東北&クライストチャーチ復興祈念イベントで明かされた秘話 | ラグビージャパン365

東北&クライストチャーチ復興祈念イベントで明かされた秘話

2015/03/25

文●大友信彦


「150人くらいの市民のみなさんが集まって、報道陣も40社くらい集まって、すごい熱気でした。ワールドカップ開催決定の瞬間は、地鳴りのような、すごい盛り上がりでした」

釜石市からかけつけた若崎正光副市長は、集まった100人の聴衆に向けて、上気した顔で語りかけた。

若崎正光副市長

若崎正光副市長

開催都市決定当日、ダブリンで行われた記者会見では、ラグビーワールドカップリミテッドのアラン・ゴスパー氏から、釜石市の選出について「意義のある挑戦だ」と、わざわざ言及があったという。その理由は、ダブリンから帰国後の6日に記者会見したRWC2019組織委の嶋津昭事務総長が明かした。

パネルディスカッションは、復興スタジアムの完成予想図など、映像資料を映写しながら進められた

パネルディスカッションは、復興スタジアムの完成予想図など、映像資料を映写しながら進められた

1月下旬のある日、RWC2019組織委とRWCL(ラグビーワールドカップリミテッド)は、釜石市に合同現地視察に訪れた。冷たい北風に粉雪が混じる寒い日だった。

釜石市は、解体後に新設される東京・新国立競技場を除けば、立候補15都市で唯一、スタジアムを持たないまま立候補した。「ここにできるんですよ」と会場を察してもらおうにも、見てもらうものは完成予想図しかない。

そこで、釜石の人たちが持ち出したのは、釜石ラグビーのシンボル「大漁旗」だ。

スタジアム建設予定地を囲むように、何本もの人が立ち、大漁旗を振った。何本もの大漁旗が翻る、その連なりの形に、スタジアムは作られるのだ。

 

建設予定地(メインスタジアム付近)はまだ嵩上げの土が盛られているままだ。

建設予定地(メインスタジアム付近)はまだ嵩上げの土が盛られているままだ。

その様子を見て、視察したゴスパー氏は、胸が熱くなったようだ。
さすがに釜石市サイドの人には言わなかったが、スタッフには
「ぜひここでワールドカップをやらせてほしいね」と言ったという。

更地になってしまったこの場所に、かつては、鵜住居小学校と釜石東中学校が建っていた。たくさんの子供たちが毎日通い、学び、歓声をあげてスポーツに汗した場所だ。 4年前の震災の日には、大人の指示を待たず「もっと上に逃げよう」と子供同士で声をかけあって避難し、児童/生徒にはひとりの犠牲者も出なかった。三陸沿岸のたくさんの場所から、たくさんの痛ましい話が届けられた中で、それは「釜石の奇跡」と呼ばれた。

それから4年後、同じ場所から、もうひとつの奇跡が生まれた。
人口3万5000人の小さな町が、ラグビーワールドカップのホストシティに選出されたのだ。

 

釜石市元副市長の嶋田賢和さん

釜石市元副市長の嶋田賢和さん

震災直後の2011年6月から2014年末まで釜石市に出向、副市長を務めた嶋田賢和さんは振り返った。

「市民のみなさんとの集会に出ても、最初の頃は、現実的な復興、生活再建の話をして、最後の最後に『実は、まだ夢物語でしかないんですが、こんな話も一部で持ち上がっているんです…』と、少し付け加えるくらいしか触れられませんでした。でも、1年経って、2年が経った頃には、集会に出ても、こっちから何も言わないうちに『そういえばワールドカップの話はどうなったの?』と、住民の方から話を振ってくださるようになってきました」

釜石の市民はみな、知っているのだ。あの時代、国立競技場を熱狂させた新日鉄釜石の赤いジャージーが、どれだけ市民の誇りだったかを。震災の直後、シーウェイブスの外国人選手たちが大使館からの帰国要請を断って、救援物資の運搬や病人、高齢者の移送に太い腕を差し出したことが、どれだけ地域を勇気づけたかを。津波で家を失い、衣類や食料も十分に回ってこない人たちが、避難所にボランティア作業にきた選手たちに「お前ら、ボランティアはもういいからラグビーの練習しろ」と声をかけていたことを。

津波によって破壊されたガードレールは当時のままだった

津波によって破壊されたガードレールは当時のままだった

ホテルもない。鉄道は寸断されたまま。そんなところでワールドカップは開催できるのか?
いまなお、実現性を危ぶむ声は聞かれる。
だが、すでに開催は決まったのだ。

スタジアムの完成模型(ラグビーカフェ・宝来館・釜石市)

スタジアムの完成模型(ラグビーカフェ・宝来館・釜石市)

若崎副市長は言った。

「スタジアムの予定地は津波に流された土地ですが、十分にかさ上げをして建設します。大会終了後に地域の負担にならないよう、常設スタンドは収容1000人、あとの1万5000人分は仮設スタンドで収容します。すぐ近くにあったJRの鵜住居駅は、三陸鉄道で再建が決まりました。交通アクセスは改善されます。ホテル不足も指摘されていますが、港に豪華客船を停泊させて、ホテルとして活用する案も検討しているところです。 今は、反対の声はほとんどありません。もちろん心配する声はあるけれど、みなさん『決まった以上はやろうよ、応援するよ』という気持ちになっている。潮目は変わったな、と感じています」

 

招致成功の奇跡は実現した。
次は、ワールドカップ開催成功という奇跡の実現を。

4年後、その成就を目撃するために、世界中からラグビー仲間がやってくる。

 

大友信彦
1962年宮城県気仙沼市生まれ。気仙沼高校から早稲田大学第二文学部卒業。1985年からフリーランスのスポーツライターとして『Sports Graphic Number』(文藝春秋)で活動。’87年からは東京中日スポーツのラグビー記事も担当し、ラグビーマガジンなどにも執筆。プロフィールページへ


 

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