中村知春・GM兼選手、2年越しの鈴鹿での戦い―ナナイロプリズム福岡、初の太陽生命シリーズは9位 | ラグビージャパン365

中村知春・GM兼選手、2年越しの鈴鹿での戦い―ナナイロプリズム福岡、初の太陽生命シリーズは9位

2022/06/09

文●大友信彦


「いろんな思いがありましたね」と中村知春は言った。

「ちょうど1年前、次は自分のチームを引き連れてここに戻ってくるぞと決意して。思い出しますね。ここからスタートしたんだな。チームがあって、良かったな、と思いますね……」

そして、こう付け加えた。

「あのときは、いろんな思いを抱えてましたね」


1年前の鈴鹿大会は6月26-27日に行われた。その1週間前の6月19日、東京五輪の男女セブンズの内定選手が発表された。

そのリストには、少なくないファン、関係者が驚きの声をあげた。リオ五輪から、いや、それに先立つ2012年からサクラセブンズの主将を務めてきた日本女子ラグビーのカリスマリーダー中村知春が落選。

さらに、やはりリオ五輪からチームのアタックの中心的役割を果たしてきた大黒田裕芽の名前もリストにはなかった。その半年前に就任したハレ・マキリHCは「彼女たちにはリスペクトを持ってセレクションした」とコメントしたが、本人たちにも落選理由は伝えられなかった。

落選を聞いた日は一睡もできなかった。3日ほどは食事ものどを通らず、お風呂にも入れない日が続いたという。20代のほぼすべての時間、プライベートも削って、青春のすべてをサクラセブンズに捧げてきた。グラウンド上のことだけではなく、後に続く若い仲間のためにも、セカンドキャリア作り、プレーヤー生活と社会人生活の両立、充実を図れるような努力をしてきた。


その努力を裏切りたくない――起き上がる元気もない毎日を過ごしながら、中村知春は、心から血を流したまま、1年前の鈴鹿にやってきた。各チームに散らばる元サクラセブンズのチームメイトたちとハグしあい、思いを伝え合った。インターバルのトークショーでマイクを握り、女子ラグビーを育ててくれた太陽生命シリーズという大会への感謝を、大会運営に尽力してくれたスポンサーや大会関係者、支えてくれたファンへの謝意を、時折声を詰まらせながら伝えた。

そして中村知春はつけくわえた。


「本当に、いろいろな思い、いろいろな楽しさを教えてくれる素晴らしい大会です。この場所に、ナナイロのチームを引き連れて帰ってくることが直近の目標になりました。いつも目標を与えてくれる大会です。素晴らしい大会に感謝しています」


その目標は奇しくも、1年後の、同じ会場で叶った。ナナイロプリズム福岡、太陽生命シリーズ初参戦――だがそれは、簡単な戦いではなかった。

初戦は横浜TKMに0-36で完敗。2戦目は日体大に食い下がったが5-12で敗れた。それでも3戦目は、北海道ディアナを43-7で破り、記念すべき太陽生命シリーズ初勝利をあげた。


「やっぱり、太陽生命シリーズにいるコアチームは強いな、いろいろなことを教えてもらえるな、と思いました。TKMさんには、簡単には勝てないぞ! と、ビシッと教えてもらいましたね。2戦目の日体大にはうまく力を出せたけれど、取り急いだり焦ったりしてトライを取れなくて……そういうところも貴重な学びになりました。3戦目のディアナ戦は、粗さもあった中で、何とか勝たせていただいたけれど、ディアナの苦労もずっと見ていたので……いろんな思いがありました」

北海道バーバリアンズディアナが、コロナ禍で大きな影響を受けていることは女子ラグビー関係者は誰もが知っていた。ナナイロにも、昨季までディアナに在籍していた小笹知美が移籍してきていた。ディアナ戦ではその小笹もトライを決める活躍をみせていた。

「ちょっと、心苦しかったけれど……」

ディアナ戦を戦い終えた小笹は、ちょっと複雑そうな表情を浮かべた。

「バーバの方にも理解していただいて移籍させていただいたので、今はナナイロのチームを引っ張って行けたらと思ってプレーしました。このチームで、太陽生命を一番経験しているのは私なので」

