1日、大分(日田)合宿中の男子7人制日本代表候補、ヘンリー ブラッキン(NTTコム)がオンライン取材に応じた。自身のライフストーリーから帰化することを決めた背景、東京五輪への思いなど話した。
メインフォーカスは「ディフェンス」にシフトしている
みなさん、こんにちは、ヘンリー ブラッキンです(日本語で)。今のコンディションはかなりい。ケガもないし(大分)日田の合宿もいい状態で迎えられていて、チームの状態もいいです。
――大会がなかなかないが、現在のチームの状況はどう受けとめていますか?
個人的には2019年の終わりからチームに参加して、もうすぐ1年半が経とうとしますが、今の状況は大会も海外遠征もいけないので難しい状況です。コロナ禍でもコーチ、選手がなるべくオリンピックをシュミレーションしながらやっています。この合宿は月曜日に2試合、火曜日2試合とオリンピックシュミレーションを取ってやっている。
海外のチームとの対戦ができないが、オーストラリア、ニュージーランドも国内でやれることをやっていると思います。チームは自分が合流したときから成長していて、メインフォーカスはディフェンスにシフトしています。コンタクトエリア、よりフィジカルにディフェンスするというところで成長し、お互いによりキャラクターを知ることができるようになっていると思います。
――ニュージーランド(NZ)生まれ、オーストラリア体育大、そしてプロフェッショナルラグビーの道へ。それから日本に来ました。カラウリア・ヘンリーという名前から今の名前になったなど、今までのライフストーリーをお願いします。
NZで生まれてオーストリアに移ったが、その理由はラグビーリーグでプレーするためでした。シャークスで3シーズンプレーしたことがきっかけでした。成長の機会がなかったのでラグビーユニオンへの転向に決めました。シドニーでプレーし、オーストラリアのセブンズに選ばれて、ワラターズで2シーズンプレーできたが、1年目は背中のケガがあって試合に出られなかった。2年目、自分のマネージャーが日本のチームにアプローチしてくれて、2012年にNTTコムに入るために来日しました。名前はカラウリアとヘンリーは父と母のラストネームを名乗って、日本人となるとき、父のラストネームだけとった。
オーストラリアセブンズチームメンバーだったとき、ブランビーズに登録していて、自分でも出場するとはおもわなかったが、幸か不幸か、ケガ人が出て最後の方で、自分も出場する機会があった。2010年の終わりに2試合ほど出ました。