佐藤優キャプテンの目は少し赤く見えた。
「あとちょっと、取り切れなかったですね…。でも、これからの伸びしろは見えた気がします」
北海道バーバリアンズディアナは、太陽生命シリーズ2022第1戦の熊谷大会を、残念ながら無得点で終わってしまった。
DAY1はながとブルーエンジェルズに0-58、RKUグレースに0-36、追手門VENUSに0-59。プール戦を3戦全敗で終えると、DAY2は9位以下トーナメントへ。その初戦で当たったのは、地元のアルカス熊谷だった。

ディアナは8人で2日間4試合を戦い抜いた
ディアナは何度か、アルカスのゴール前までボールを運んだけれど、トライラインまでは届かなかった。PKで速攻をかけようとしたときは、ポイント違いを指摘され、攻撃の機会を失った。残念なことに、いろいろなことが噛み合わない14分間だった。
ディアナは今大会に、参加12チームで最も少ない登録8人で臨んでいた。ディアナの次に少ない登録9人で臨んだ自衛隊体育学校PTSは初日の初戦で2人が負傷し、以後の試合を継続不能として棄権していた。登録8人のディアナも先行きが案じられた。それでも、北からやってきた荒ぶる姫たちは、8人で2日間の4試合を戦い抜いた。

昨季までディアナを支えた岡村由惟(左)は昨季で引退した
そもそも、少人数で戦うのは織り込み済みだった。
昨年は、コロナ禍による移動制限が科され、大会出場もままならず、太陽生命シリーズには最後の鈴鹿大会にしか参加できなかった。その試合で、長年チームを支えてきた岡村由惟主将が引退した。今季が始まるまでの間に、エース格だった小笹知美と田中怜恵子が移籍した。
ディアナはNPO法人北海道バーバリアンズRFCの女子チームだ。ラグビー熱が高いとはいえない北海道にあって、チームはこれまで、外国人留学生やNPOが職場を斡旋した外国人選手を主力に並べながら、地域に密着した活動を続け、太陽生命コアチームの座を守ってきた。熊谷大会でトライ王と得点王の2冠を獲得した東京山九フェニックスのニア・トリバーも、2019年にはディアナでプレーしていた。
だが、さまざまな要因が絡み合い、今季は選手が減少していた。昨年に続き、仕事の関係で、道外に出ると隔離措置が必要となるために太陽生命の大会には参加できなくなった選手もいた。来日する予定だったNZからの留学生選手5人も来日できなくなった。

佐藤優キャプテン
「もしかしたら、来られないかもしれない、という話は3月頃から聞いていました。でも、きっとなんとかなるだろうと思っていたし、もしも来られなくても、今までとそんなにかわらないし」
キャプテンの佐藤優は笑った。
昨年も同じような状況だった。加入予定だった外国人留学生選手が入国できなかった。そんなときチームに加わってくれたのが、沖縄出身のギーゼック・アリーシャだ。沖縄でラグビーを始めた娘に、ラグビーを続けるならどこのクラブがいいかを案じた両親が、HPを渡り歩いて見つけたのが北海道バーバリアンズだったという。今春には、昨季まで横河武蔵野アルテミスターズでプレーしていた吉田鳳子が成城大卒業を機に北の町にやってきた。ギーゼックと吉田はともに熊谷大会では全試合にフル出場してディアナの戦いを支えた。

2014年、太陽生命シリーズ第1回龍ケ崎大会、佐藤優はチャレンジチームで出場、キッカーを務めていた
厳しい状況でも明るく。そんなチームのキャラクターを象徴するのはキャプテンの佐藤優だ。
2014年、太陽生命シリーズが始まった年は千葉県我孫子高3年で、チャレンジチームのエース的存在だった。東京五輪で共同主将を務めた清水麻有とライチェル海遥、サクラ15の桜井綾乃、公家明日香らとともに、サニックスワールドユース交流大会女子の部で優勝も飾り、U18日本選抜でも中心選手として活躍した。

2014年香港U18戦ではU18日本代表の主将を務めた
黄金世代のトップランナーだった。だが立正大に進学後はケガが続き、サクラセブンズやサクラ15の表舞台からは離れていた。立正大を卒業後はアルカスを離れて北へ。札幌に拠点を置くメディカルシステムネットワークに就職し、緑濃い道を定山渓のグラウンドへ通っては楕円のボールを追う生活に入った。
「何回も壁にぶちあたってきたし……でも、何だろ、チームで何とかしたい、大会に出たいという思いがあって、ポジティブでいれば何とかなるかなと」

大らかさ、楽天的に考え、細かいことにはこだわらずに実行するのは「北海道らしさ」なのかもしれない。
人数が足りない、このままじゃ太陽生命シリーズに出られないかも…そんな状況が見えた時点で、クラブのスタッフはすぐ行動した。太陽生命シリーズ4大会限定でかまわないから、ディアナでプレーしてくれる選手はいないか? 太陽生命シリーズを戦うチームの選手や、昇格を目指してリージョナルセブンズに出場するチーム/選手はNGだろう。でもそれ以外のチームの選手なら……? 可能性は少なかったかもしれない。でも、4人の選手が手を挙げてくれた。
「みんないい子たちだったし、チームにすごくフィットしてくれて、いい形で太陽生命に入れたと思います。すごく楽しくラグビーができました」
試合ができないかもしれない――そんな崖っ縁を経験したからこそ、試合ができただけでうれしい。だから、来てくれた「助っ人」へは感謝しかない。

