氷上の格闘技・アイスホッケーと、芝の上の格闘技・ラグビー。かつては「男のスポーツ」と表現されてきた競技だが、ともに女性のスポーツとしても定着してきている。
2月15日、女性のスポーツを応援してきた太陽生命の創立130周年記念企画として、女子7人制ラグビーを牽引してきた中村知春さんと、女子アイスホッケーで3度のオリンピック出場を果たした久保英恵さんの対談が行われた。
ソチ、平昌、北京…3大会に出場「長いアイスホッケー人生になってしまいました(笑)」久保英恵さん
――お二人はそれぞれのスポーツとどのように出会ったのですか。
久保「私は北海道の苫小牧生まれで、兄がアイスホッケーをしていた影響で4歳のとき、幼稚園のチームで始めました。14歳のときに日本代表に選ばれて、長野五輪の候補に入ったのですが本番には選ばれなくて。そのとき『オリンピックに出たい』と強く思いました。それから2002年のトリノ、2006年のソルトレーク、2010年のバンクーバーでは世界の壁が厚くて、あと1勝、あと1点の差で五輪には届かなかった。そこで一度はアイスホッケーを嫌いになって引退したのですが、1年半後に復帰して、そこから2014年のソチ五輪のために復帰したのですが、五輪に出たら出たでメダルを取りたいという思いが強くなって、そこから2018年の平昌、2022年の北京と3大会に出場しました。結局、北京のときは39歳になっていて、長いアイスホッケー人生になってしまいました(笑)」
「私も年齢的に久保さんを追いかけるような感じで(笑)」中村知春さん
中村「私は大学までバスケットボールをしていて、2016年のリオ五輪から7人制ラグビーが正式種目になるということを知って、チャレンジしたいと思ってラグビーを始めました。2010年にラグビーを始めて、2011年に日本代表になって、2012年から主将を任されるようになって、その頃に久保さんの試合を見に苫小牧まで行ったことを覚えています。私も年齢的に久保さんを追いかけるような感じで(笑)、冬季五輪はいつもスマイルジャパンを意識して見ていました。
私も2021年の東京五輪には出られなくて。年齢的にもこれが節目かな…と思っていたのですが、まさか自分が出られない状況になるとは思わなかった。私もラグビーが嫌いになりましたね(笑)。なんで戻ったんだろ? とも思いますが、客観的に見て、これじゃダメだな、ここまで弱くなった日本をなんとかしなくちゃ、という思いが強かったんだと思います。今は、戻ってよかったと思えますね」