「最後の時間はベンチにいたので、もう天にお願いしますという感じで。ドキドキしていました。ホントに嬉しかったです」
東京山九フェニックスのキャプテン、岡田はるなは優勝の瞬間をそう振り返った。

ノーサイドの瞬間、あふれる涙を抑えることができなかった
東京山九フェニックスのキャプテン、岡田はるなは優勝の瞬間をそう振り返った。
第1戦の熊谷大会は決勝で横浜TKMに完封負け。
「あのときは自分たちのプレーができないまま、TKMにディフェンスでスペースを取られて、うまくアタックできなかった。今回は、そういうときでも落ち着いて、シンプルにやろうと話し合っていました」

ファイナルのながと戦、苦しい時間帯でもしぶとくディフェンスを続けた
熊谷の反省は「コミュニケーション不足」だった。
「しんどいとき、コミュニケーションがなくなったときに抜かれていたんです。今回は、辛いときこそしゃべろう、ディフェンスで一人に二人入ったときでも、周りがしゃべりつづけようとチームで掲げていました」

フェニックスは近年、選手が増加を続けている。各地の高校から首都圏の大学に進学した選手が毎年加わるほか、ライバルチームから移籍する選手も多い。
「今は選手が33人くらいいて、熾烈な争いになっています。今回はサクラセブンズでカナダへ行っていた代表組が帰ってきて、練習からみんなバチバチでやりあって、高め合っています。だから自分がメンバーに入っても、落ちたとしても、自信を持って試合に臨めるし、仲間を送り出せる」

移籍組も多い、年齢層も幅広い、大学生も社会人も、学校や勤務先は様々だ。そんな多様性を持った選手たちがワンチームとしてまとまった秘訣は?
「練習前、ウォームアップの前に、みんなで遊ぶ時間を取り入れています。鬼ごっことか、ダルマさんが転んだとか、ミニゲームを取り入れて、みんなでキャッキャして、体も温まって気持ちもほぐれたところから、本格的なウォームアップに入って、練習に入るようにしています」

岡田は昨年、東京五輪候補のスコッドから5月に外れた。
「2年くらい、ずっと東京オリンピックでメダルを取ることを目標にやってきたから、ショックでした。メンバーを外れても、泣くつもりはなかったけど、みんなの顔を見たら、それから数日は涙がとまらなかったです…」
そう話したのは、昨年6月の熊谷大会でのことだった。5月の連休まで行われた合宿を最後にスコッド落選を告げられた岡田は、1週間後に行われた太陽生命静岡大会に気丈にも参加したが、決勝でパールズに敗れ準優勝に終わった。続く熊谷大会では4強にも勝ち残れず6位に終わった。
東京五輪に向けたサクラセブンズ候補では、岡田はずっと「オリンピックスコッド」に準じる「トレーニングスコッド」という位置づけだった。五輪が半年後に迫った時期にオリンピックスコッドに格上げされたが、合宿でもバックアップ側の立場は変わらない。
「自分の強みを出す機会はないままでした」

原わか花
サクラセブンズには、東京五輪の7カ月前に、ハレ・マキリHCが就任していた。ハレに、個別の選手たちの持ち味を引き出す方法を考える余裕はなかった。高校まで陸上競技の砲丸投げに打ち込み、追手門学院大1年でラグビーを始めた岡田には、ラグビー王国NZ育ちのハレが求めるようなラグビースキルや知識はなかった。
「私自身、キャパオーバーでした」

そんな経験も経てきたからだろう。今大会、岡田がキャプテンとして率いたフェニックスの戦いには懐の深さが感じられた(チームキャプテンの鈴木実沙紀がサクラ15のオーストラリア遠征中のため岡田が今大会ではキャプテンを務めた)。
選手が交代しても力が落ちない。2日間の大会5試合で16トライをあげるなど猛威を振るったニア・トリバーが途中で交代しても、そこにはまったく違うタイプであるサクラセブンズの高速トライゲッター原わか花が入り、F1マシンのような加速&高速ステップで相手ディフェンスを切り裂きトライを決めた。
サイズのある大竹風美子や水谷咲良も、大黒田裕芽や中島涼香、岡元涼葉ら大型とはいえない選手たちも一斉に前に出るディフェンスで相手のスペースを奪い、タックルしては素早く起き上がって相手のアタックに備えた。黒川碧は正確なゴールキックを蹴り込んだ。

ながとブルーエンジェルスとの決勝では、前半はニアの2トライで14-7とリードしたが後半1分には2点差に迫られ、そこから5分間、ながとの猛攻を粘り強く止め続けた。戦いの多くの時間は自陣でのバトルだったが、フェニックス防御網の連携が崩れることはなかった。
チームをまとめるため、コミュニケーションを潤滑にするため、何か工夫していることはありますか? と聞いた。岡田は笑いながら答えた。
「ホテルとかで、若い子と『恋バナ』したりとか、してますね。オフザフィールドで距離感を近く感じてもらって、話しやすいように、そこは考えています」
――恋バナは、言わせるんですか言うんですか? と問うと、岡田は
「両方です」
と言った。18歳にしゃべらせ、26歳もしゃべるのだ。おそらく、もっと先輩も。そこにのぞく対等な感じが、なんともいえず、あたたかく、愛らしい。岡田は笑った。
「ラグビー選手であると同時に、やっぱり女子ですから」
優勝インタビューの締めのセリフは、日本の女子ラグビーチームの中でも、オシャレ心をいつも前面に押し出す個性的なチーム、フェニックスらしい言葉だった。
![]() (おおとものぶひこ) 1962年宮城県気仙沼市生まれ。気仙沼高校から早稲田大学第二文学部卒業。1985年からフリーランスのスポーツライターとして『Sports Graphic Number』(文藝春秋)で活動。’87年からは東京中日スポーツのラグビー記事も担当し、ラグビーマガジンなどにも執筆。 プロフィールページへ |