そのキックのフォームと弾道に、懐かしさが込み上げてきた。
まっすぐ前に蹴り上げられる左足。少しつま先を立てた足から放たれた楕円のボールはまっすぐ飛んでいく。このフォーム、この弾道、久しぶりに見たな…と思った。
青木蘭「気持ちの浮き沈みはあった。でももう一度グラウンドに立ちたい」
太陽生命ウィメンズセブンズシリーズ2023第3戦・鈴鹿大会DAY1、横河武蔵野アルテミ・スターズと三重パールズの一戦、後半2分にピッチに入った背番号8は、青木蘭だった。
もともと背番号8で登録されていたのは22歳の林かんなだった。しかし林は初戦のながとブルーエンジェルス戦で負傷交代し、そのまま大会を離脱。代わって追加登録されたのが、バックアップとしてチームに帯同していた青木蘭だった。

青木蘭
「ドキドキでした。バックアップなので、誰かがケガをしたら追加登録でメンバーに入ること自体は決まっていたんですが、こんなに早く出ることになるとは全然思ってなくて、びっくりしました。」
青木蘭は昨年の太陽生命シリーズ静岡大会に、ゲストチームとしてスポット参戦したアルテミ・スターズのメンバーとして出場したが、第2日の自衛隊体育学校PTS戦で頸椎捻挫の重傷。まる1年のリハビリを経て復帰したばかりだった。
「フルコン(フルコンタクトの練習)には先週から入ったけど、まだ実際の試合はもちろん、AD(実践形式のアタック&ディフェンス練習)もやってなかったので、ちょっと不安はありました。でも始まってみたら、やっぱりラグビーは楽しい!と思いました。楽しかったです!」

青木蘭は世界がコロナ禍に見舞われていた2021年1月に、現役ラグビー選手だった一樹さんと結婚。同年9月に横河電機を退職し、プロのラグビー選手になることを選択。個人でスポンサーを募り、営業活動に足を運び、SNS発信はもちろんライター業も含めた多角的な活動を行った。
女性アスリートの価値を高めるための啓蒙活動にも尽力している。既存の枠にとらわれない挑戦を続ける女性に、この国は優しい人ばかりではない。それでも青木蘭は、リアルな身近な人たちの応援を励みに、チャレンジし続ける。
「1戦目が終わったあと、夫から『キックを蹴ってる姿を見て嬉しかったよ』とLINEが来たんです。うるっと来ました。支えられているんだな、と実感しました」
昨年の頸椎捻挫からのリハビリは長く苦しかった。後遺症が悪化したときは、競技生命が断たれる危機もあった。
「気持ちの浮き沈みがありました。でも、もう一度グラウンドに立ちたい、という思いでリハビリに取り組んできました」
たくさんのことを経験し、たくさんのことを考えたから、思いがかなってピッチへ立てたとき、感謝と喜びが青木蘭の全身を包んだ。伸びるパスとキック。軽快なラン。逃げないタックル。白青市松模様のジャージーを着て、青木蘭はピッチを駆けた。パールズ戦の後半ロスタイムには、18歳のルーキー小川愛夢があげた一矢報いるトライを着実にコンバージョン。DAY2のディアナ戦でも後半6分、ルーキー今明なるの左中間へのトライを着実にコンバージョン成功。出場時間は短かったが、2度のキックは完璧に決めてみせた。

プライベートなことは聞きにくい世の中なので、全貌を把握できているわけではないが、鈴鹿大会に登録された200人近い女子選手で、既婚選手はアルテミ・スターズの青木蘭と田代ひなの(旧姓・名倉)、優勝したながとブルーエンジェルスのパラキゆき(旧姓・小野)、以上3名だと思う。選手の平均年齢全体が若いので、不自然ではないことかもしれない。それだけに、3人のうち2人が同じアルテミ・スターズのチームに所属しているのは面白い。
青木蘭は言う。

「アルテミ・スターズにはいろいろなライフスタイルの選手がいるのが魅力です。この大会には参加していないけどラベマイまこと(旧姓・江渕)も既婚者だし、チームスタッフの女性にも既婚者がいます。会社勤めをしている選手だけでなく自分で起業した人もいて、学生もいる。いろんなバックグラウンドを持っている人が集まってラグビーができるのが魅力です。みんなコミュニケーション力が高いから楽しいです」
それはチームの文化なのだろう。すでにサクラセブンズに名を連ねている19歳、矢崎桜子も、関東学院六浦を卒業、青山学院大進学を機にアルテミ・スターズを選んだ理由を聞くと「いろいろなバックグラウンドを持つ選手が集まっているのが魅力だった」と答えた。
小林花奈子「焦らずに次を目指す」――冷静で件名な判断を下せた理由は

