当にいろんなバックグラウンドの選手がいて、 ラグビーの試合や練習の時以外は本当にバラバラな生活で、好き勝手に生きている(笑)。
でもラグビーをするときの切り替えがすごい。
私はそれまで、それこそ24時間ラグビーのことを考えて、仕事のことも24時間考えてしまうタイプだったけど、 彼女たちと過ごすことでオンオフの切り替えができるようになった。
デザインするときはデザインに集中する。効率が上がったと思います」
とはいえ、岸本はTokyo Athretic Unitedアパレル部門で責任ある立場、 とりわけ今年は新ブランド立ち上げの激務を抱えながらのブランビーズ行きだった。
試合前のロッカールームでも、スマホには商談や物流手配、確認のメールやデータがどんどん届き、 ロッカーを出る直前まで対応していたそうだ。
「練習や試合の間は仕事のことを考えたくないので、 グラウンドに出る前にできるだけ清算してしまうようにしてました(笑)」
フェニックスが女子ラグビー界に提示する新たなロールモデル

現役選手を続けながらセカンドキャリアをスタートさせた岸本さん
魅力的なストーリーだ。
ラグビーでは脳震盪や負傷などのアクシデントが(残念なことだが)つきものだ。 だがそんなときも競技に別れを告げるのではなく、
リハビリの時間もキャリアアップに使い、高めたキャリアを快癒後は再びラグビーに、所属チームに還元する。
それができるなら、安心して無理せず早めに競技を中断、治療に専念できるだろう。
今年から役職名を変えた東京山九フェニックスの四宮洋平CEOは言う。
「ウチにはたくさんの選手が来てくれているし、 引退後のセカンドキャリアだったり、現役をしながら仕事と両立できるチャンスを与えたい。
フェニックスのことをよく知り、愛情がある人材にチーム運営の一部を任せ、 フェニックスファミリーで仕事を内政化していきたい」
東京山九フェニックスでは今季からチーム運営の各部門に現役選手やOGを配置している。
メディカル:土岩穂高
PR:長利奈々
アカデミー:黒川碧
分析:村瀬加純
生活サポート:田中怜恵子
HC:野田夢乃

今季からセブンズのHCを務める野田夢乃
クラブに集った才能たちが、現役引退後も、あるいは現役中からプレー以外でも、 チームにそして社会に貢献する方法を探り、キャリアアップを重ねてはそれをチームに還元する。
勝利を追うだけではない。選手としての成長を求めるだけでもない。 ラグビーに打ち込みながら人生をエンジョイする。
「Maresta」のプロダクトには、岸本がラグビーとともに培い、 東京山九フェニックスが積み重ねてきた、そんな思いが込められていた。
ラグビー女子にまたひとつ、新しい生き方のロールモデルが示された。
![]() (おおとものぶひこ) 1962年宮城県気仙沼市生まれ。気仙沼高校から早稲田大学第二文学部卒業。1985年からフリーランスのスポーツライターとして『Sports Graphic Number』(文藝春秋)で活動。’87年からは東京中日スポーツのラグビー記事も担当し、ラグビーマガジンなどにも執筆。 プロフィールページへ |