「藤田からは、フィジカルな存在感、相手に対して真っ向から向かっていくという気持ちを強く感じた」
9月15日から17日にかけて行われた日本代表候補強化合宿で、NZから2泊3日の強行日程で参加した藤田慶和の練習でのパフォーマンスについて、エディー・ジョーンズ・ヘッドコーチ(HC)は言った。
エディーの言葉通り、練習での藤田のプレーからは、春の日本代表シーズンまでとは違うオーラが発散されていた。一言で言えば「迫力」。加速、スピード、ステップ……そういう細かい要素の問題ではない。ボールを持ったとき、前へ出てやるんだという気迫が、周囲を圧するほどに発散されるのだ。
7月10日に日本を出発。子供の頃からの夢だったスーパーラグビーへの登竜門、ITM杯のカンタベリー代表入りを目指し、NZのクライストチャーチへわたって2カ月。日本で伝えられるのは「カンタベリー代表入り叶わず」という断片的な情報のみだったが、日本代表最年少キャップ記録を持ち、10代にして9キャップ、12トライを積み上げたワンダーボーイは、着実に大きくなっていた。
9月の合宿からNZへ帰国する間際、藤田慶和にNZでの生活を聞いた。
オールブラックスとやっても周りをしっかり見てプレーできたのは、自信になりました
「クライストチャーチへ渡って、最初はリンウッドというクラブで試合に出ました。クラブのシーズンはもう終盤で、出たのは4試合だけ。チームが弱くて、自分のパフォーマンスも余り良くなかったけど、1対1では勝負できているな、という感触がありました」
実際、リーグ戦の最終戦では、敗れたものの、チームのMVPに選ばれた。
そのあと、7月31日、ITM杯のスコッド入りをかけたトライアルで、タスマンと対戦した。だがこの試合は大敗だった。カンタベリーは、すでに代表入りが確定しているメンバーを除外して、アカデミー生など、スコッド入りを目指すボーダーライン上の選手による編成。対するタスマンは、ITM杯を戦うメンバーがウォームアップ試合として臨んできたのだった。
「僕は、カンタベリーが強いだろう、と思い込んでいたんですが……ITMのレベルの高さを感じました」
現在のNZでは、ITM杯を戦う州代表チームには、出生地や居住地を問わずNZ各地や、南太平洋諸国などからも選手が集まってくる。もともと人口も少なく、選手層の薄かったタスマンも、そうしてランキングをあげてきたチームのひとつだった。
この試合でアピールできなかった藤田は、直後に発表された、ITM杯を戦うカンタベリー代表のスコッドには漏れた。しかし、今度はザ・ラグビーチャンピオンシップ(南半球4カ国対抗戦)とITM杯の開幕に向けてオールブラックス、ウエリントン、カンタベリーの3者が、ウォームアップ試合として行う巴戦を戦う「カンタベリアンズ」に選出され、リザーブに入った藤田は、第2ハーフのオールブラックス戦に出場した。
「相手はベン・スミスとか、テレビで見てるような人たち。ディフェンスしていても嬉しかったし、楽しかった。コンタクトする場面はあまりなかったけれど、一度FBのイズラエル・ダグが抜けてきたとき、WTBの僕はベン・スミスに張りついて、パスを放らせないようにディフェンスしてうまくいったんです。スピードでは負けていないと感じたし、オールブラックスとやっても周りをしっかり見てプレーできたのは、自信になりました」
もうひとつ感じたのは、選手たちがどんな場面でもアグレッシブだったことだ。自分からボールをもらいに行く姿勢、キックが飛んでくる前から『カウンターの時はオレに放れ』と強気に言ってくるものもいた。練習の強度は日本代表ほど激しくないが、練習中のコミュニケーション、「このプレーはこうした方がいいんじゃないか」という話し合う量は、日本代表よりも多いと感じた。
今はまだ実力が認められていない、新しくポジションを取りにいく立場
藤田は東福岡高3年のときもNZカンタベリーに留学。名門セントビーズ高のファーストフィフティーンに入り、シーズンのトライ記録を作る活躍を見せたのだが「あのときはずっとチームのレギュラーだったし、トライもたくさん捕って、チームの信頼を作っていたから」と藤田は言う。
「でも今は、まだ実力が認められていない、新しくポジションを取りに行く立場です。周りにいるのも似たような立場の選手ばかり。そんな選手の中で、自分からポジションを取りに行くアグレッシブな姿勢を見て、一緒にプレーしたことは勉強になりました」
チャンスは向こうからはやってこない。「こうすれば上がれるよ」などと導いてくれる人もいない。這い上がるためには、アグレッシブに行かないと、チャンスの芽さえ見つからない。
「ITMに入れなかったのは、やっぱり悔しいです。ちょっと前まで一緒にやっていた仲間が、ITM用のチームギアを着て、目の前を通っていくのを見たときは、すごく羨ましかった(苦笑)」
ITM杯のスコッドに入れなかったことで、今シーズンの可能性はゼロ、というわけではない。前述のカンタベリアンズでのオールブラックス戦出場に続き、ITM杯の始まった8月中盤からは、ITM杯スコッドから漏れたメンバーによるチームによるリーグ戦が始まった。カンタベリーBにあたる「ミッチェル」、「カンタベリーマオリ」「カンタベリーカントリー」「カンタベリーコルツ(U21)」「タスマンB」とリーグ戦を行うのだ。試合のない平日は、火曜と木曜がカンタベリーアカデミーの練習とウェートトレーニングに参加。月曜と水曜は日本代表から与えられたS&C(ストレングス&コンディショニング)メニューに取り組む。コーチから声がかかったときは、ITMカンタベリー代表の練習にも参加する。
「ITMの練習に出ると、いろいろなことが勉強になります。ブレイクダウンのテクニックや、BKのコミュニケーション。相手が余ったときにどう守るか、走るコースの取り方なども、オールブラックスWTBのアンディ・エリスに教えてもらったり。ラグビーの細かいことをすごく勉強できています」
カンタベリー代表の公式戦にも、国際大会にも出場してはいない。公式なニュースでは何も発信されない。しかし藤田慶和は、オールブラックスの選手たちを間近に見て、スーパーラグビーを目指す選手たちと切磋琢磨しながら、ラグビー選手として一回りも二回りも成長していた。19歳でNZへ単身渡り、現地で不自由な暮らしを送りながら20歳の誕生日を迎え、ラグビー王国の代表予備軍たちと渡り合ってボールを追い、ラグビーを学んだ。
「やっぱり、ジャパンにもワセダにも、いいものを持ち帰らなくちゃいけない。そのために送り出してもらえているんだし、成長して帰る責任がある。絶対あると思っています」
25日に発表された、10月7-8日に行われる日本代表合宿参加者リストに、また藤田慶和の名はあった。
18歳でテストデビュー。19歳でテストマッチ通算12トライをあげ、オールブラックスとも対戦。膝の靱帯断裂という大ケガを負い、長いリハビリを経てなお、過去の誰も経験していない領域を走り、恐ろしいペースで進化を続けるワンダーボーイ。わずか2週間ちょっとの時間で、今度はどんな成長した姿を見せてくれるだろう。
大友信彦 (おおとものぶひこ) 1962年宮城県気仙沼市生まれ。気仙沼高校から早稲田大学第二文学部卒業。1985年からフリーランスのスポーツライターとして『Sports Graphic Number』(文藝春秋)で活動。’87年からは東京中日スポーツのラグビー記事も担当し、ラグビーマガジンなどにも執筆。 プロフィールページへ |