奥野わか花(東京山九フェニックス)五輪と結婚を経て、再び走る喜びを発見した新幹線娘の現在地 | ラグビージャパン365

奥野わか花(東京山九フェニックス)五輪と結婚を経て、再び走る喜びを発見した新幹線娘の現在地

2025/01/22

文●大友信彦


「はい、引退は撤回します!」

奥野わか花は声を弾ませた。
ファンには「原わか花」と呼んだ方が通りがよいかもしれない。女子7人制ラグビー日本代表「サクラセブンズ」で2021年東京五輪と2024年パリ五輪に出場したトライゲッター。そのわか花は早くから、「パリ五輪が終わったら第一線から引退します」と公言していた。

しかし、1月18日の全国女子選手権準決勝で「九州・ながと合同」を破った試合後、わか花は「引退撤回」を宣言したのだ。

わか花はパリ五輪を終え帰国後の8月28日、狭山セコムラガッツのPR奥野翔太さんと入籍。奥野姓に改め、新生活をスタートさせた一方、11月からは所属する東京山九フェニックスのWTBとして、女子15人制ラグビーの関東大会「OTOWA CUP」に出場していた。

奥野(原)わか花

奥野(原)わか花

「15人制をプレーするのは6年ぶりです。9月から練習を始めたのですが、イチから学んでいる感じです。セブンズの方が自由度は高いかな? でも15人制は仲間とコネクトしてプレーできる楽しさがある。新しい自分でいられるようで楽しい。フェニックスで、まだしばらくプレーを続けたいな、と思うようになりました」

じゃあ、オリンピック前の引退発言は…? そう聞かれて、わか花は冒頭のセリフを発したのだ。

「はい、引退は撤回します!」

記者が、わか花から「現役を引退します」という意向を聞いたのは2023年12月だった。

「もともとは東京オリンピックが終わったら引退するつもりでした。大学も卒業するし、ちょうど良い区切りだと思っていた。でも、たくさんの方に応援してもらった東京オリンピックが惨敗で終わってしまって、悔しさと申し訳なさでいっぱいで、『このまま終わるわけにはいかない、パリまで頑張ろう』と思ったんです」

伝わってきたのは、競技をやめたいというよりは、やりたいことがたくさんあるという思いだった。わか花は言った。

「ラグビーに、今までとは違う関わり方をしてみたい。高校の時に行ったNZにまた行ってみたいと思っているんです。現地のチームで、楽しくラグビーをしてみたい。子どもたちと一緒にラグビーをしてみたい気持ちもあります。ラグビー入門とかラグビー体験会とか、そういうことにも関わってみたい。


やりたいことがたくさんあるんです。犬が好きなので、ドッグランつきのカフェをやってみたいんです。犬は新潟の実家で5歳のときから飼っていて、警察犬のハンドラー(指導係)にも憧れてました。あと、小さな頃からの憧れだったお花屋さんもやってみたい。
結婚願望もあります。海外の選手って、結婚して出産しても競技を継続している選手が多い。日本では少ないですよね…」

わか花自身、大学の卒論は『ライフイベントと競技継続の検討』をテーマに書いたという。プレーを続けたいという思いは強かったのだ。おそらくは、年間200日を超えるサクラセブンズの合宿・遠征に追われ続ける生活に行き詰まりを感じていたのだろう。7月、パリ五輪壮行会での取材で、五輪後には奥野さんと結婚することと引退することを公表した。
だが五輪を終え、フェニックスに戻ってプレーしたとき、ラグビーの魅力と楽しさを再発見し、モチベーションが湧いてきたのだ。

実を言えば「引退撤回」自体は2023年のインタビュー当時もある程度は想像できたことだった。わか花は「引退する」と言いながら「NZで楽しくラグビーをしてみたい」とも言っていた。だが今回の引退撤回には、当時は想定していなかった要因もあった。夫・翔太さんとの新婚生活だ。


「家でも一緒にラグビーのビデオクリップを見たりしてます。私のプレーを見てもらって『こうしたらどう?』というようなアドバイスももらったりして、ラグビーを勉強しています」


今まで見ていなかった角度からラグビーを見る。考える。その楽しさが、わか花の中に新しいモチベーションを生んでいる。


「今は、フェニックスの仲間と15人制ラグビーをやるのが楽しいです」


そう言う一方で、いったんは離れたつもりの7人制にも新たな魅力を感じているという。



「フェニックスで太陽生命にも出てみたいです。セブンズのシーズンになればNZとか外国の選手もやってくる。海外の選手とも一緒にプレーしてみたいし、太陽生命シリーズでもう一回勝負しようかな、という気持ちが湧いてきました」

思い出すのはトライを取りまくった2017年の太陽生命シリーズだ。まったく無名だった石見智翠館高3年生が、太陽生命シリーズの年間トライ王と得点王に輝き、その年の終わりにはサクラセブンズに選ばれた。代表を外れた大学1年のシーズンは、15人制の関東大会に合同チームで参加し、未知のポジションだったCTBでプレー。それまで知らなかったラグビーの魅力と楽しさに触れ、新たなモチベーションを得た。

2017年太陽生命・原わか花(当時高校3年生)

2017年太陽生命・原わか花(当時高校3年生)



そして今回。OTOWA CUPでは5試合に出場して3トライ。全国大会準決勝の九州・ながと合同戦では後半20分、スクラムからの左オープン展開に逆サイドから走り込んだWTB野原みなみ(旧姓・鹿尾、既婚者仲間だ)のパスを受けると、新幹線のスピードで左隅へダイビングトライ。すぐに起き上がったわか花のもとには、追走していた野原みなみがすぐに抱きつき、次から次へと仲間たちが駆け寄った。当然のことだが、セブンズのときよりも倍以上の仲間が同じピッチで一緒にプレーしている。そのみんなが、自分のトライを喜んでくれる。

準決勝で見せたトライ

準決勝で見せたトライ



ラグビーをするよろこびが、また増えた。
2月2日の決勝でも、そんな時間を求めて、わか花は走るはずだ。

大友信彦
(おおとものぶひこ)

1962年宮城県気仙沼市生まれ。気仙沼高校から早稲田大学第二文学部卒業。1985年からフリーランスのスポーツライターとして『Sports Graphic Number』(文藝春秋)で活動。’87年からは東京中日スポーツのラグビー記事も担当し、ラグビーマガジンなどにも執筆。

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