小林花奈子
青木蘭と同様に、鈴鹿が復活の舞台になったのが小林花奈子だ。
「セブンズは日体大のとき以来だから5年?6年ぶりかな…あ、アルテミ・スターズに入って最初の春(2021年)にリージョナルの関東大会(@麗澤)に出たから2年ぶりです」
小林花奈子もまた1年前に大けがを負っての復活だ。昨年6月3日、英国エクセター・チーフスで戦った最終戦のラスト10分で左膝靱帯断裂の重傷。手術と過酷なリハビリを経てこの大会で復活を飾っていた。
「1年ずっとリハビリしていて、やっとラグビーができた。『ラグビーってこんなに楽しいのか!』と思いながらプレーしていました」
1年前に負傷したのはイングランド女子リーグ「プレミア15」のファイナル。その試合を終えたら帰国し、ワールドカップを目指すサクラXVに合流するはずだった。
「靱帯が切れたあとも、10分くらいプレーを続けたんです。痛いとは思ったけど、アドレナリンが出てるから平気だったし、走れた。でも、試合が終わって検査したら、靱帯が切れてると言われて……」

手術せず、温存療法を選んでワールドカップに間に合わせる選択肢もあったという。だがそうしたところで完調に戻れるかどうかは分からない。23歳と若い小林花奈子は、焦って目の前のW杯に食いつくよりも万全に戻し、次の檜舞台を目指すことを選んだ。
焦らずに、次を目指す――冷静で懸命な判断を下せたのは、女子ラグビーの本場イングランドで戦い抜いた自信の故だろう。イングランドの経験で得たものは?と尋ねると「一番は、相手が外国人だからといって特別だと思う必要はないということです」という答えが返ってきた。
「相手も同じ女子ラグビー選手。ミスもするし、タックルすれば倒れる。当たり前のことですが、自分が実際にそこへ行くことで初めて得られる感覚もあった」
評価されたのはパス能力だったという。
「一番通じたと思うのはパスの精度です。状況を判断して、外へボールを放れる選手と評価してもらって、13番で80分出してもらえました」
もうひとつ感じたのは、試合数が多いことのありがたさだった。10チームがホーム&アウェイで戦うからそれだけで18試合。プレーオフ、プレシーズンマッチを含めれば20試合を優に超えた(日本ではせいぜい5試合だった…)。
「試合数が多いからいろいろチャレンジできるんです。いつもだったらやらないプレーでも、やってみて、うまくいったら取り入れればいいし、ダメだったらやめればいい。新しいことにチャレンジできる環境でしたね」

その経験が生きた。チャンスに反応して仕掛ける速さで、DAY1の追手門戦とDAY2のPTS戦で自らトライをあげただけでなく、接点でも積極的に前に出て、空いたスペースにパスを送った。復帰戦はセブンズだったが、視線は2年後に迫った15人制女子のW杯を見据えている。そういえば今大会はながとのパラキゆき、日体大の向來桜子、グレースの大塚朱紗、PEARLSの西村蒼空、ブレイブルーヴの安尾琴乃と安藤菜緖……サクラ15選手の活躍が目立った。

安藤菜緒
15人制で技を磨いた選手がセブンズにやってきて活躍し、15人制で磨いたスキルを仲間に伝え、自身もまた、セブンズの経験を15人制に活かせる。多様なバックグラウンド、多様なアプローチ、そして多国籍の選手が戦う――太陽生命シリーズの、世界のどこにもない面白さが凝縮された鈴鹿大会、青木蘭と小林花奈子は、この大会を象徴する存在だったと言えるかもしれない。

小林花奈子
![]() (おおとものぶひこ) 1962年宮城県気仙沼市生まれ。気仙沼高校から早稲田大学第二文学部卒業。1985年からフリーランスのスポーツライターとして『Sports Graphic Number』(文藝春秋)で活動。’87年からは東京中日スポーツのラグビー記事も担当し、ラグビーマガジンなどにも執筆。 プロフィールページへ |