箕内拓郎引退記者会見「指導者というセカンドステージ」へ向けて始動する | ラグビージャパン365

箕内拓郎引退記者会見「指導者というセカンドステージ」へ向けて始動する

2015/02/18

文●編集部


2015年2月17日、ラグビー元日本代表のキャプテンとしてまさにレジェンドと言われる箕内拓郎選手(NTTドコモレッドハリケーンズ)が17日、大阪市内のクラブハウスにて、33年におよんだ現役生活からの引退を発表した。

一日一日必死にやってきたので、意外とあっさりと引退を決断することができた

箕内の今後について話す藤盛チーム統括

箕内の今後について話す藤盛チーム統括


司会 それではこれより、NTTドコモレッドハリケーンズ箕内拓郎の引退記者会見を始めさせていただきます。

箕内拓郎選手(以下、箕内) こんにちは。本日はお足元が悪い中お集まりいただきありがとうございます。また現役活動中は色々な記事として取り上げていただいたり、中には手荒いのもありましたけど(笑)、本当に感謝しております。
私として今シーズンをもちまして、現役を引退することを決めました。

今振り返ると、33年のラグビー現役生活の中で、家族を始め、素晴らしいチームメイトとスタッフ、そしてサポーターの方々に囲まれて本当に幸せな現役生活を送ることができ、感謝申し上げます。今後につきましては、来年度はNTTドコモで指導者(FWコーチ)としてイチから貢献していきたいと思っています。

会見で引退理由を話す箕内

会見で引退理由を話す箕内


――長い間お疲れ様でした。引退を決意をした理由をお聞かせください。

箕内 現役としては、シーズン前の練習試合で眼を負傷してその後シーズン直前に手術をしました。術後、ドクターから『今後、コンタクトスポーツはできない』と、要するにドクターストップがかかった時点で、自分としてももう、一日一日必死にやってきた中で、こういう(状況になる)のも覚悟してやってきていたので、意外とあっさりと引退を決断することができました。 

シーズンが始まったあたりで、チームには今後、競技を続けていくことはできないので引退をすることにした、というような話をしました。 ケガの場所が他の場所であれば、もう少しリハビリをやった後、現役を続けるという可能性もあったのですが、場所が場所だったので。

そのときは『これ以上できないのか』というのが最初の印象でした。ただ、出来ないのは仕方ないので、自分としては次に何ができるかということを考えた末の決断でした。

会見後に吉岡主将から花束を受け取る

会見後に吉岡主将から花束を受け取る


――引退後、FWコーチとして就任することはいつ頃きまりましたか。

箕内 一度、チーム内で(引退を)発表した後も、チームをサポートする立場としてシーズンが終わるまでチームに携わっていましたが、シーズン終了後、来季はどうするのかというところでチームからコーチの打診を受けたのでそこで決断しました。

 

――眼のケガについて教えていただけますか。


箕内 病名としては、水晶体亜脱臼というもので、両目になります。片方は昨シーズン。その時はそれほどひどくなかったんですけど、今シーズンの開幕前の練習試合で反対側をやってしまいました。 詳しくは僕も専門家ではないので分からないのですが、ドクターにはラグビー選手はもちろん、ボクシング選手でも見たことがない、と聞きました。逆に言えば、それだけ運の悪いというか、そういう運命だったのかなと思いました。

 

ドコモへ移籍を決めた一番の理由は『僕の中でのチャレンジ』

サントリーとの練習試合の日は、足の痛みをこらえて歩いていた

サントリーとの練習試合の日は、足の痛みをこらえて歩いていた


――NECからNTTドコモに移籍した決断の理由は何だったのでしょうか。また今のNTTドコモに対して感じていることを教えて下さい。


箕内 ドコモに移籍した一番の理由は、『僕の中でのチャレンジ』です。NECに入るときは自分の中で『日本一』を目標にして、優勝を決めることができました。その目標を達成し、個人的には日本代表としてワールドカップにも出ることができて、そういう中で次どういう目標、モチベーションを持ってラグビーをするのかということを考えた時に『環境を変えたらいいのではないか』という判断をして、同じドップリーグ内のチームという選択肢もありましたが、何か新しいことにチャレンジして何かを変えようとしているチームということで(NTT)ドコモに凄く魅力を感じました。

まだ”日本一”というレベルには達していないですけど、まずはトップリーグに昇格して、チームをさらなる高みにもっていけるのではないかという思いで来ました。

今シーズンは、僕が入ってから最高のシーズン(11位)を送れましたが、まだ若い選手、経験の少ない選手が多い中で、気持ちの部分では本当にトップチームに引けをとらないですし、やっぱりそこを活かしながらドコモに足らない部分を今後強化していけたらもっとよりよいチームになっていけるんじゃないかなと思っています。

 


箕内 今年40になりますけど、ここまで長くラグビーをしていく中で、特にドコモにきてから本当に一日一日が勝負だ、どこでケガをしてもすぐに引退になっても悔いは残さないという気持ちでやってきました。そこでの眼のケガでのドクターストップだったので。

まわりからは『50までやってよ』とか、いろんな話をされることがありましたが、『まあ、仕方ないのかな』という。どうこうしても試合に復帰することができないので、そこをネガティブに捉えるより、今後の自分のセカンドキャリアに眼を向けた方がいいだろうという考え方でした。

 

――現役時代で今思い出されることはどんなことでしょうか。

箕内 振り返ると、すごい長いラグビー人生を送ってきたので……。個人的には、ドコモとしてトップリーグ昇格を決めた試合というのは印象に残っています。NECでプレーしていて初めて日本一になったというのも非常に思い出深いものがあります。そういう中でまあ挙げるとしたら、ワールドカップに出れたということですかね。(2003年)ワールドカップ初戦のスコットランド戦というのは自分の中で非常に思い出に残っています。

2014年アジア・パシフィックドラゴンズの一員として出場

2014年アジア・パシフィックドラゴンズの一員として出場


――日本代表キャプテンを経験した箕内さんから見た現在の日本代表はどういうものでしょうか。


箕内 現在の日本代表は、私がプレーをした2003、2007年ワールドカップを含めて、当時の反省を踏まえて強化をしていることに対して『正しい方向』に進んでいるなと感じます。一昨年はウェールズ代表も倒しているし、本当に今年のワールドカップに向けて楽しみだなと思っています。

 

現在、『コーチ』という肩書は名前にしか過ぎず、選手から信頼されて初めて『コーチ』という肩書がつく

チームメートから胴上げされる

チームメートから胴上げされる


――指導者としての目標、夢というものはありますでしょうか。


箕内 そうですね、僕自身、現在、『コーチ』という肩書は名前にしか過ぎず、選手から信頼されて初めて『コーチ』という肩書がつくんじゃないかと思います。誰を目標に、誰を真似するということは自分としてしたくないですし、オリジナルのものを作っていきたいと思っていますが身近な存在では、チームの監督である下沖(正博)のように選手みんなから信頼されるような指導者になっていければと思います。

 

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