堀江翔太が今シーズン限りで現役引退を発表「生の堀江を見に来てほしい」 | ラグビージャパン365

堀江翔太が今シーズン限りで現役引退を発表「生の堀江を見に来てほしい」

2023/12/06

文●編集部


6日、NTTジャパンラグビーリーグワン、埼玉ワイルドナイツ、堀江翔太が会見を行い、今シーズンをもって現役を引退することを発表した。4度のワールドカップに出場した「ラスボス」。常に成長するために挑戦し、日本ラグビーを牽引した男が決めた次の道とは。

堀江翔太



唐突ですが、今季を持って、ラグビーを引退しようと思っています。僕、10歳からラグビーを始めましたが、ターニングポイントで運良くいい人と知り合って、いいラグビー人生を送れたかなと思います。僕自身、ここまで上へ上がっていけるようなラグビー選手でもなかったので、本当にいろんな人からの支え、サポートがあって、ここまで来られたと実感しています。一番は家族がいつも常に横にいてくれていろいろとサポートしてくれて、引退すると決まったときに実感しました。

2015年、大きな首のケガをして、8年間くらい、佐藤トレーナーと出会ってトレーニングしてきました。正しい身体の使い方があると気づいて、僕がケガをしてからでも、正しい身体の使い方をすれば良くなっていく。もっと若い子が知れば、大ケガせず自分のパフォーマンスを出せて、自分たちのスポーツすることができる選手が増える。

若い子のレベルが上がれば、日本人でもできるような、オリンピック選手が出せるような、トップアスリートが増える気がしています。そこに僕は目を向けたいと強く思っています。僕はラグビー主体でやっていますが、ラグビーじゃなくても正しい身体の使い方は一般の人も、サッカー、スノボ、バスケ、相撲…とかいろんなスポーツ選手を見てきたが、少しでも正しい身体の使い方を覚えれば、パフォーマンスが大きく変わって痛みが取れる実感が湧いてくる。そういうのを広めていかんと。知らん人が多い。たったそれだけなのにケガで苦しんでいて、そういう選手を助けたいし、未来の選手にもそういうの覚えてトップ選手になってほしいと、今の感じになった。


引退を決意したのは「1年半くらい前」だという。


「ワールドカップの結果が良かろうが悪かろうが、ワールドカップ後のシーズンをあえて引退しようと思っていた」(堀江)

まだ体は動ける状態という堀江が現役よりも新しい道を選んだ背景にある気持ちとは。


「40歳までやりたいと思っていたが、自分でトレーニングいろいろしてきて、一般の方やスポーツ選手でも、身体の使い方一つで痛みだったり、パフォーマンスが改善するところをとみてきて、(それを)多く広めたいという気持ち強くなった。」




「僕は常に、明日引退しろと言われても後悔しないように 練習、試合もすべてやってきたので、いよいよ遅かれはやかれくるし、いよいよ来て、悲観してネガティブになるより、そっちに移行することがワクワクする、すごく楽しみなことが今多いです」


決意は固い。悲しみはない。
新たに挑戦すべきことが見つかった堀江はもう後戻りはしない。
それは海外に挑戦した時の気持ちと変わらない。


「(海外へ行ったのは)ラグビーが上手くなりたかっただけです。僕、海外行くのめちゃくちゃ嫌いで、大学卒業してすぐにカンタベリーに行ったが、その時もNZに向かうバスで、羽田かな?行きたくなさ過ぎて泣いたりしてた。でもただその時にNO8からHOに移行して日本代表になってトップまで上がっていた。僕のモチベーションは、どんな相手でも 絶対勝てるような、自信だったりスキル、技術を身につけたい。というのだけなんです。それは今になっても変わらない」

スーパーラグビー・レベルズに挑戦。田中史朗と日本人対決だった

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ラストシーズンの目標はもちろん優勝だ。


「優勝を目指すために、自分がどう成長できるかは変わらない。こういうコンタクトの仕方、タックルをこういうふうにしようとか意識したい。試合に出されたらもっと良くなる」

「いろんなところに顔を出せるような選手だと思うので、プラスアルファ、コミュニケーションとって声を出すことが特徴なので、その辺を注目してほしい。ほんまに僕、最後のシーズンになるので、生の僕を見に来てほしい。ホームもそうですが、いろんな試合で 最後の僕を見て、最後の堀江を実感してほしいかな」


ここまで長い現役生活で印象に残っている試合を聞かれると


「日本代表では2019年W杯でアイルランドに勝ったのはすごく心に残っている。あそこに僕、すべてをかけてプレーしていたし、あそこ目指してトレーニングしていた。アイルランドに勝ったのは自分の中ですごく印象に残っています。この前のW杯、最後のアルゼンチン戦は引退すると決まっていたので、これで最後か、と印象に残っています」


また自身の才能を見出し支えてくれた指導者の一人として、三洋電機時代では一緒にプレーし、オタゴ、日本代表でも指導を受けたトニー・ブラウンをあげた。

三洋電機時代では一緒にプレーしたトニー・ブラウン。

三洋電機時代では一緒にプレーしたトニー・ブラウン。


「オタゴでブラウニー(トニー・ブラウン)が引っ張ってくれた。勉強になったし、僕を引っ張ってくれたのはターニングポイントになった。べったり教えてくれたわけではないが、ブラウニーは特に代表でも三洋でも僕を使ってくれたのはブラウニーのおかげだった。僕の良いところを残しながら、こうした方が良いという教え方をしてくれたので感謝しています」


引退が決まっていても当然最後の最後まで堀江は成長し続けるためにすべてをかける。



「今季を終えて、今季どういうパフォーマンス出せるかは、常にラグビー選手として最後までやり切りたい。そこは忘れず最後までやりたい」


堀江のラストシーズン、初戦はホーム・熊谷に横浜イーグルスを迎える。「生の堀江」のプレーが見れる試合は最大でも18試合となった。最後のプレーを見逃すな!

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