ニア・トリバー特別インタビュー「太陽生命シリーズは大好き。これからは15人制も!来年以降も日本でプレーしたい」 | ラグビージャパン365

ニア・トリバー特別インタビュー「太陽生命シリーズは大好き。これからは15人制も!来年以降も日本でプレーしたい」

2022/08/01

文●大友信彦


2022年、女子7人制ラグビーの国内サーキット「太陽生命ウィメンズセブンズシリーズ」に、超弩級の旋風が吹き荒れた。


東京山九フェニックスのWTBニア・トリバーの驚異的なトライラッシュである。
ボールを持った瞬間には一気に加速。追ってくるタックラーをタッチラインギリギリですり抜け、豪快なストライドでトライラインまで駆け抜ける。あるときはハンドオフでタックラーをはじき飛ばし、あるときはタックルに捕まりながら振り払って再加速――。


さまざまなパターンのトライを演じ分けながら 第1戦の熊谷大会で11トライをあげトライ王に輝くと、第2戦の静岡大会では1大会最多トライ記録を更新する16Tを記録(従来記録は2019年秋田大会でながとBAタイシャ・イケナシオがあげた14T)。第3戦の鈴鹿大会は7、弘前大会では8とややペースダウンしたが、4大会合計42トライ。これはニア自身が北海道ディアナに在籍していた2019年に記録した30Tを大幅に更新する年間最多トライ記録だ。

日本の女子セブンズのレベルアップを目指して始まった太陽生命ウィメンズセブンズシリーズ。日本選手のレベルアップに大きく寄与しているのが、各チームに加わっている海外出身選手の存在であることは間違いない。


太陽生命ウィメンズセブンズシリーズのレベルアップを体現している立役者、ニア・トリバーの素顔とは。本誌では4大会を戦い終えたニアに単独インタビューを行った。


――フェニックスのシリーズ総合初優勝おめでとうございます。ニア自身も静岡と弘前でのMVP受賞おめでとうございます。


サンキュー。フェニックスはすごく良いチーム。タレントは多いし、みんなラグビーを楽しもうという気持ちが強いのがいいところ。そしてメンバーがたくさんいる。今はクラブメンバーが34人もいるから2チームは余裕で作れる。以前(2018-2019年)に所属していた北海道バーバリアンズディアナも良いチームだったけど、選手が少なかった。私がいたときは14人。相手をつけた練習はなかなかできなかった。


――2020年と2021年はアメリカに帰っていましたが、今年また日本でのプレーを選んだ理由を教えて下さい。


バーバリアンズにいたときのコーチがいまフェニックスのディフェンスコーチになっていて、誘ってくれたんです。OKした理由はいくつかあるけれど、まず私はこの太陽生命ウィメンズセブンズシリーズというトーナメントが好きなんです。アメリカにはこんな大会はないですからね。日本は女子チームへのサポートが多い。日本でプレーしたいと思う魅力のひとつです。

静岡エコパ大会でも大会MVPに


――ニアの個人史について伺います。生まれた場所と、ラグビーを始めた時期と、他のスポーツ経験を教えて下さい。


私は1998年、LA(ロサンゼルス)で生まれました。ママはLAの人で、パパはルイジアナの人です。それより前のルーツは……ちょっと分からない(笑)。ラグビーを始めたのは12歳のときです。それまではバスケットボールと陸上競技をやっていました。陸上はトラック種目の短距離全般。100m、200m、400m、4×100mと4×400mのリレーも走っていました。バスケットボールでは、コンタクトしてファウルを取られることも多かった(笑)。



――日本でもそういう選手がよくラグビーに移ってきます(笑)。100mのベストタイムはどれくらいでしたか?


確か11秒9だったと思う。たぶん17歳くらいのときに出しました。ラグビーを始めてからも陸上競技と両方をやっていました。


――ラグビーを始めたきっかけは?


2人姉がいるんですが、2人ともラグビーをしていたんです。ラグビーの遠征で世界中を回っていたのがいいなあと思って、私もやりたくなった。


――そしてアメリカ代表になりました。


はい。でも実は、私はワールドシリーズには出場できていないんです。トップチームでドバイやマドリッドの大会に出たり、東京オリンピックにも出たけれど、ワールドシリーズキャップはゼロ。



――それは意外です。今季は太陽生命ウィメンズセブンズシリーズが終わってもフェニックスに残っていますね。アメリカ代表への合流は考えなかったのですか?


