医師を目指して今季限りで引退を決意しているパナソニックWTB福岡堅樹に、心変わりさせる力があるとしたら彼女かもしれない。

ながとブルーエンジェルスの大内田優月は、現役の医学部生だ。国立山口大学医学部の3年生。しかも出身は福岡堅樹と同じく福岡県。高校は福岡の母校・福岡高と福岡の双璧をなす名門・修猷館。福岡堅樹と同じ博多っ子ラグビー選手なのだ。

父がラグビーをしていたことから、5人兄妹全員がラグビーをしたラグビー一家(日体大1年の大内田夏月(なつき)は2歳違いの妹だ)。本人は小学1年のとき「かしいヤングラガーズ」でラグビーを始めた。修猷館高では男子と一緒にラグビー部で練習しながら、福岡レディースに参加。同期のチームメイトにはサクラセブンズ候補の永田花菜(日体大3年)らもいて、高3夏のコベルコ杯(15人制)では九州選抜の主将を務めて優勝した。
秋の全国U18女子セブンズでは福岡レディースで参加して準優勝。それからわずか2カ月ちょっと、現役受験で山口大学医学部に合格し、医師を目指して学びながら医学部ラグビー部に参加して練習していたところ、ながとブルーエンジェルスの村杉徐司監督に「練習に来てみない?」と誘われ、ながとブルーエンジェルスに参加。「週3回は医学部のラグビー部で練習して、週1-2回はながとへ、自分でクルマを1時間くらい運転して行って練習してます」。当初は試合に出ることは考えていなかったが、ながとの主力だった外国人選手がコロナ禍でなかなか来日できなかったこともあり、東京大会で選手登録された。

デビュー戦となった東京大会では主にリザーブから途中出場し、SHやSOでプレー。視野の広さ、正確なパス技術、スペースを見つけるうまさで活躍。前半0-10と苦戦したグレース戦では後半、スクラムサイドを突いて決勝トライをあげるなど勝利に貢献した。無論、医学部生にとっては勉強も大事。
「行き帰りの合間に勉強しながらやってます(笑)」
村杉監督は「優月はラグビーがめちゃめちゃ上手い。しっかりやったら十分代表でやれますよ」とポテンシャルに舌を巻く。本人は「まだ正式なメンバーかどうかもビミョーなままなんですが、たまたま、医学部のラグビー部に入ってやっていたらワンチャンスをもらえた感じです。まさか秩父宮でプレーできるとは思わなかった」と笑った。

ながとブルーエンジェルスは東京大会ではプール戦を全勝1位で通過。2日目の決勝トーナメントでは準決勝でアルカス熊谷に敗れ、3位決定戦では東京山九フェニックスを破り3位に。ディフェンディングチャンピオンとしては満足できないだろうが、外国人選手がほとんど来日できず、実働10人で残した成績に、頂点への距離感と手応えは掴んだはず。ワールドカップ・スタジアムのエコパで、医学部生ラグビー女子が躍動する。
![]() (おおとものぶひこ) 1962年宮城県気仙沼市生まれ。気仙沼高校から早稲田大学第二文学部卒業。1985年からフリーランスのスポーツライターとして『Sports Graphic Number』(文藝春秋)で活動。’87年からは東京中日スポーツのラグビー記事も担当し、ラグビーマガジンなどにも執筆。 プロフィールページへ |