長縄歩実
そんな「助っ人」の一人が、長縄歩実だ。関東学院六浦から國學院大に進み、最初は東京フェニックスに参加したが、学業との兼ね合いなどもあり、この2年間はラグビーから離れていた。だが、大学卒業後の進路を考えているうちにコーチングに興味が湧き、指導するにはもう少しプレーもしたいな…そんなことを考えていたころに、フェニックス時代の先輩と話をする機会があり、ディアナというチームの存在を知った。
太陽生命シリーズ開幕前は、2度、週末を利用して札幌へ出向き、練習し、3月の沖縄・読谷セブンズには一緒に参加した。帯同できた時間は短かったが、魅力的なチームだと感じた。
「発展途上のいいチームだな、一緒に成長できるな、と感じました。みんなとても個性的で、でもラグビーをやるとなるとチームとしてまとまる。数少ない練習の中で、そういうのを感じました。キャプテンの佐藤さんを筆頭に、チームワークがどんどん繋がっていく感じで、すごく楽しい。いい感じです(笑)」
多くの人が絶賛する、自然に恵まれた定山渓グラウンドは「まだ走ってません。雪しか見てません(笑)。体育館で練習しただけです」と長縄。グラウンド練習は、リーチマイケルの母校としても知られる札幌山の手(ディアナのチームメイト、木村あやの母校でもある)で行ったそうだ。

助っ人陣は(熊谷大会では)長縄のほかに2人。山梨学院大4年生の安東菜桜はブレイブルーヴでの登録を外して参加。長縄とともに札幌まで練習に来てくれた。福井女子闘球倶楽部から参加の岩佐知加子は熊谷での合流だった。
そんな、ギリギリの状況で熊谷大会に参戦したディアナにとって、太陽生命シリーズのレベルはやはり高かった。プール戦は3戦すべて完封負けで全敗。それでも、誰もそれをネガティブには受け止めていなかった。
「少ない練習で、不安もあったけど、やってみたら、心配していたよりはラグビーをできました。でも、できたからなおさら、通用しなかったこと、やられたことが悔しかった。次の大会ではもっといいチームになって、見てもらえたらいいな」と長縄は言った。
DAY2、最後の試合の相手はアルカスだった。佐藤優キャプテンにとっては古巣だ。熊谷大会登録メンバーのうち、中澤佑衣は立正大の同期、山下果林と井口瑞穂は1学年上、鈴木彩香はジュニア時代から常に背中を追い続けた先輩だ。
「すごく楽しくやらせていただきました」

熊谷大会出場メンバーの集合写真。静岡大会ではまた違うメンバーが加わっているかも!
佐藤優キャプテンは、少し目を赤くしながらそう言った。アルカスの仲間たちも、戦い終えたディアナの選手たちを称えていた。残りの大会でまた戦う機会があれば、違う戦いにしてみせる――そんな思いが透けて見えた。
「バーバリアンズ」は、ラグビーでは特別な響きを持つ。その時々、集まれる選手が集まって戦うチーム。このチームで戦いたいと思う仲間が集まって、その日だけの特別なチームを作って、誰にもマネできない、おそらくは自分たちでも再現できない、唯一無二のパフォーマンスを演じる。だからその魅力は勝ち負けを越えている。
残り3戦、熊谷では初対面から数時間で試合に臨んだ選手もいたディアナは間違いなく進化するだろう。熊谷大会には参加できなかった選手には、サクラセブンズのカナダ遠征を控えていた(そして大会でも活躍した)三枝千晃がいる。石見智翠館高校から北海道の酪農学園大学に進んだ向折戸萌も、全国U18女子セブンズに小樽潮陵高1年から出場していた木原桧もいる。熊谷大会では登録されたもののバックアップでチームをサポートした歌野愛子もいる。まだ合流していない「助っ人」も、太陽生命シリーズのプログラムに登録されていないクラブメンバーもいる。状況が変われば参加できるかもしれない。
今はまだトップチームとの力の差は明らかでも、そこにはきっと、理屈を越えた唯一無二のストーリーとパフォーマンスがある。それは日本の女子セブンズのレベルをあげていく重要なピースだ。
荒くれ者たちの姉、あるいは妹、中には娘や、もしかしたら母もいるかもしれない、荒ぶる女神たち。
残る3大会、彼女たちの足取りを、しっかりと見続けたい。
![]() (おおとものぶひこ) 1962年宮城県気仙沼市生まれ。気仙沼高校から早稲田大学第二文学部卒業。1985年からフリーランスのスポーツライターとして『Sports Graphic Number』(文藝春秋)で活動。’87年からは東京中日スポーツのラグビー記事も担当し、ラグビーマガジンなどにも執筆。 プロフィールページへ |