小笹知美

吉備国際大までサッカーをしていた小笹は、太陽生命シリーズが発足した2014年に横浜TKMで本格的にラグビーを始めた。太陽生命シリーズ出場はTKM-ディアナを通じ昨年まで17大会、常にサクラセブンズだったわけではなく(「私はいつも当落線上でした」と本人は苦笑した)結果、中村知春の10大会を大きく上回る太陽生命キャリアを身につけた。太陽生命シリーズとともに成長してきた選手の一人だ。

そんな小笹は「トシもトシだし、プレーできるのはあと何年か、最後は思い切りやれるところでやりたいと思ったんです」と、今春、ナナイロへ移籍した理由を明かした。



「北海道では、フルタイムで働きながらラグビーをしていました。それは充実した時間だったけれど、ラグビーをできる残りの時間を考えたら、出来るだけ多くの時間をラグビーに注ぎたくなった。今は職場でも理解していただいて、平日もラグビーをして、体を休めることもできています。でも……正直、次のオリンピックまでは考えていません。今見ているのは目の前のこと、今年のW杯だけです。オリンピックのことは……正直、前回の落選は自分の中であまりにも大きな経験だったし、そこは考えずに、自分が求められれば全力を尽くす、という気持ちです」

選手たちのラグビーとの向き合い方も、微妙に変化し続けている。
鈴鹿大会の第1日、中村知春は試合が動き出すと、多くの時間をWTBの位置でプレーした。サクラセブンズでいつもみせていたような、ミッドフィールドであらゆるプレーに体を張り、チームを鼓舞するスタイルは影をひそめていた。
キックオフは身長173㌢の白子未祐が跳んだ。ミッドフィールドを弘津悠がキャリーした。東京五輪に抜てきされたながら所属チームを持たなかった若手が、ナナイロというチームを得て、太陽生命シリーズの先輩チームに、最前線で挑んだ。
タッチライン側に立つ中村知春の姿は、チームメイトの成長を見守る役目に徹しているように見えた。

「それもいいかな……と思いまして。キックオフを競れる選手もボールを動かす選手もいるし、私は穴が出来たらそこを埋めるくらいの意識で。このチームは、目先の勝ち負けよりも大事なことを学びにきているわけですから」

そう思う一方で、目先の勝ち負けにこだわる姿勢の大切さも痛感した。それはサクラセブンズで世界と戦いながら感じてきたことだ。大会2日目、中村知春はプレーを変えた。キックオフを捕りに走って高く跳ぶ、ミッドフィールドで体をぶつけ、先頭でタックルし、ジャッカルに体をねじ込む。キックを蹴って自ら追い、ボールを掴み、トライをあげた。ナナイロは9-12位戦でチャレンジチームを20-0、RKUグレースを12-5で破り、ゲストチーム最高順位の9位で大会を終えた。

「やっぱりやれるだけのことをやりたいと思いましたから」

プレースタイルの変化について聞くと、中村知春はちょっと照れ笑いをうかべた。

「負けたとしても、やるだけのことをやって、悔しい思いを持って終わった方が私にとっても次のエネルギーになる。来年またここに戻ってこれるように頑張ろう、そういう気持ちになりました」

それが、経験の浅いチームを勝利へ引き上げた。



戦い終えたあとのハドルで、選手からGMに戻った中村が口を開いた。

「昨日と今日、ものすごく勉強になった。通じないところもいっぱいあったけど、通じたところもいっぱいあった。またここへ戻ってきて、日本一まで上がっていけるように、頑張りましょう!」


1年前のここで、中村は、自分と同じように傷ついた仲間たちを励ましていた。中村と同時期に東京五輪メンバーから外れた大黒田裕芽も、長田いろはも、私服姿でスタンドにいた。小笹知美はディアナへ、岡田はるなはフェニックスへ、それぞれのチームに戻ってプレーし、次の目標に向かおうとしていた。それから1年、彼女たちはみな、次の目標に向かい、この大会に帰ってきていた。無論、中村もその一人だ。

楽しいことばかりじゃない。傷つくことも多い。でも、それを重ねながら、新しい足跡が刻まれていく。

太陽生命シリーズ2022。今まさに、日本の女子ラグビーの歴史が作られている。

大友信彦
(おおとものぶひこ)

1962年宮城県気仙沼市生まれ。気仙沼高校から早稲田大学第二文学部卒業。1985年からフリーランスのスポーツライターとして『Sports Graphic Number』(文藝春秋)で活動。’87年からは東京中日スポーツのラグビー記事も担当し、ラグビーマガジンなどにも執筆。

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