永田洋光さんから「取って出し」していただいたのは、1992年の『ラグビーマガジン』臨時増刊・『早明戦1992』に発表した一篇だ。大学ラグビー人気全盛の時代にあって、社会人リーグの会場を丹念に訪ね歩き、数々の現場を目撃していた永田さん。首都圏の大企業チームが大半を占める東日本社会人リーグにあって、秋田市役所は異彩を放っていたチームだが、明大のキャプテン時代も個性的な放っていた安東文明選手は、永田さんにとっても気になる選手だったようだ。
今でも、雪が降ると秋田で安東にインタビューした日を思い出すという永田さん。
吉田義人現監督の主将就任から遡ること2シーズン
90年代の明大ラグビー黄金期の礎を築いた、昭和の時代最後のシーズンに、タイムトラベル。
負けず嫌いの気持ちを燃え上がらせて、安東は頑ななまでにストイックになっていた
明大16-15早大。昭和最後の対戦となった第64回早明定期戦は、安東文明主将率いる明大が1点差で勝利を収めた。しかし、試合内容は80分間プレッシャーをかけ続けた明大の完勝。トライ数も3-1たった。それはまた、シーズン序盤にもたつき、慶大に不覚をとるなどバラバラたったチームをまとめあげたキャプテン、安東文明の勝利でもあった。
昭和63年、明大は苦しいシーズンを過ごしていた。主将決定が開幕直前の9月5日という異例の事態に加えて、明学大、青学大に接戦を挑まれ、低迷気味の慶大には17-25と不覚をとる。戦い方もチグハグで、チームがバラバラな印象さえ受けた。実際、夏合宿では、安東が禁酒を打ち出したにもかかわらず、禁を破る選手が出現、怒鳴り込んだ安東が逆に他の4年生から呼び出しを食うという事件もあって、主将自身が「浮いている」状態だった。
安東は当時をこう振り返る。