フェニックスとは15人制もプレーする契約になっているんです。12月からかな? 15人制の関東大会に向けて、フェニックスももうすぐ15人制のシーズンが始まる。15人制はハイスクールの時に何度かプレーしていたけど、4-5年ぶりくらいになるかな。楽しみです。


――15人制のポジションは主にどこをやっていた?


WTBかFBをやっていました。今度は……やっぱりWTBをやりたいかな。セブンズでもいつもWTBでプレーしているから慣れてるしね。


――FWはやってみない?


いや、FWはちょっと……私には合わないかな(笑)。

ニアとオケロのマッチアップは今シーズンの見どころの一つだった




――太陽生命シリーズでは毎回、三重パールズのジャネット・オケロとの対決が楽しみでした。


私も楽しかった、いつもバトル(笑)。彼女と勝負するのはいつも楽しめた。良いラグビーしてるな、と実感できた。


――シーズンの中でニア自身、フェニックスというチームはどう成長しましたか?


最初の熊谷大会ではまだ合わないところもあったけれど、2戦目の静岡大会までの時間でアタックスキルが向上して、エッジまでボールがうまく繋がるようになりました。ディフェンスは前から良かったけれど、それを継続した上でアタックがレベルアップしたと思う。私自身は外へ勝負して抜くことを心掛けていました。

フェニックスにはいい選手がたくさんいるけれど、特に私がいいと思う選手は3人います。スズハ(岡元涼葉)、スズカ(中島涼香)、マオ(石田茉央)。みんなハードワークするし、それでいて賢いプレーをする。フィールド以外でもすごく親切で、私ともたくさん話してくれる。パスも……時々放ってくれるかな(笑)。


――試合の時、頭にパイレーツ(海賊)みたいなスカーフを巻いている理由は?


パイレーツね(笑)。でもそれを狙ったわけじゃなくて、今の髪型にしてから、髪の毛の隙間に芝や土埃が入ると大変なことになるからよ(笑)。


――2024年のオリンピックにはアメリカ代表でまたチャレンジするのでしょうか。


うーん……それは考えていません。私は今、日本にいてハッピーです。来年以降も日本でプレーしたいと思っています。そう思う理由は、やはり日本は治安がいいからです。アメリカはそこがちょっと不安です。

中島涼香

中島涼香


――日本の食べ物はどうですか?何が好きですか?


好きなものいっぱいあるわよ。スシ、サシミ、ラーメン、みんな好き。ヤキニクも大好き。ダメなのはナットーくらいかな。アメリカンフードも日本の方がおいしい。ハンバーガーは日本のほうがアメリカよりずっと美味しい。新鮮だもの。


――日本の生活をエンジョイしているようですね。


楽しんでますよ! 札幌も良かったけど、今住んでいる横浜、東京もとてもいい町です。って言うほど町を出歩いているわけじゃないけど(笑)。日本の人たちともっとコミュニケーションを取れるよう、今は週4日、日本語のレッスンを受けて勉強しています!


セブンズの国内シーズンは終了したが、10月のワールドカップから冬の関東大会へと国内の15人制シーズンは続く。節目となるワールドカップが終わっても、ワールドラグビーでは新たな女子15人制の国際大会創設も検討しており、女子15人制ラグビーはますます活性化しそう。サクラフィフティーンのさらなる強化のためにも、国内15人制シーンにさらなる才能が参戦することは喜ばしい。
ニアの15人制参戦は、東京山九フェニックスの「セブンズ+15人」2冠に向けてだけでなく、サクラフィフティーン強化へもグッドニュースといえそう。冬が楽しみだ!


大友信彦
(おおとものぶひこ)

1962年宮城県気仙沼市生まれ。気仙沼高校から早稲田大学第二文学部卒業。1985年からフリーランスのスポーツライターとして『Sports Graphic Number』(文藝春秋)で活動。’87年からは東京中日スポーツのラグビー記事も担当し、ラグビーマガジンなどにも執筆。

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